第4話 終末戦争(ラグナロク)
「なんでだよおおおぉぉぉ!」
闇夜の中を駆け抜ける。先ほどまでの寒さはなくなり、身体は嫌な熱気で包まれる。
張り付くワイシャツに、曇る眼鏡、尋常じゃない足の痛み。昨日と同じ現象が、またも俺を襲っていた。
同時に、あの炎の人影との逃走劇が、紛れもない事実であることを自覚する。この感覚は、間違いなく、一度身体で体験したもの。
高校から最寄り駅に続く、一直線の道。ここは、どうも走りにくい。無駄に凝ったデザインのせいで、細かな段差や凹みが目立つ。
「毒の大蛇よ。あなたが降伏しないという態度で迎えるのならば、私は再び槌を振るわねばなりません。大人しく降伏しなさい」
黄色い光を纏った女の人影が、冷徹な声を発した。
「あの! 一体あれは何なんですかっ!」
俺は、自分の左側を走る少女、立花瑞希に問いかける。
「詳しいことはあと! って、これ一回言ってみたかったんだよね!」
彼女は、どこかこの状況を楽しんでいるかのような、そんな笑みを浮かべている。
人影の正体を知っているのか? 人の気配のないこの世界に、何故彼女のみ存在しているのか? 色々と疑問は湧いてくるも、息切れで、それらを言葉にする余裕がない。
「安心してください。人払いの魔術はすでに発動しています。あなた方以外の人間に危害が加わる心配はありません。ので、大人しく私の力の前に屈してください。――閃光の雷」
俺たちの前に、先ほどと同様の落雷が発生する。
「おいおい! 嘘だろ!」
それを、寸前のところで回避する。
「力を解放しなくてよろしいのですか?」
光の中からうっすらと覗く女の瞳は、俺を見ているように感じた。
「こちらとしては好都合です。それでは、そろそろ終わりにしましょう」
今までよりも、さらに大きく冷徹な声が、桐生の街に響き渡る。右腕を天高くつき上げる人影。握られているハンマーは、その台詞に呼応するかのように、黄色い光を解き放つ。
明らかにまずい雰囲気。今自分が、どのような状況に陥っているのかは、まるで見当がつかないが、それでもここに立ち止まっていてはいけないと、本能で察する。
俺は、藁にもすがる思いで、立花さんへと視線を向けた。
「このままじゃ危険です! 立花さん! 立花さんっ!」
緊張。それよりも恐怖に近いだろうか。頭の中を、負の感情が支配していく。
「打ち砕くもの――閃光の雷よ。私に、毒の大蛇をしとめる力を!」
無慈悲にも振り下ろされるハンマー。すると、俺たちの頭上に、一つの光球が出現。凄まじい轟音と閃光に、当たり一面が包まれる。
「立花さんっ!」
足がすくむ。身体が動かない。生まれて初めての非現実は、恐怖そのものでしかない。
だから、無責任と分かっていながらも、立花のことを頼ってしまう。
「――大丈夫だよ」
そんな俺に、彼女は優しく微笑んだ。
「さて、管理者権限発動と行きますか!」
夜風に髪を靡かせるその少女は、いつもの調子で明るく叫ぶ。
「行くよ! 火大・アグニ!」
彼女の右腕が、オレンジ色に光り出す。
暖かな色が、ゆっくりと世界を染めていく。
空間が歪む。まるで真夏の陽炎のように。まるでガラス細工のように。シャボン玉みたいな見た目の空気が、花の模様を形づくる。光球との間に、美しく大きな花が咲いた。
同時に俺は理解する。昨日の少女が立花瑞希であったことを。
「立花さん……」
「発動!」
頭上の光球から、強烈な光を纏った雷が、こちらに向かって放たれる。
激しい衝撃と轟音を生みつつ、その雷と立花の花がぶつかり合う。両者の間からは、火花のようなものが、飛び散っている。
「私の勝ちだね!」
立花の言葉を裏付けるように、彼女の生み出した巨大な花が、光球を丸ごと吞み込んでいく。
それらは、凄まじい衝撃波を放ちながらも、なんとか爆発四散した。
「走るよ!」
俺を残し、一人走り出す。
「ちょっと、待ってくださいよ!」
慌てて彼女の背を追いながら、またも闇夜を駆け抜ける。
駅への道から、右方に延びた路地へ折れると、数メートル先に馴染みのあるボウリング場の看板が見えてくる。すると、立花はその前で足を止め、近くの物陰に身を潜めた。多少困惑しながらもそれに続く。
