第4話

「まあ!」


 アリスは今の何もかもの幸福な出来事によって、感極まって涙が滲んだ。次第に手首の傷がほんの些細なことのように思えてきた。

 

 アリスはモートのことをまた考えた。

 いつも無口で感情的になることがないが、頭が良く対人関係ではある種のとても奇妙な強さを持っていた。

 

 そんなモートはアリスにとって素晴らしいフィアンセだった。


 アリスとシンクレアがバス停から降り、聖パッセンジャービジョン大学の急な石階段を登るころには、……何故か天空が真っ赤に染まっていた。アリスは不思議に思って空を見上げた。シンクレアはそれでも陽気に話し掛けてくる。


 空から何か大きなものが地へと落ちてくる。それは赤い色の塊だった。その次は多くの赤い水滴が降りだした。まるで空がガラスか何かで傷つけられたような光景だった。


 ホワイトシティ全体が一斉に血の雨で真っ赤になり出した。

 

「あら? ねえ、アリス……空が真っ赤よねえ? それに赤い雨……」


 激しい眩暈に襲われ卒倒しそうになったアリスは、聖パッセンジャービジョン大学の片隅で、モートの姿を偶然見つけた。モートは一人。壁に寄り掛かりながら何かを熱心に読んでいたが、空の異変に気付き、どこかへと走り去っていった。


 きっと、この地上へと再び舞い降りた天使のオーゼムのところだろう。

 アリスは気を失う寸前に……そう思った。



――――


「やあ、アリス。もう大丈夫だよ」


 アリスはその抑揚のない声で気を取り戻した。


 目を開けて辺りを見回すと、目覚めた場所は、広大なサロンだった。サロンの壁面には13枚の美しい女性の絵画。30を超える高級な東洋の壺。みずみずしい花が飾られた花瓶が飾ってあった。 


 抑揚のない声の主は、背が高く流れるような銀髪のモートだった。

 どうやら、アリスはサロンの端の簡易ソファに横になっていたようだ。モートの傍にはオーゼムが佇んでいた。

 オーゼムはオールバックの黒色の髪で長身だった。


「一体、なんなのでしょう? この現象は? けれども、モート君が元凶のゾンビを全て狩ると空から血の雨は降らなくなったようです。まあ、また降って来るでしょうけどね」

「ゾンビ?」

「そうだと思います。死んだ人が動いていましたからねえ……あ、そうそう。アリスさんの手首の傷は、どうやら鞭打ちのような聖痕で間違えないようですね」


「オーゼムさん。聖痕って一体なんなのです?」


 アリスは底知れぬ不安からオーゼムに少し詰問気味に言ってしまった。

 オーゼムは気にする風もなく。オールバックを整えながら、このサロンの壁画などを見回しながら。


「今のところまだわかりません……恐らくは……。あ! この女性の絵だけ他の絵よりも高価そうですね!」


 アリスの肩にモートが優しく手を置いて抑揚のない声で言った。


「アリス。何も心配しなくていいだよ」

「……ええ、わかりました。ちょっとわからないところが多すぎますけど。モートがそう言ってくれるなら……」

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