第5話 一難去ってまた一難

 しめしめ、と思いながら私は続きを話そうとした。が、その前にチリィンという音に阻まれた。そう、呼び鈴のような音に。


 ハッとなって、私はテーブルの上にあるルシア様の手元を見た。すでに役目を終えたのか、ハンドベルのような形をした呼び鈴が、テーブルにそっと置かれる。


 え? どういうこと?


 疑問を抱いている間に、メイドが部屋に入って来た。


 さすがは公爵家のメイド。秒で来るとは。じゃなくて、何で? もうお払い箱!?

 いや、それでもいいんだけど、理由くらいは聞きたい……。


「今日の授業は終いだ。部屋の準備はできているか」

「はい。いつでも使えるようにしてあります」

「案内してやってくれ」

かしこまりました」


 ではこちらに、とメイドにうながされる。

 けれど私は納得がいかず、ルシア様の前に立った。すると、ルシア様は何かに向かって、小さく顎をしゃくってみせた。


「授業はいくら遅くなっても、四時までだ。父上に聞かなかったのか」

「あっ、申し訳ありません。失念しておりました」


 視線の先にある時計は、長針が十二を指しても、音は鳴らない。

 この部屋に来た時間は覚えていないが、いつの間にか短針が四の近くまで来ていたようだ。


「話の続きは明日聞く。それでいいな」

「はい。では明日もよろしくお願い致します」


 とりあえず初日でクビになったわけではないことに安堵して、私はメイドの後を追って部屋を出た。


 もしもここで帰らされたら、養父との取引が白紙になってしまう。根っからの商人気質であるため、その可能性は大いに高かった。


 せめて二、三日は勤めてもらわなければ、割に合わない。そう思う人だから。


 ひとまず難関を突破した私は、宛がわれた部屋へと入る。


 綺麗に整えられた調度品。必要最低限の物しか置かれていない、簡素な部屋だった。


 それでも、実家であるコルテス男爵邸にある私室よりも広い。

 テーブルの質。ソファの肌触り。さらには天蓋付きのベッドまで。


 一介の学生にしては豪華な部屋に、思わず私は「あっ」と声が出そうになった。開いた口を手で塞ぐ。


 住み込みとはいえ、立場は家庭教師。云わば客人なのだ。

 そのような者を、使用人たちが使う部屋に通すわけがない。


 さらに、今までの家庭教師のことを思うと、納得のいく部屋だった。男女兼用といっても過言ではない。

 そもそも私のような学生が、公女様の家庭教師だなんて、それ自体がおかしいのだから。


「何かありましたらお呼びください」

「ありがとうございます」


 会釈してメイドを見送った後、私はふかふかのベッドにダイブした。



 ***



「あぁ、やってしまった」


 何を?


「寝過ごした」


 そう、あのまま私は寝てしまったのだ。

 時計を見ると九時。窓の外は真っ暗。最悪なことに、夕食の時間はとっくに過ぎている。


「これがいけないのよ!」


 思わず私は叫んだ。原因となった物に向かって。


「こんなに、こんなにもふかふかなのが!」


 アカデミーの寮は勿論のこと、コルテス男爵邸でも、こんな質の良いシーツは使われていない。

 こんな気持ちがいいほど、柔らかくてふかふかなシーツにお目にかかったのだって、生まれて初めてのことだった。


 さすがはディアス公爵家……。


「じゃなくて、これからどうしよう」


 喉の渇きと空腹が私を襲う。


「厨房に……いやいや、来たばかりだから、不審者扱いされるかもしれない」


 だからといって、翌朝まで待つか。というには無理がある。


「ここは奥の手を使うしかなさそうね」


 空腹で動けなくなる前に行動しなければ。背に腹は代えられない。


 私は決意をして、ベッドから降りた。

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