第13話 慰安夫契約
線と線との間隔の幅広な二重瞼が落ちてはひらき,眼球のわずかな白い部分が薄紫に染まる。頰のがさがさするのがこそばゆい。けたけた大笑いしたかもしれない。
何も見えない。何も聞こえない。夜は明けていないのだ。それで,働き者の2人もまだ起きていないのだ。昨日は日中眠っていたから,真夜中に目が覚めたのだろう。
時計を確かめたくて手をのばす。
誰かがいる。
「8時だよ」
救急車とパトカーのサイレンが混ざりあい,近づいて通り過ぎ,あっという間に遠ざかる――
そうか,東京に来たのだった。東京に着いてから何度も耳にする音の風景だ。
「先生,こちらにおいでですか」
「……」
「先生」
「……うん」
闇のむこうの声に,隣の男が返事した。男も横たわっているのだ。
「お急ぎください。時間です」
「……うん。いや,今日は行かない」
「……は」
「今日は休む」
「申し訳ございません。なんとおっしゃいましたか」
「今日は休む」
「ご冗談を」
「……」
「先生,先生!――」
そうだ。国会議員の家事手伝いをすることになり,彼の邸宅に連れてこられた。何か作ってくれと言われたが,料理は勿論,何もできない僕は包丁で指を切り,出前を取る破目に陥った。人前で食事をするのは苦手なせいで,俯いたままでいるうちに,次々新しい料理が注文される。まずいと焦りつつも,箸を動かせないでいると,議員はだんだん不機嫌になり,ついには無言でひたすら睨む。これではすぐにも不採用だと慌てて水を飲んだ。それきり記憶がない。
「記憶にございません。御尊父様が国務に穴をあけたことなど全く記憶にございません」
部屋の外の澤渉を無視して男が囁く。はっきり聞こえたけれども,さっぱり理解できない。多分聞き違いしているのだろう。
突然腰に腕を回され,引き寄せられた。全裸だった。男も僕も!?――男を押しのけ,飛び起きる。沈黙の後,声が言った。
「何を今さら,自分から誘ったくせに」
水を飲んでぶっ倒れ,介抱しているうちに,衣類をぽんぽん脱ぎはじめ,最後は抱きついてきた。幾つか条件を提示し,正式な慰安夫契約を結んだ上で一線を越えたのだと状況説明された。
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