第8話 アニーとルシ

 絵本で見たという魔女。

 それは、童話の如く語り継がれる、魔女という空想上の生き物を指していた。魔法が使えて、ほうきで空を飛び、とんがり帽子をかぶる女性。それが魔女であり、一般世間の認識だった。


 けれど魔女たちは、迫害されていたわけではない。その逆である。かつて戦争の道具として利用されたため、魔女たちは世を捨てたのだ。


 私たちが魔法を使うのは、自分たちのため。人と関わるのは、ただの気まぐれ。人助けもそうだ。お祖母様が義父に関わったのは、見ていられなかっただけなのだ。

 何も取れない場所を、長い年月をかけて一生懸命に掘る姿を見ていたら……教えてあげたくなるものではないの?


 だからかつての魔女たちの行動も理解できた。魔女は常に群れを成さない。故に時々、人恋しさで関わりたくなる。そして称賛され、懇願され、祭り上げられた末の道具だなんて、なんという皮肉なのだろうか。

 そのため魔女たちは、表舞台から姿を消すことにしたのだ。私たちは群れを成さない代わりに、絆は強かったから。仲間を守るため、自らを守るために下した決断だった。

 だからお祖母様は口を酸っぱくして、私に注意をしていたのだ。


『アニタ。魔法を使っても構わないが、魔女だと知られてはいけないよ。絶対にね』


 けれど私は魔法が好きで、ちょいちょい使ってはお祖母様に怒られていた。

 今だってそうだ。一般世間が魔女を忘れようと、空想上の生き物だと認識しているのだから、バレはしないだろう、とそんな安易な気持ちで使ってしまった。


 けれど、たったあれくらいの些細な魔法に気づく者がいるとでもいうの? 少しばかり身体能力が高い、程度に普通は思うでしょう。違うのかしら?


「私は魔女ではないわ」

「それなら、お名前を教えて?」

「え? どうして?」

「だって不便でしょう。教えてくれないのなら、魔女さんって呼ぶけど?」


 純粋そうな顔して、なんてしたたかな子なの!?

 強か? ん? ということは、まさかこの子……。


「分かったわ。その代わり、貴女の名前も教えて」

「わぁ、本当? 私はル……」

「ル?」

「えっと、ル……ルシ。ルシって言うの。貴女は?」


 少女、ルシの名前を知るいい案だと思って切り出したのに、いざ名前を聞かれると、私も戸惑ってしまった。


 どうしよう。仮の名前を考えていなかった! お祖母様の名前……はバチが当たりそうだから……ええい!


「わ、私は……その……アニーよ」


 アニタだからアニーってバカか、私は!


 後悔しても言ってしまったものは取り消せない。二人の間に、しばしの沈黙が流れた。


 気まずい空気。それを打ち破るかのように、ぐぅ~という音が鳴った。夜ということも相まって、部屋によく響く。

 私は咄嗟にお腹を抑えるも、後の祭り。恥ずかしくてどうにかなりそうになっていると、ルシからある提案を持ちかけられた。


「……まだ手をつけていないけれど、私のお夜食を食べる?」


 ルシはそう言いながら、テーブルに置かれた食事を指した。そう、厨房で見た、あの食事である。それを見た途端、再びお腹が鳴り……その申し出を受けることにした。


 もしも今、私の姿が二十歳だったら、部屋から飛び出していたことだろう。

 魔法で十五歳の姿にしていて良かったと、この瞬間、どれほど思ったことか計り知れなかった。



 ***


「まぁ、夕食の時間に間に合わなくて、厨房に忍び込んだの?」


 私はルシの食事をいただきながら、これまでのことを洗いざらい話した。勿論、ルシア様の家庭教師として来たことや、本当は二十歳だということは内緒である。


「うん。うっかり忘れていて」


 寝過ごしたとも言えなかった。ルシには、私が使用人だと思ってもらう方が、都合が良かったからだ。


「それにしても、ルシは食べなくていいの? もらっている私が言うのもおかしい話だけど」

「いいのいいの。元々、お腹は空いていなかったから」

「そう。だったら、いいけど……」


 本当は良くないことだって、ルシを見ていれば分かる。遠くで見ていた時でさえ感じていたからだろう。テーブル越しに見るルシは、さらに細くて、ちょっと押しただけでも倒れてしまいそうだった。


 私は改めて、ルシのために用意された食事に視線を下ろす。少量のサラダとパンに、温かいスープ。スプーンをくぐらせると、小さいけれどお肉が入っていた。さらに溶き卵も入っていて……明らかに栄養に配慮されたものだと分かる。


 これでもお祖母様と二人、山奥で暮らしをしていたのだ。その辺の貴族令嬢よりかは詳しかった。さらにアカデミーの食堂でお世話になっているため、ある程度の食事情は理解しているつもりである。

 だからこそ、聞かずにはいられなかった。


「ルシは、ずっとこの部屋にいるの?」

「そうよ。もしかして、アニーは来たばかりなの? だから誰も教えてくれなかったのね」

「あっ、うん。覚えることがいっぱいあるから、まだなのよ」

「でも、ここに来ちゃダメとは言われなかった?」


 普通、家庭教師は訪問先を探索しない。無闇に出歩けば怪しまれるし、生徒が優秀であればあるほど、自分のことで手一杯になるからだ。だから、わざわざ教える必要はない。


 私の場合は、そもそも教材を作る必要がないから、余裕があっただけで。その内情を使用人たちは知らないのだ。


「多分、二階に行く必要がないから、後回しにされたのよ。覚えることがたくさんあるから、一遍いっぺんに言われても、混乱してしまうでしょう?」

「確かに。ふふふっ、だからアニーは、うっかり夕食の時間に間に合わなかったのね。もしかして、この匂いに誘われて木の上にいたの?」

「違うわ! もう、そこは突っ込まないで!」


 感覚的にメイドの後をつけたのは、野次馬だと思っていたけれど、食い意地だと言われると否定はできなかった。さっきのことを考えれば尚更である。


 けれど慌てる私とは対照的に、ルシは声のトーンを低くして言った。


「私はね、アニー。この部屋から出たくても出られないの」


 それは……どういうこと?

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