第6話 八つ当たりと野次馬

 腹が減っては戦ができぬ、とは言うけれど。腹が減っているからこそ何でもできる、ということがある。

 そう、脳が機能していないだけなのだ。


 多分、正常な状態だったら、私はこんな選択をしなかっただろう。

 己の姿を消す魔法を使ってまで、厨房に忍び込もうとは。


「これ、バレたらマズいけど。背に腹は代えられないし」


 幸いにも、厨房の灯りは点いていなかった。

 それでも魔法はそのままにして、中へ入る。


「さすが公爵邸。広くて綺麗~」


 しかも、食材は豊富にある。私はちょろまかしてもバレなさそうな食材、それでいて、生でも食べられそうな果物に手を伸ばした。

 いかにも甘いと分かる、赤く熟れたリンゴに。


 風魔法で八等分にしてから、その一つを口に入れる。


「甘い」


 食べなくても蜜の多さで分かるが、それでも私は声に出した。すると突然、厨房の中が明るくなった。


 もしかして、バレた!?


 姿を魔法で消しているとはいえ、物音までは消せない。


 コツコツ、と向かってくる足音。


 一人だろうか。それも重くない足取り。女性?


 私はゆっくり、その場を離れながら様子を窺った。


 白いエプロンに紺のスカート。髪もしっかりまとめたメイドだった。

 けれど、ここからでは何をしているのかまでは見えない。


 じっと耳を澄ませていると、食器の音、水の音、まな板で何かを切る音が聞こえてきた。

 さらに、グツグツと何かを煮ている音ともに、いい匂いが厨房を満たす。


「メイドがこんな時間に料理?」


 私と同じで夕食の時間に間に合わなかったのだろうか。それとも誰かに作っているのか。


 思わず私も、という気持ちが込み上げてきたが、今さら姿を現すわけにもいかない。渋々、厨房を出ることにした。

 一端出て、何食わぬ顔で厨房に入るのはどうだろう。「夕食を食べ逃がしてしまって」とか何とか言って、ご相伴しょうばんにあずかるくらいならいいのでは?


 うん。このプランなら、怪しまれない。


 そう思った矢先、メイドが別の動きをし始めた。奥からワゴンを出してきて、作ったばかりの料理を乗せる。


 つまり、ここでは食べない?


 希望という名のプランが潰えると、今度は誰に持って行くのかが気になった。


 まぁ、ただの八つ当たりなんだけどね。


 一体、誰のせいで、食事にありつけなくなったのか。野次馬と変わらない気持ちで、メイドの後をつけた。


 厨房を出て、長い廊下を歩く。エントランスまでは行かず、途中にある階段を上り、二階へ。


 もしかして、同僚ではない。

 ディアス公爵様? それともルシア様……。いや、さすがにもう寝ている時間だろう。


 しかし、あの十五歳の少女が素直に寝るだろうか。


 私は頭を振った。公爵邸にはもう一人いることを思い出したのだ。

 ご挨拶はできなかったが、ディアス公爵様の奥方、つまり公爵夫人だ。


 それなら辻褄が合う。けれど、私の野次馬根性の火は消えなかった。


「お食事を持って参りました」


 当たり前だが、私の思考など待った無しに、メイドは目的の部屋をノックする。


「どうぞ」


 子どもの声? それも女の子の。ということは、公爵夫人の部屋じゃないってこと?


 私はさらに気になって、扉を開けるメイドの傍まで行った。さすがに部屋の中までは入らなかったが、僅かに声の主が見えた。


 ルシア……様?


 五時間前に見た金髪碧眼の少女が、そこにいた。

 メイドが扉を閉めるまで、確認するように何度も見たが、あれは確かにルシア様だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る