急に速度を落としたことで、今までの負担が一気に身体にのしかかった。息を切らしながら、少女の隣にしゃがみ込むと同時に、汗と痛みが溢れ出す。汗の匂いはしていないかと、こんなときでも異性の目を気にしてしまう自分が、何とも気持ち悪い。
立花はそんなことを気にも留めていないのか、勢いよくこちらに身を乗り出し、俺の目前に顔を近づける。彼女の息遣いが分かるほどの距離。
「……山上くん」
俺を見つめるその瞳は、えらく真剣なもの。
「……世界を救うっていう私の仕事、手伝ってくれないかな?」
彼女は一体、何を言っているのだろうか。返答できずにいると、補足の説明を加え始める。
「んー。現状に合った言葉で説明するとしたら……とりあえず、あの中にいる和泉さんを助け出すのを手伝って! ……って、こんな感じかな?」
そちらに首を傾げられても困る。
この話には現実味がない。ただ、あの光球の中の人影が、和泉比奈のものであるというのは、本当であろう。短い髪の毛と小柄な体型が、彼女の雰囲気を醸し出していた。
「どうする?」
少女は俺に、小さくて白い、可憐な右手を差し出してくる。
これまでの話が、すべて本当であると仮定すると、この手を握るということは、再度あの人影と対峙するということだ。恐怖の念が、またも俺を侵食していく。ただ、それと比例するように、身体に熱が帯びるのが分かる。
俺は、待っていたのだ。退屈な日常から抜け出せるこんな展開を。ずっとずっとずっと。
「……俺も、連れて行ってください!」
「うん! 頼んだよ、山上くん!」
自身の意思を示すよう、少女の小さな手を握る。
どうやら、この物語の主人公は、山上和也であるらしい。
立花は手を掴んだまま、勢いよく物陰から飛び出す。そして、またも光球の中の人影、もとい和泉さんと向き合った。
「で、どうするんです?」
「詳しい説明は省くけど、ここはある小説の世界を模倣しているの」
雷の異能力者という時点で、もう十分非現実的だというのに、加えて小説の世界ときた。どうにか理解しようとするものの、やはりすっとは入ってこない。けれど立花は淡々と続ける。
「私はイレギュラーな存在だから、何の影響も受けない。でも山上くんは、この小説の世界に接続している。だから、君も和泉さんのように、異能を使うことができると思う」
彼女は、こちらに期待の眼差しを向ける。そんなことをされても、俺は異能を発現させる方法など知らない。
「えーっと、具体的には何をすれば……?」
頭に浮かんだ疑問を、そっくりそのまま口にする。
「うーん、とりあえず身体に力を込めてみるとか?」
どこが具体的なんだ。それを口にしようとするも、彼女の真剣な表情を見て、思いとどまる。どうやら、さっきの説明が本当に完璧なものだと思っているらしい。
「来るよ……山上くん!」
立花は、先ほどの巨大な花、火大・アグニなるものを形成。和泉さんの生み出した新たな光球からの雷と、またも激突する。
「早く!」
立花の声がこだまする。すると、それに影響されたかのように、俺の右腕が、紫色に光り出す。同時に、手の中に頑丈な何かの存在を感じる。重く冷たい金属のような触り心地のそれを、凝視する。そこには、蛇を一周させた輪の形状をした、銃のようなものが見えてくる。
「くっそ!」
何をすべきか分からないまま、一心不乱で光球の中の人影に向ける。
頭では何も理解できていない。ただ、人間の中の潜在的な、本能的な部分では、分かっている。自分とは別の、もっと大きな存在が、俺に答えを投げかけている。そんな気がする。
手探りで、蛇に組み込まれた引き金に指をかける。
とてつもない高揚感が、俺を満たした。
「行っけえええぇぇぇ!」
次の瞬間、銃から発せられた紫の光が、蛇の頭部を形作りつつ、放物線を描き、女の人影に激突。これまで以上の衝撃とともに、和泉さんを包んだ光は爆散した。
同時に、辺りがだんだんと白い光に包まれていく。
「あっ、すっかり忘れてた。山上くん!」
「は、はい!」
立花が俺の方へ、手のひらサイズの音楽プレーヤーを向けてくる。明るいオレンジ色の本体に、白色のボタン。そこから、レコードが再生されるときのような、じりじりという音がしはじめ、その後ゆっくりと機械的な女性の声が流れ出す。
『……ヨウコソ……アカシックレコードヘ……』
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