6・居眠りの後

#41「生徒」「指紋」「発熱」&#32「ペットボトル」「空気」「妄想」


「委員長、全員分のプリントを集めたら持ってきてくれ」


 帰るまででいいから。そう数学の先生に言われた時、真っ先に浮かんだのが、茶髪の‶不良生徒〟扱いされている彼の顔だった。


 自分を目の敵にしている堅物の先生を煙たがって、彼はいつも数学の時間、どこかへ消えている。プリントは白紙のまま机の上に置かれている。英語の時間にもいない。たぶん、先生の発音が嫌なんだろうな。


 帰国子女だと聞いたことがある。少し海外の血が混じっていて、茶髪は自前なのだとか。周囲に合わせて黒に染めなさいっていう大人、どうかしてる。


 私は黒髪で化粧っ気のない真面目な学級委員長だから、先生のお気に入り。

 彼には嫌われるタイプの人間だと思っていた。


 ――やべ。


 夏休みが明けたばかりの、まだ汗ばむ陽気の頃。

 発熱して保健室のベッドで寝ていたら、急にカーテンが勢いよく開いて、「しまった」という顔つきの彼と目が合った。


 ――ごめん。いない空気だったから。


 そんなことをボソボソと呟いて、彼はすぐにカーテンを閉めた。


 しばらくすると、コンコンと窓ガラスを叩く音が聞こえてくる。

 私は一番窓際のベッドで寝ていた。起き上がってカーテンを開けると、ガラス越しに彼が立っていた。

 クレセント錠を指差しているので、回して解錠すると、彼は窓ガラスに直接ベタッと掌を当てて引き開け、汗をかいているペットボトルを差し出してきた。

 レモンティーだ。私が好きで、よく飲んでいるメーカーのやつ。


 ――さっきの詫び。お大事に。


 彼が立ち去ってから、閉めた窓ガラスを見ると、手の跡が残っていた。

 人差し指と中指は指紋までくっきり見える。

 なんとなく自分の手を、その大きな手形に当ててみた。


     *


「桐生君、数学のプリント、放課後までにやれば間に合うから」


 帰りのHRが終わり、他の生徒たちがほとんどいなくなった後、ようやく教室に戻ってきた彼にそう言うと、びっくりしたような顔で見られた。


「それ言うために残ってたのかよ」

「どうせ委員の仕事が他にもあったから」


 本当のことだけど、ちょっと誇張だ。

 教卓の端に回収済みのプリントを積み上げ、いつも先生が使っているキャスター付きの椅子に座って、次の委員会で話し合うべき内容を考える。

 秋も半ばの優しい日差しが教室の中をほどよく温めていて、プリントの上を走るシャープペンシルの音が心地よくて、私はいつの間にか寝てしまったらしい。


「中澤」


 すぐ傍で声が聞こえ、びくっと肩を揺らして起き上がると、教室の中はすっかりオレンジ色に染まっていた。

 プリントを持って、桐生君が脇に立っている。


「終わったんだけど」

「あっ……ごめん、寝てた!」


 よだれが出ていないか気になって口元を隠しながら言う。

 急いで荷物をまとめ、プリントの束を抱えようとしたら、横から大きな手が出てきて先に取り上げられてしまった。


「いいよ、私が頼まれたんだし」

「俺待ちだったんだろ」


 俺待ち、という言葉にドキッとした。

 数学科にプリントを持って行って、遅いとねちねち言われてから、ようやく学校の外に出る。今日は変に風が強い。

 駅へ向かう私の後ろを、桐生君が少し離れて、ゆっくり歩いていた。

 気になって振り返ると、なんとなくムッとした顔をされる。


「俺もこっちだから。ストーカーじゃねえし」


 それは知ってる。

 気になるのは、手の大きさも脚の長さも違うのに、追い抜かないことだよ。


「中澤」


 しばらく行ってから、呼び止められた。

 振り返ると、彼は自動販売機のボタンを押していた。

 ガコンッと小気味のいい音を立てて落ちてきたのは、見慣れた黄色いパッケージのペットボトルだ。

 取り出し口から持ち上げたそれを、彼は私の方へ差し出した。


「遅くなったし、今日の詫び」


 前にもらったのと同じ、私の好きなレモンティー。

 もしかしたら、勝手な妄想かなと思っていたけれど。


「ありがとう。どうしてこれ選んだの?」

「いつも飲んでるじゃん」


 夕陽に染まっていたから、たぶん、私の顔の赤さはわからない。


<了>

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三題噺ショートショート集 鐘古こよみ @kanekoyomi

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