第37話 分からず屋

「華観のろくでなし! 千代田さんにだけ東京弁つこて! 普通に喋ればええのに気持ちわる!」

 御歌の罵詈が追ってくる。

 ふんっと鼻を鳴らし,エレベーターのボタンを押した。人の気配を感じる。廊下に立ち並ぶ,一番手前の柱の陰から千代田が現れた。

「早めに切りあげてきたんだ……」

 地下の部屋へ戻るのを待てずに千代田の螺子ねじは飛んだ。間違いなくその種の病気になっているのだ。

 僕は過換気症候群を起こした。

「本当に大事にしたいんだよ。一生,大切に守っていくから。郷里に戻って墓参りしたよ。華観のご先祖さまに挨拶させてもらったんだ。華観を思う気持ちがどんどん強くなる。でも,俺の愛は強過ぎて,華観を壊しそうで恐い。だから,加減して愛そうとしたのに,華観は満足しないから。俺だって,そうさ。それで,華観の望むとおりに愛したいと思ったんだ。俺は忠実に愛したよ。真心をこめて愛した。これからもそうしたい。だけど,どうすればいい? 一旦愛したら,次から次へと愛が溢れてとまんない。華観を失いたくないよ。でも,どうにかなりそうだ。どうすればいいのか教えてくれよ。華観はどんな風に愛されたい? 俺には分かんない。どうすればいいか全然分かんない……」

 めそめそ泣いて弁解の言葉を連ねながら,ビニール袋を人の口にあてる。

 過呼吸の際に紙袋等を口にあてるペーパーバック法を施しているらしい。教授がこの方法を処置して,患者を低酸素で死亡させかけたときも僕のせいにしたことを思いだし,いっそう症状が悪化する。

 千代田の手を叩き落とし,胸をじわりと押しつつ数秒間息をとめた。すると,僕がすねるかどうかして,また例の「抵抗手段としての呼吸拒否」を強行しているものと勘違いした千代田は,めちゃくちゃに身体を揺さ振ってくる。違う,違う,応急処置だって!――そう伝えようとするが,言葉にならない。

 胸式呼吸から腹式呼吸に転換させようと,うつ伏せになれば,誘っていると誤解して,人を気遣いつつも事に及ぼうとする。二股の顎を蹴りあげ,別の応急処置のつもりで座って前屈みになれば,訳の分からない千代田の馬鹿は沸騰状態になり,もう手がつけられない。

 ビニール袋がよじれてベッドの下へ落ちる。……落ちたレトルトの米。御歌のことが気になった。それで妹の相談に乗ってくれと頼んだ瞬間,僕は壊れた。

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