ひなまつり
いつものようにゲーム画面をキャプチャし、配信開始ボタンを押す。
チャンネル登録第一号、かつ唯一のコメントしてくれる人。知っている情報は、学校に行っていると自称していることだけ。どんな人かは知らない。
配信を見に来ているというよりも、世間話しに来ている感覚のように見える。桃介の配信目的が、注目されたり有名になることではなく、人と接することだから、お互いの利害は一致している。
桃介は、好かれるキャラを演じる必要がなく、
「お疲れ様。友達は出来た?」
「感染症が蔓延してるから、仕方ないよ」
「どんな声だよ。気になるから聞かせろよ」
(話せるのか!? 配信続けていて良かった)
桃介は、心の底から思った。声でやり取り出来る機会を、ずっと待ち望んでいた。バイト先での応対以外で、最後に人と話したのは何ヶ月も前。
話せる機会は、もう訪れないかもしれないと、絶望していた。
「ID貼る」
着信通知が表示されたから応答ボタンを押す。
『おいすぅ』
聞こえてきたのは、アニメに出てくるキャラクターのような可愛らしい声。
「女の子だったんだ。声、めちゃ可愛い」
『……ほんまに? ほんまなら嬉しい』
「本当。ずっと聞いてたい」
『ずっとは無理や』
(何者だ、こいつらは? 文字列に構ってる暇は無い。今は<彼女>を繋ぎ止めることだけを考えよう)
「たまに聞きたい」
『なんで、たまにに格下げされたん?』
「無理と言われたから」
『学校とかあるし、無理に決まっとるやろ』
『あれへん! たまに言われんかったら知らんけど。もうええやろ。宿題するから切るよ』
(待ってくれ……なんとしてでも<彼女>を繋ぎ止めたい)
「喋らなくてもいいから、切らないで。
『変態や! そんなん言われたことあれへん』
『BLのリクエストやで』
『お兄ちゃんちゅっちゅ。あいしてるお』
『あれへん。リモコンになってみただけや』
『なんでもええわ。宿題するさかい
『ピコンピコン♪ チャラララン♪』
(<彼女>に関心を総取りされている。今から俺が一人で喋ったところで、コメントが付かなくなるだけだろう……話したいことは無いし、配信を終える頃合いだな)
「そろそろ落ちます。お疲れ様でした」
配信終了ボタンを押す。
カウントアップし続けている通話時間。
<彼女>との通話が継続している。
「あのさ」
『どうしたん?』
「繋がったままなんだけど」
『切ってもええで』
「切らなかったらどうする?」
『繋がりっぱなしやな』
「それは大丈夫なのか?」
『知らん。ラジオとしか思てへんし。切ってもええで』
「掛けた方から切るものだし」
『切らないでて、言うたのジブンやろ。切りたいなら切ってもええで』
通話時間が三時間を超えた。
桃介は、そのうち切るだろうと思っていたけど、そんな素振りは無い。それどころか<彼女>はリラックスした様子で、鼻歌を口ずさんでいる。桃介が聞いていることを、一切気にせず
通話を始めて五日経過。<彼女>から話しかけてくることはない。唯一話しかけてくるのは配信中のみ。繋がってるから声を出せるのに、何故か文字列でしか話しかけてこない。
<彼女>に、今から配信すると伝えたことはない。それなのに、配信を始めるとすぐにコメントしてくれる。
「繋ぎっぱなしなのに、いつも配信見に来てくれるよな」
「声出していいよ」
(配信切ったときのことを気にしてたのか……)
「チャンネル作って、配信すればいいのに。絶対人気出るよ」
(悪口言った奴は、妬んで嫌味を言ったんだろ)
「俺は好きだけどな」
自宅警備員と化した桃介に、面白い出来事なんて起きない。
(相変わらず無理難題を要求してくる……)
桃介は、何も言わず配信を切り、通話も切った。
桃介には悪癖がある。苛々すると感情のコントロールが効かず、瞬間
通話時間は、127時間23分37秒
<彼女>と繋がっていた時間。
