第34話 御歌が呼んでいる

 泣き叫びながら許しを請うて,耐え抜こうと我慢はしたが,結局は講師の姓名を漏らしてしまった。

 彼がその後どうなったのかは知らないが,それについて関心を示すとき,千代田は決まって手のつけられない猛獣と化すのだった。

 僕は挑発する愉しみを覚えた。

 我が 儘 な しもべをいじめ抜き,従順にさせ,よろこばせながら,感極まって呻く千代田のありさまを見ているときは気分が紛れた。そんな具合に,上擦った涙まじりの声を聞きつつ,千代田が狂乱している最中に電話が鳴った。液晶ディスプレーが343の番号を表示している。343は3階南東に位置する客室の内線番号だ。御歌が呼んでいる……。

 何かの声が聞こえる。自分の声ではなかった。動物か虫だろうか……。御歌の声だと知れた。御歌が僕の名を呼び,ドアをノックしている。

「行くな……」

 千代田が囁いた。

 ドアノックが2度高く響いた。反射的に体は動いたが,屈辱的な格好に押さえつけられ,無理強いされる。激しく抵抗した。

「こんなに頼んでも駄目?……妹はすごく献身的だった。こっちがなんにも言わないのにさ」

 大暴れしたが,重しの巨体は微動だにしない。緩みきった顔面に唾を吐きつけてやる。

 唾の塊がこめかみをつたって頰へ垂れる。節榑ふしくれ 立 つ 指が伸びたかと思えば,ひょいと濁った塊を掬いあげ,分厚い唇のなかに指ごとおさめる。二股にわれた顎がもぐもぐ動いた。

 気が動転した。泣き喚きながら,むちゃくちゃに頭を振って,繰り返し唾をふきかける。

「もったいないよ」

 口を塞がれて唾液を吸いとられた。

 僕に自由はないのだろうか――考えに考え抜いた。行きついた答えは呼吸だ。岩みたいに頑として息をしてやるまい。呼吸をとめた。

「……おい,何をしてるんだ」

 異変に気づいたらしい。

 薄目をあけて虚空を見ていた僕は全身を揺さ振られた。堪らず速い呼吸をして咳きこんだ。

「馬鹿……マジにするなよ。言ったろ,ほかの誰かじゃ無理なんだって」

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