第15話 勝った!

「おまえと俺は7歳しか違わないってことさ。妹と旦那は17歳も離れてるんだろ」

 仕分けした資料をばらばらに落としてしまった。

 千代田がフロアに膝をつき,資料を点検し,分類してから,全てを重ねて差しだした。1分とかからない。

 資料を受けとり,ソファーに寝かせた鞄に押しこむ。眼鏡がずりさがる。懸命に怒りを抑えていた。

「もっとラフな関係でいい。リスペクトしてるんだよ。だから,雇ってるつもりなんかない。投資だよ,おまえの才能と将来に。大学病院にも俺が戻してやるから」

 誰も追ってこられない,深い深い穴底に飛びこみたい気分だ。

「逃げるのか」

 逃げる気持ちなんぞ通り越し,消えてしまいたい。なのに,腕をつかまれる。

「言いたいことはないのか。言い返してみろよ。俺に言ってみろ。俺を見ろ」

 そう言って,ぐいぐい力をこめる。卒倒しそうだ。目もくらむ。

「普段は口をきかないつもりか。あのときはすごくお喋りなくせに」

 そのまま揉みあいになり,互いの情動の火に油を注いだ。

 千代田の顔面を何度も拳骨で殴った。フロアに押さえつけられたとき,眼鏡が飛んで,レンズの片方がガスヒーターの下に転がり,そのまま見えなくなった。

 居間の家具が引っくり返り,本棚の硝子戸や,飾り棚の陶磁器が破裂するみたいに割れて,よじれた絨毯の上に破片が飛び散った。破片の一つが鮮烈に屈折した緑の光沢を帯びたとき,それをつかんで振りあげた。

 みじめな声が耳底にこだまする。

 澤渉が千代田を抱きすくめたまま,フロアに倒れた。すかさず僕は跳ね起き,廊下へ飛びでる。名前を呼ばれて振りむいたとき,甚だ愉快な気分につつまれた。澤渉が千代田にのしかかり,平たく組み伏せている。千代田の格好はまるで無様に土下座しているみたいだ。頭だけもたげて僕を見る頰に一筋の涙が流れた。

 なんの根拠も理由もないが,僕は勝ったと感じた。

 澤渉も顔をあげるなり,化け物を見るような目色を浮かべる。

 身体の奥からケラケラという声が聞こえる。自分の声かもしれなかった。

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