五日間も繋がっていたものが突然切れたのだから、桃介は<彼女>の方から『なんで切ったん?』と連絡がある未来を予想していた。
通話が繋がっている五日の間、桃介は何度か<彼女>に当たり散らした。けれど、無視されたり嗜められたことは、一度も無かった。ずっと<彼女>が相槌する音が聞こえていた。
だから、今回も許されると思い込んでいた。
三十分、一時間――どれだけ待っても音沙汰は無い。<彼女>が『
すぐに後悔の念に襲われる。<彼女>は『ラジオとしか思てへんし。切ってもええで』とも言っていた。何度も、それ以上の存在ではないと宣告されていたのに、桃介は思い上がり、自ら繋がりを絶ってしまったのだ。
翌日夕方。下校した<彼女>が帰宅する時刻。
連絡があったらすぐに応答できるよう、パソコンの前で待機し続けているが、何の通知も無い。
配信するか悩む。<彼女>が配信を見に来るようになる前、一度もコメントが付かないことが日常だった。毎日配信するようになったのは、<彼女>が来てくれるようになってから。
今思えば、<彼女>と繋がるために配信していた――今更気付いても遅い。配信する理由を失ったことに気付かされただけ。
配信を辞めれば、ただ呼吸しているだけの廃人。だから、桃介に配信しない選択肢は無い。
(仕方ない。配信するか……)
配信を始めてすぐにコメントが付く。
桃介には<彼女>だとすぐにわかった。
そして、まずは謝ろうと思った。
「昨日、ごめん……」
「何も言わずに切ったから……」
桃介は、歯切れが悪い。
「じゃ、俺の勝ちということで」
「そう……だな」
配信を辞めてたら、取り戻すことが出来なかった日常。日常が戻って嬉しいはずなのに、涙がポロポロと溢れる。
「どんな配信するの?」
「ああ。いつもしてるよね」
「音、聞こえてたから」
「使ってるマイク、音よく拾う」
「やらしい声も聞こえてた」
「おかしいな。『行ってくる』とか聞こえてたんだけど」
「
「喋らない配信は、有りなのか?」
「多少は、配慮しないと」
「ごめん。気を付ける」
「そうだな」
<彼女>は、桃介の配信が終わったら配信すると言っていた。
『嫌なら見んかったらええ』と言うし、視聴者に媚び売る気が全く無い。そんな配信がどうなるのか、見てみたい。
配信を終了し、<彼女>のプロフィール画面を開く。まだチャンネル登録者は居ない。
第一号の座をいただいて間もなく、予告通り配信が始まる。映し出されたのはゲーム映像。
コメントを書いたが応答は無い。何も喋らずゲーム中の画面をひたすら見せられるだけ。面白くも何とも無い――こんな配信に誰が関心を持つのか。
他の人が来た。が、応答は無い。
<彼女>は視聴者を放置する。聞こえてくるのは『わぁ!』、『ぎゃあ!』という声だけ。
コメント数は50を越えたが、相変わらず無応答。ゲームに没頭している<彼女>の口から溢れる、可愛らしい声を逃さぬよう耳を澄ます。
『遊び過ぎてしもた。宿題せなあかんし、ぼちぼち
ゲーム画面が消え、デスクトップ画面に浮かぶ配信ウインドウが表示された。
『配信してること、すっかり忘れとった。誰も見てへんし、まあええか』
マウスカーソルが配信終了ボタンに向かう。
(ちょっと待て。気付いてくれ)
他の視聴者も、同じことを思っているようで、コメントが一斉に書き込まれる。
『うわっ。なんかおる』
<彼女>らしい反応。
通話時に聞いた話では、高校入学を機に上京した、〝自称〟高校一年生という設定だった。
だが、桃介の配信で『幼女』と煽られたとき『大人のお姉さん』だと返していた。釣り目的でJKと自称する人は多い。年齢を重ねても、可愛らしい声の声優はごまんと居る。声で年齢はわからないのだ。
配信者が言うことは話半分で聞くもの。実際どうなのかはわからないし、配信者の自己申告に委ねられる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。