第6話 八つ当たりと野次馬

 腹が減っては戦ができぬ、とは言うけれど。腹が減っているからこそ何でもできる、ということもある。簡単な話、脳が機能していないだけなのだ。


 おそらく正常な状態だったら、私はこんな選択をしなかっただろう。己の姿を消す魔法を使ってまで、厨房に忍び込もうとは。


「これ、バレたらマズいけど。背に腹は代えられないからなぁ……」


 幸いにも、厨房の灯りは点いていなかった。けれどここは内情も知らないディアス公爵邸。実家のコルテス男爵邸であっても、使用人たちの動きは把握していないというのに、他の邸宅なんて……知っている方がおかしい。

 だから私は、用心も兼ねて、魔法で姿を消したまま、中へと入った。


「さすが公爵邸。広くて綺麗~」


 わざわざ魔法をかけているのにも拘わらず、私は厨房を目にした途端、声を上げてしまった。勿論、視界の範囲内に人はいないことを確認してからだ。迂闊な行動だとは思えたが仕方がない。目の前には食材が豊富にあるのだ。

 私はその中から、ちょろまかしてもバレなさそうな食材、それでいて、生でも食べられそうな果物に手を伸ばした。そう、いかにも甘いと分かる、赤く熟れたリンゴに。


「美味しそう」


 このまま齧りついてもいいのだが、私は風魔法で八等分にした。その切り口から、食べなくても甘いと分かる密の多さ。思わずゴクリと喉が鳴った。


「ん~~! 甘くて美味しい!」


 その一つを食べた途端、思わず声が出た。甘さは勿論のことだが、瑞々しさと食感が絶妙である。リンゴは噛んだ瞬間の歯ごたえも重要だからだ。

 さすがはディアス公爵家に納められていることはある、と一人納得をしていたら、突然、厨房の中が明るくなった。


 もしかして、バレた!?


 姿を魔法で消しているとはいえ、物音までは消すことができない。人がいないことをいいことに、少々羽目を外し過ぎたか。


 私は厨房の隅に身を寄せて、コツコツと向かってくる足音に神経を集中させた。その軽い足取りから、おそらく女性だろう。さらに足音はリズムよく聞こえてきて、重なることはない。そのことからすぐに一人だと推測できた。


 けれど私は警戒心を緩めずに、ゆっくりと移動をしながら様子を窺った。ほんの少し、相手に興味が湧いたのだ。

 もしかしたら、いい食事にありつけるかもしれない。こんな夜中に厨房にやってくる女の使用人。ルシア様……という線はあり得ない。あんな横柄な振る舞いをしていたが、一応病弱なのだ。いくら厨房に忍び込んでも、料理ができるとは思えなかった。


 すると必然的に考えられるのは、私と同じ夕食を食べそこなった使用人、という線が濃厚だろう。そしてここでやることは一つしかない。そう、料理を作ること!


 私は再びゴクリと喉を鳴らして、その者が見える位置まで移動した。


「やっぱり……」


 そこにいたのは、私の想像した通りの人物だった。白いフリルのついたエプロンに紺のスカート。私をルシア様の部屋と、私室に案内してくれた者と同じ格好をしていたから間違いない。ディアス公爵家のメイドだった。

 しかし目の前の女性は髪を結い上げているから、昼間のメイドではないだろう。髪の色も黒ではなかったはずだ。そう、私と同じ茶色い髪だったから覚えている。おどおどしたメイドで、とてもじゃないが、目の前のメイドのように堂々としていなかった。


 世話なく動き回る、目の前のメイド。おそらく料理をしているのだろう、と思ったが、ここからではよく見えなかった。代わりに聞こえてくる食器の音や流れる水の音。軽快にまな板で何かを切る音。さらに、グツグツと何かを煮ている音ともに、いい匂いが厨房を満たす。


「美味しそう」


 うん。きっと美味しいに決まっている。私もご相伴しょうばんにあずかれないだろうか。さすがに今、ここで姿を現すわけにもいかないから、一度厨房を出て、何食わぬ顔で戻れば怪しまれない。


 さらに「夕食を食べ逃してしまって」と言えば、同情を引けるかもしれないだろう。おそらく彼女もまた、私と同じで夕食に間に合わなかった者。もしくは同僚がそうだという可能性があるからだ。


 うんうん。このプランなら怪しまれない。なんなら「いい匂いに誘われて~」と持ち上げれば、作った本人も悪い気はしないだろう。


 よし、その手で行こう、と思った矢先、メイドが別の動きをし始めた。奥からワゴンを出してきて、作ったばかりの料理を乗せたのだ。


 え? つまり、ここでは食べない?


 希望という名のプランが潰えると、今度は誰に持って行くのかが気になった。


 ただ単に、一体、誰のせいで、食事にありつけなくなったのか、という八つ当たりと同じ心境からくる動機だった。あとは野次馬のようなものだろうか。

 そう、断じて匂いに釣られてメイドの後を追ったわけではないことを言っておこう。


 カラカラとワゴンを押しながら、厨房を出て行ったメイドは、右折をしてそのまま長い廊下を歩く。その先はエントランスだが、そこまでは行かず、途中にある階段を上り、二階へと足を踏み入れた。


 これはもしかして、同僚ではない。

 それならディアス公爵様に? 夜遅くまでお仕事をしていてもおかしくはない人物だ。あとはルシア様……か。いやいや、ルシア様は十五歳だ。さすがにもう寝ている時間だろう。


 しかし、あの横柄な少女が素直に寝るだろうか。


 私は頭を振った。そして公爵邸にはもう一人いることを思い出したのだ。ご挨拶はできなかったが、ディアス公爵様の奥方、つまり公爵夫人だ。


 それなら辻褄が合う。けれど私の野次馬根性の火は消えなかった。むしろさらに火力が増した、といった方が正しいだろう。


「お食事を持って参りました」


 当たり前のことだが、私の思考などお構いなしに、メイドは目的の部屋をノックした。


「どうぞ」


 すると聞こえてきたのは子どもの声。それも可愛らしい女の子の声だった。ということは、公爵夫人の部屋ではないらしい。


 公爵邸に、ルシア様以外の女の子が? いやいや、そんな情報は聞いていない。


 けれどメイドの口調から察しても、同じ使用人の子ども、ということはあり得なかった。

 私はさらに気になって、扉を開けるメイドの傍まで近寄る。さすがに部屋の中までは入らなかったが、僅かに声の主が見えた。


 金色の髪に、クリっとした青い瞳の……ルシア、様?


 五時間前に見た金髪の美少女が、そこにいた。しかし耳にした声は、横柄な態度をしていた昼間の美少女とは違う。それに雰囲気だって……。


 私はメイドが扉を閉めるまで、何度も確認するように彼女を見た。見続けた。しかし見れば見るほど、あれはルシア様だと脳が教えてくれる。私の心は違う、と訴えていたとしても。

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