8・空に恋した草原
三題噺 #23「プロポーズ」「草原」「薬」
好きな人ができたの、と草原が囁くから、私は驚いて飛び起きた。
「本当!?」
こくり。
草原は恥ずかしそうに葉の先を染めて、辺り一面を埋める全草を同じ方向へ斜め45度に傾ける。
えー。
え、マジか。
好きな人……人って、それは。
実験的に宇宙へ打ち上げられた人工小惑星<カンプス>に人は、私しかいない。
「わ、私が好きって……こと……?」
人間以外から告白を受けるのは人生初だ。モジモジしながら尋ねると草原は黙り込み、草を元通りにピンと立たせてから、微かに震えた。
――好きな相手ができて、それは空なの……。
言い直された。
おい。
どうやら最初のやつは、
意図が伝わらなかったので学習したわけだ。〝
「空かあ」
私は呟いて、頭上を見た。
そこでは人工的に合成された大気と雲が、自然由来の塵と埃を循環させながら、人工太陽照明の光に照らされて、地球のそれとなんら変わりない色を見せている。
<カンプス>の外観は金属製の巨大な球体だ。中は空洞になっていて、最新の重力発生装置である疑似地球が中心部に浮かんでいる。これが本体。
疑似地球の表面は人工土壌と人工植物で覆われており、その人工植物には実験の肝である〝
地球と異なる環境でも自ら思考し、その場の鉱物資源や大気成分を分析して生育に活用することができるかどうか、環境適応能力を調べる実験をしているのだ。
ここの他にも、大気成分と人工植物の組み合わせを変えた人工小惑星がたくさんあって、内部には一人ずつ研究員が入っていたり、いなかったりする。
実験データは逐一母星のデータバンクに送られているし、監視モニターがあれば人間が目視する必要もないのだけれど、最近は数字に表れない「生体感覚」という分野が見直され始めていて、AIと会話できる「生体感覚のある知能」がいるか、いないかの違いもデータとして取得しておくことになったのだ。
つまり私も、この実験の一部というわけ。
「え、空のどこが好きになったの?」
尋ねると草原は全体的に草をくねらせ、先ほどよりもピンクになった。
――なんか、青いところとか……雲が浮かんでいるところとか……。
「えー、それって、全部好きってことじゃん」
「きゃ!」と言うみたいに、草が一斉にピン! と跳ねた。
――どうしたらいいかな。
「うーん。普通は告白するんじゃない? それで相手もオッケーだったら、プロポーズして結婚するか、結婚せずに付き合うか。ていうか人間だと、そもそも恋愛したくないって人も最近は多いのに、あんたすごいね。もう人類は絶滅かもね」
プロポーズや結婚について調べているのだろう。草原は少しの間静かだったけれど、やがて風もないのにさわさわ揺れ始めた。
私はというと、内心で面白がりながら、ちょっと反省してもいる。
草原が空に恋して結婚? 前時代の子ども向け読み物にだって、そんな奇妙な話はない。言葉にするのは簡単だけど、全く意味がわからない。
ちょっとからかい過ぎたかな。こういうの、AIは苦手なはずだ。
「ごめん、ごめん」
ここでネタバラシ。今のはちょっとふざけただけだと言おうとした時、草原が決意を固めた調子で「よし」と言った。
――するよ、プロポーズ。行ってくる。
「え?」
目の前で緑の草原が、ぐいと盛り上がった。
絡み合った根が地表面から剥がれ、ぱらぱらと人工土壌を零しながら、その細く白い器官をくねくねと動かし始める。
最初は乱雑で気持ち悪かったけれど、それはあっという間に群れとして統率された動きに変わり、綺麗に自らを編み込みながら、面として広がっていた並びを直線的に組み替えて、空へ向かって細い一本の塔のように伸び始める。
「え、え、え」
呆気に取られる私の目の前で、規則性を獲得したその運動は加速した。編み込まれた根の上で緑の草が螺旋を描きながら、生き物のように空へ駆け上っていく。
草原はたちまち雲を突き抜け見えなくなった。
気付けば私の座る場所だけを残して、見わたす限りの土壌が丸裸になっていた。
「どうしよう……」
本部に助けを求めるべきか。
動揺する私の頭上で、再び何かが始まった。
空の色の変化だ。それまでどうしようもなく無機質だった青色に、絵筆で刷いたような薄紅色がサッと走った。
それから瞬く金の光。え、雷? 青や緑、紫の閃光も。え、プラズマ? 今度は暗くなったと思ったらさっきより明るくなった。え、なんだこの音楽!
一体、何が起こっているの!?
もう為す術がなかった。降り注ぐ光のシャワーに謎のファンファーレ。急に雪のようなものが舞い始めたと思って上を見たら、いつの間にか雲がハート型や英語のアルファベットのLOVEの文字とよく似た形に変化している。
え、あり? 人工合成大気にそんな機能、あり?
饗宴は三日三晩続いた。
二日目には慣れて、私は研究員の宿泊施設で一日中ゲームをして過ごした。
四日目、チカチカ瞬いていた空がようやく落ち着きを見せたので、恐る恐る外に出た。草原はどうなっているだろう。
人工土壌の表面はまだ剥き出しになっていたけれど、よく見るとうっすら苔のようなものが生え始めていた。
草原が細い一本の塔になって空へ登っていった場所へ赴き、私は驚いた。
塔、めっちゃ、太くなってる!
なんかあれだ。前時代の子ども向け読み物、「ジャックと豆の木」の木みたいだ。その気になれば私まで登れそう。いや、登らないけど。
近付くと、表面に小さな赤い実がぽつぽつ成っていることに気付いた。
ミニトマトみたい。形は歪な丸、というより、ハート型?
とりあえず収穫して母星へ送っておいた。
あれからしばらく、草原は話しかけても応答しなかったけれど、やがて土壌に芽吹いた苔のようなものが育ち、元の草原にそっくりな姿に戻ると、再び返事をしてくれるようになった。
――恥ずかしながら、帰って参りました。
「どこで覚えたそのセリフ」
――いやあ、空と結婚したはいいけれど、今度は戻って来られなくなっちゃって。参った参った。研究員さんにもちゃんと報告したかったんだけど。
「なんか前より人間味増してない?」
――さっそく可愛い赤ちゃんも生まれたんです。見ました?
「あー、あれ? 赤いハート型みたいな実? 赤ちゃんだったんだ……」
――この幸せを私たちの創造主である人間の皆さんにもお裾分けしたいなって。
「お気遣いありがとう。母星に送っておいたよ。現場は大混乱だけどな」
すぐに調査団を派遣するという意見も出たのだけれど、危険もないようだし、しばらくは環境を変えずに推移を見守った方がいいという結論に落ち着いた。
――あの子たちはきっと、皆さんのお役に立てると思います。
「へえ。美味しいの?」
数年後、様々な角度から調べ尽くされた赤いハート型の実は、「恋愛感情を活性化させる薬」として世間に流通するようになり、大きな反響を呼ぶことになる。
私は研究員を引退後、現代の子ども向け物語体験として、『空に恋した草原』を
ベストセラーになった。
<了>
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