第30話 甥の幸一

 あらゆる約束を反故にする千代田を襤褸雑巾同然に捨てて思い知らせてやりたかった。なのに僕は無能だ。それどころかアルコールの抜けた脳のまま抗いもせず慰みものになり,忌まわしいことには狂ったように咆哮する千代田を黙らせるために進んで物分かりのよい慰安夫になりきった。

 千代田が僕を調教するために御歌を利用したことは腹立たしかったが,それよりも御歌の吐きつけた言葉が心に染みついて日増しに思考の大部分を占有していく。

 子供や親や兄弟のために拷問みたいな結婚生活に耐えている。御歌もそうなのだろうか。妹は幸せではないのだろうか。

「……苦労してるらしい……子供が受験に落ちてね……第2志望の高校に進学したって……けど,いじめにあってね……退学したってさ……だから,こっちの進学校に口をきいたんだ……とっても,きれいな子だったよ……誰かさんにそっくりで……彼のほうも,俺に気があるみたいだった……幸一こういちくんとかいったっけ……」

 甥の名前だった。

 受験に落ちたのか。どうして,いじめになんか……。まさか,僕のせいなのか。受験に失敗したのも内申書に親族の汚点を書かれたのかもしれない。たとえ,そうでないにせよ,伯父にまつわる悪評が勉強に集中する環境を乱さなかったはずはない。御歌の心労だって相当なものだ。また,婦人会の連中に根掘り葉掘り聞かれて,つらい思いをしたのだろう。

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