第17話 犠牲的セラピスト,蓋し聖職者
走り去る車の音と外気の気配とが雨を教えた。
悪寒がして布団を引き寄せる。布団に真っ赤な手形がついている。見れば,左の掌がざっくりと裂け,血に塗れているのだった。急に痛みを我慢できなくなった。腹痛も増した気がする。空虚で解放的な愉快さが,忽ち怒りと不安と恐れに沈んでいく。
解雇か――当然だ。また,社会のあぶれ者に戻るわけだ……。
仕方ない。それでも,身売りして暮らすよりは遥かに気高い。健康保険証がなくても全額払えば済むことだ。職業欄には無職と書いてカードをつくればいい。そうだ,堂々と振る舞って,人目など気にするな。人がどう思おうと,どうでもいいのだ。人は他人の真価など,何も分かりはしないのだから。実際,身売り稼業の僕を,誰もが決まってちやほやする。千代田先生の秘書さんですか。え,主治医さんですか。すごいですね,いや恐縮です。いつもお世話になります――そんな具合に頭をぺこぺこさげるのだ。本当はどんな働きをして,今の立場とお金を得たのか,まるで知らないくせして。暖かい部屋と,甘い食べ物と,クリーニングされた服の代償として,夜な夜な強いられる僕の奉仕がどんな卑しいものなのかを全然知らない。つまり,人は,真実何をしているかという事実より,社会通念上立派だとか,きれいだとかいう,好ましい行為をすると思われている職業の肩書きを評価するのだ。それなら,路上生活者や失業者に犠牲的セラピストでもいう名刺をもたせればいい。いいや!――むしろ,自身を傷つけながら,優越や興味,非難や攻撃の的となり,他人の心を癒やしてきた僕らこそ,正真正銘の聖職者と言えるだろう。
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