出会い

 パパは命令ばかり。顔を合わせてもくれない。ここまで徹底されると、怒りを通り越して笑えてくる。


 紗良さらの精神は瓦解がかいした。心は既に空っぽ。現世げんせのこしたい言葉は無い。けれどパパに、紗良さらないがしろにし続けたことを、後悔こうかいさせてやりたいという激情げきじょうが、噴火ふんか前の溶岩ようがんのように、沸々ふつふつき上がる。


 リビングを監視かんしするカメラ。パパが 、紗良さらの行動を監視かんしする目的で設置せっちした。

 監視かんしカメラの起源は、一九三三年にイギリスで、卵泥棒を特定するために設置され、撮影物が法廷で有効な証拠と判断されたこと。


 紗良さらは、監視かんしカメラの存在を認識してはいるけれど、何を出来るかまでは知らない。

 以前、リビングの卓上に置きっぱなしになっていた、パパの手帳を手に取ったことがある。その日の夜、『俺の物を勝手に触るな』と言われ、殴られた。

 この出来事により、監視かんしカメラで撮ったものを、後から確認出来る仕組みであることがわかった。だけれど、パパが居ないときにリビングで悪口を言っても、怒られたことは無い。でも、全く同じ内容を、パパに直接言ったら殴られた。どうやら音声は、記録されていないらしい。

 紗良さらが知っている監視かんしカメラの情報は、これが全て。


 今から起きることを記録するため、カメラをつかみ、レンズを窓側に向ける。

 紗良さらは、レンズをまっすぐ見つめたまま、窓際まで後退あとずさる。そして窓をけ、空中にふわりと身体からだを落とす。


 数秒後。

 衝撃しょうげきを受けた。三階から落下した経験は無いけれど、痛みも感じず、即死そくしすると思っていた。けれど、消失しょうしつしているはずの意識いしきは、継続している。

 既に死んでいて、霊体れいたいになった後なのか――もしそうならば、何故痛みを感じるのか疑問ぎもん

 紗良さらは、手を前方ぜんぽうばしてみる。ばした手が、紗良さらの視界に入る。透けてはいない。視覚しかくがあり、実体じったいもあるように見える。痛みの感覚は、人間にんげんだったときと同じ。


「いてて……かかえられると思ったのにな」

 紗良さらが言ったのではない。

 発声源はしりの下。フランス語ではない。でも、聞いたことがある言語。何語だったかな――日本語にほんごだ。でもフランスで面識を持った人の中に、日本人にほんじんは居ない。

 どうやら非日常的ひにちじょうてきな何かに、き込まれたよう。声のぬしの正体は何なのか――。

「お尻の妖精ようせい? それとも死神かしら?」

「どちらも違う。とりあえず、どいてもらっていいかな」

 得体えたいの知れないものの上に座っているのは、気持ち悪い。地面じめんに両手をき、しりを上げる。

 声のぬしを確認するため、しりの下を見ると、人間がよこたわっている。黒髪の有色人種。顔はアジア系。フランスではアジア系の人は差別の対象。飲食店では、通りから見えるところに座らせないし、入店拒否する店もある。

 少なくとも、媚びへつらわなければならない相手ではないことはわかった。

まれるために、そこに居るのかしら?」

天使てんしりてきたから、受け止めようと手を伸ばした結果が、このザマだ」


 <彼>は紗良さらの尻の下に居る。

 だから、紗良さらの尻から太腿にかけて入っている、刺痕文身しこんぶんしんを見ているはず。

 刺痕文身しこんぶんしんとは、前科ぜんかのしるしや、刑罰けいばつとして入れられるり物。身体からだに針棒を突き刺し、表皮ひょうひの下に色料しきりょうを流し込む。刺青いれずみやタトゥとも呼ばれる。

 咎人とがびとを呼称するなら、百歩譲って〝堕天使〟が良いところ。

(『天使』と表現した意図は何? 気にはなるけれど、たずねるのはしゃくののしるだけにしておこう)

無様ぶざまね」

ひどい言われようだな。何故、下界にりてきたんだ?」

 自ら身体からだを落とす理由なんて、人生を終わらせる以外に無いだろう。

「降りた後のことなんて、考えていない」

「それなら、ぼく出会であうためということにしよう。てたのだから、僕のモノにしてもかまわないよね」

 小柄こがら身体からだ。大きな瞳。<彼>の風貌ふうぼうは一見、女性に見える。けれど『僕』と云っている。もしも女性ならば、短いスカートを履かないため、性別の認識を改める。

 身体からだを落とした行為が、結果的に<彼>と出会であう手段となったのは事実。

 それに、捨てた命であることも事実。でも、捨てたとわかっていて、理由を尋ねてきた意地悪なところが嫌い――。

無理むりね。朝になれば、ここをつもの」

 <彼>が手をばしていなければ、紗良さらに朝は来なかった。それなのに、紗良さら予定よていを遂行しなければならない衝動しょうどうられる。

 こんなときにまで、予定にしばられてしまうなんて、パパの存在は、のろいのようなものだと痛感つうかんする。

「それなら、朝までは大丈夫だいじょうぶだな」

 『無理』と伝えられたのに、<彼>は安堵あんどの表情を浮かべる。絶望ぜつぼうに打ちひしがれている紗良さらとは対照的たいしょうてき紗良さらが〝のこり数時間しかない〟と、ネガティブにとらえているのと同じ時間ものを、<彼>は〝まだ数時間ある〟と、ポジティブにとらえている。

 物事ものごととらえ方が、紗良さらとは正反対せいはんたい

 紗良さらは、<彼>がみちびき出す答えに興味きょうみく。好奇心こうきしん満足まんぞくさせたい欲求よっきゅうが、みるみるふくれ上がる。

「私の人生は、あなたが居なければ終わっていたわ。生存せいぞんし続けてしまった私が、〝次の朝〟のことを考えていることを、どう思う?」

「少なくとも朝までは、現在いまのことを考えるだけで十分。未来に縛られなくていい」

 言葉にすることを躊躇ためらった紗良さらに対し、なやみもせず即答そくとうする<彼>。他人事たにんごとだからだろう。なんとなく、良いことを云っているように聞こえるけど、後先あとさきかまわなくて良いと云っているだけ。

「つまらない。無責任むせきにん期待きたいはずれ……」

 紗良さらの言葉を打ち消すように、発言を続ける<彼>。

「先のことを考えて絶望ぜつぼうした君に、先のことを考えさせるのは、悪魔の所業しょぎょうだ。君が、苦痛くつうゆが表情ひょうじょうを、見られたいとねがっているのなら、見てあげてもかまわないけど」

 <彼>の主張には、一理ある。

「無責任と言った発言は、撤回てっかいするわ」

撤回てっかいするだけ?」

 結局、悪魔と同じ。代償を求めるのね――。

「君の望み通り、朝が来るまで君のモノになってあげる」

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