第8話 アニーとルシ
絵本で見た魔女。
この少女の言う通り、魔女というのは空想上の生き物。それが一般世間の認識だった。
迫害されていたわけではない。その逆だ。かつて戦争の道具として利用されたため、魔女たちは世を捨てた。
称賛され、懇願され、祭り上げられた末の道具だなんて、なんと皮肉なのだろう。
だから、魔女たちは表舞台から姿を消した。
『魔女だと知られてはいけないよ』
お祖母様から耳が痛くなるほど言われていた言葉だった。
けれど私は魔法が好きで、ちょいちょい使ってはお祖母様に怒られていた。
今だってそう。一般世間が魔女を忘れようと、空想上の生き物だと認識しているのだから、バレはしないだろう。そんな安易な気持ちで使ってしまった。
けれど、たったあれくらいの魔法。少しばかり身体能力が高い、程度のことじゃない。何でそう思うの?
「私は魔女じゃないわ」
「なら、お名前を教えて?」
「え? 何で?」
「だって不便でしょう。教えてくれないのなら、魔女さんって呼ぶけど?」
純粋そうな顔して、なんて
強か? ん? ということは、まさかこの子……。
「その代わり、貴女の名前も教えて」
「わぁ、本当? 私はル……」
「ル?」
「えっと、ル……ルシ。ルシって言うの。貴女は?」
少女、ルシの名前を知るいい案だと思って切り出したのに、いざ名前を聞かれると、私も戸惑ってしまった。
どうしよう。仮の名前を考えていなかった!
お祖母様の名前……はバチが当たりそうだし……ええい!
「わ、私は……その……アニーよ」
アニタだからアニーってバカか、私は!
後悔しても言ってしまったものは取り消せない。
しばしの沈黙が二人の間に流れた。
気まずい空気。それを打ち破るかのように、ぐぅ~という音が鳴った。夜だからなのか、部屋中に響き渡るほど。
「……まだ手をつけていないけど、私のお夜食、食べる?」
ルシの申し出に、私は顔を真っ赤にしながら頷いた。
もしも今、私の姿が二十歳だったら、部屋から飛び出していただろう。
魔法で十五歳の姿にしていて良かったと、この瞬間、どんなに思ったことか計り知れなかった。
***
「まぁ、夕食の時間に間に合わなかったから、厨房に忍び込んだの?」
私はルシの食事をいただきながら、洗いざらい話した。
本当は二十歳で、ルシア様の家庭教師として来たこと以外は。
「うん。うっかり忘れていて」
寝過ごしたとも言えなかった。ルシには、私が使用人だと思ってもらう方が、都合が良かったからだ。
「それにしても、ルシは食べなくていいの? もらっている私が言うのもおかしいけど」
「いいの。元々、お腹空いていなかったから」
「そう。なら、いいけど……」
本当は良くないことは、私にだって分かる。ルシはあまりにも線が細かったからだ。ちょっと押しただけで、倒れてしまいそうなほどに。
今、私が食べているものだって、どれも栄養に配慮された食事だった。
普段、アカデミーで質素な食事をしている私だから、より一層感じてしまうのかもしれないが。
「ルシは、ずっとこの部屋にいるの?」
「ふふふっ、アニーは来たばかりだから、誰も教えてくれなかったのね」
「あっ、うん。覚えることがいっぱいあるから、まだなんだ」
「でも、ここに来ちゃダメとは言われなかった?」
普通、家庭教師は訪問先であまり出歩かない。怪しまれるし、生徒が優秀であればあるほど、自分のことで手一杯になるからだ。
だから、わざわざ教える必要はない。
私の場合は、そもそも教材を作る必要がないから、余裕があっただけで。けれど、それを使用人たちは知らないのだ。
「多分、二階に行く必要がないから、後回しにされたんだと思う」
「ふふふっ、それほどアニーはお腹が空いていたのね」
「も、もう! そこは突っ込まないで!」
感覚的にメイドの後をつけたのは、野次馬だと思っていたけれど、食い意地と言われれば否定ができない。さっきのことを考えれば尚更だった。
そんな私とは対照的に、ルシは声のトーンを低くして言った。
「私はね、アニー。この部屋から出たくても出られないの」
それは、どういうこと?
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