第3話 北欧神話
「とりあえず、係内で現状報告をしていてください」
放課後の会議室。文化祭実行委員長の指示に従い、集められた文実の連中が、動き出す。
憂鬱だ。などとまたもや考えながら、天井に取り付けられた蛍光灯の白を見つめる。
何度会議に参加しても、この空気は耐え難い。皆が一丸となって、何かを成し遂げようとする、その熱意や闘志がどうも苦手だ。
文実の人間は、仕事を始めて三か月。やる気もアイデアも満ち溢れている。一方、俺のような生徒会の人間は、そうではない。次の夏で、もう二年が経つ。最初こそやる気があったものの、今では仕事を単なる作業としている節がある。故に、だるい。
こういうときは、話しかけるなオーラを出し、隅の方でじっとする。何もしなくとも会議は終わる。「光栄ある孤立」だ。
ただ、この仕事もそこまで甘くはない。直属の上司、総務副係長の
「ごめん、今大丈夫かな」
「あ、はい。全く問題ないです」
彼女は、コの字に並べられた長机の上から、ファイルを手に取ると、「ちょっと待ってね」と一言述べたのち、俺が担当している記念品に関する資料を引っ張り出した。
「えーっと、まだ、係Tシャツの金額が決まってなかったんだよね?」
「そうっすね。それが、昨日ようやく決まったって感じです」
話に合わせ、「うん、うん」と丁寧に相槌を打ってくる。
和泉さんは、現在文実の仕事をしているが、本来は生徒会の人間。ともに作業をしている人間のほとんどとは、初対面のはずだ。にも関わらず、円滑に事が進んでいるのは、彼女の人間関係に対する丁寧な姿勢故なのだろう。俺のような、話しかけづらいぼっちにも、普通に接してくれる彼女だからこそ、総務係においては、これまで大きな失敗は起こっていないのだ。
「――なるほど。じゃあ、それで進めてもらっちゃおうかな」
話し終えると、和泉さんはショートカットの髪を揺らし、こちらに小さな笑みを向けてくる。
「了解しました」
それに対し、俺はボソッと返す。
「それにしても、すごいなぁ、山上くんは。この仕事を任せてよかった」
「いやまあ、去年の風月杯でもやってて、二回目ですから。どっちかっていうと、やれて当然」
そう。別にすごくはない。それに、生徒会に入るという選択は、自分でしたもの。自ら仕事を求めた者が、やれませんでしたというわけにはいかない。
「そんなことないよ。山上くんが安定感ある仕事をしてくれているおかげで、私は他の皆の仕事を手伝ってあげることができてる。もっと誇って」
「……あ、ありがとうございます」
しっかりと理由もつけ、感謝を述べてくれる彼女に対し、俺は一言返すこともままならない。
「じゃあ、そろそろ戻るね。また何かあったら連絡して」
「うっす」
彼女が自席に戻ったのを確認し、俺は再びうなだれる。
よくよく考えると、会議は何一つ進んでいない。今日も六時過ぎの便かなと、電車の時間を考えていると、それを遮るかのように、実行委員長が声を上げる。
「では、そろそろ本題の方を始めていきます」
本日のテーマは、文化祭のスローガンについてとのこと。こんなものはあってないようなもので、毎年考えてはいるものの、あまり生徒の関心が高いものとは思えない。とりあえず、それっぽいものを設定しておけばよいのだ。ただ、この場においては、そう思っている人間の方が少数派。会議室内が、討論の熱気に包まれた。
「山上くん。やっぱり漢字じゃないと大変かな?」
文実の話し合いを、半分意識を飛ばし聞いていると、和泉さんから尋ねられた。
花鳥祭のスローガンは、毎年漢字二文字。例年と異なるとなると、それを刺繍する文化祭ポロシャツにも影響が出てくる。そのことを彼女は危惧してくれたのだ。
「別に、ひらがなやカタカナ、英単語なんかでも大丈夫です」
業者のおっちゃんの発言を、そのまま伝える。
「分かった。ありがとう」
感謝の言葉を述べ、彼女は会議へと戻っていく。
再び白熱する話し合い。その片隅で、俺は三度姿を潜めた。
花冷えというやつだろうか。いくら日中暖かいとはいえ、夜はまだまだ肌寒い。学ランの第一ボタンを留め、上履きから靴へと履き替える。靴底が冷たい。
玄関口へと近づき、ガラス張りの壁から、外を眺める。案の定、日はすっかり落ちていた。重い扉を開け、春の終わりを告げる風と、奇妙なまでの静寂が流れる夜の中を、ゆっくりと歩み出す。
何もない世界が、俺の中の傷に塩を塗る。特別傷つくような、そんな人生を送っているつもりはない。傷つきもしない人生だからこそ、痛むのだ。虚無感ほど辛いものはない。
人間関係のトラブルに巻き込まれたり、そうならぬよう配慮したりすることに、疲れてしまった。だから、無理して人と関わることから身を遠ざけた。そうすることを、俺は自分で選択したのだ。それなのに、今はそのせいで心が痛い。
何も起きない、平穏な日常を過ごすことからも、人と関わりつつ、悩んで生きていくことからも、俺は逃げ出した。どちらも中途半端に嫌っている。
そんなことで悩んでいる自分を、とても情けなく思う。それでも、こんなふうに考えてしまっているのは、どこかで「こうなっているのは、自分のせいじゃない。世界のせいだ」と、そう思っているからではないだろうか。
俺は、身勝手に世界を恨んでいる。自分の思い通りにならない、この世界を。そんなこと、無意味なことだと分かっているのに。
それにしても、不気味なほど静かだ。
玄関から校門までの間、何一つ音がしていない。風の吹く音や、木々の揺れる音といった自然が発するものは存在しているが、人の声や、道具が出す音といった人の存在を介してのみ発生するものが全くない。
その不自然さが、俺の視線を校舎へ向ける。いくら帰るのが遅くなったとはいえ、誰一人校内にいないなどということはないだろう。実際、灯りの付いたままの教室も、いくつか確認できる。けれど、そこに人間の気配はまるでない。
校庭もそう。普段ならまだ野球部や、サッカー部、矢車がよく駆り出されているラグビー部の姿がある。ただ、今は人影一つなく、ただ仰々しい光が、照明にともっているだけであった。
「山上くんっ! 危ないっ!」
一人の少女が、困惑する俺を呼ぶのが聞こえた。その瞬間、身体の右側、当たるか当たらないかギリギリの位置に、一閃の雷が着弾した。それはバチバチという、いかにも雷らしい音をたてており、衝突した地面のアスファルトには真っ黒の焦げ跡ができている。
身体を蝕む不安と恐怖、それとほんの少しの高揚感。間違いない。それは昨日、真っ赤な炎を纏った男の人影と、遭遇したときに抱いた感情そのものである。
「対象を確認」
そのとき、先ほどのものとは違う声が、そう告げたが聞こえた。発せられたのは、俺の頭上。見上げると、そこには黄色い光に包まれた女性のものと思われる人影が浮遊していた。
あれは一体何なのか。これは一体どういう状況なのか。まるで理解が追いつかない。
ただ一つ。目前の非現実は、不変的で強固な現実、その崩壊を意味していた。
「何だよ……! 何なんだよ、これ……! 何が、どうなってるんだよ……!」
「打ち砕くもの――
人影を中心に、電撃の音が鳴り響く中、またも少女の声が聞こえる。
「ここは危ない。山上くん、私を信じてついてきて!」
そこには例の女、立花瑞希が佇んでいた。
「……分かりました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます