第2話 立花瑞希
ひどい目に遭った。
昼休み。生徒会室や職員室といった、生徒の寄りつきにくい部屋の並ぶ、静かな二階の廊下を進みつつ、今朝の出来事を思い出す。
例の女は、俺が緑山ではないと分かると「そっか」と残し、彼の方へと向かっていった。二人の関係はよく分からないが、文化祭前のこの時期に訪ねてくるということは、恐らくそれ関連。それも、放送係の。差し詰め、当日行われるラジオについて相談といったところだろう。
この学校に青春を期待していたわけでは決してないが、異性からあのような対応を取られれば、流石に心にくる。
「山上氏」
不意に、ある人物の声が、謦咳に接した。まるで、俺の中に蠢く憂鬱を、晴らすかのように。
天然パーマと、筋肉質な身体。一言で表すとしたら、「一回り大きい俺」といったところだろう。男の名は、
「ん? 何だよ、矢車か」
「私だったら、不都合なんかい」
「いやいや、なんか久しぶりだなと思ってさ」
「あー、まあ確かに三年になってから、あまり話してないかもね」
「そっちはいいよな。大志も中和もいて。こっちはマジで知り合いいなくて鬱」
矢車は、近くの教室の壁にかけられた時計を、ドアの窓からのぞき込む。
「そういや、なんで昼休みにこんなところおるん? そっちも自販機行く感じ?」
「いや、仕事。生徒会も文実の仕事手伝わされてて、ポロシャツとか係Tシャツとか、色々と作らないといけないんすよ。それで、業者と連絡取ったり、生徒から集金したり、それなりに大変ってこと。まあ、俺が自分から生徒会に入ったわけだから、文句は言えないんだけどね」
「また、変な仕事なんかい。ほんと社畜やな」
「まあ、そう言うな。で、そっちは?」
「こっちは自販機向かうところや」
「なるほどねー」
一段落ついたことを確認し、話題を替える。
「そうだ。そういえば、お前の小説、読ませてくれよ」
矢車も俺と同様、一応小説を書いているらしい。あくまで「らしい」だ。というのも、彼の作品を読んだことは一度もない。俺に限らず、恐らく誰にも読ませていない。
「いや、出版してからやな」
今回も軽くあしらわれてしまう。
「というか、山上氏は書けてるん?」
「俺は、まだスランプなんだよ、スランプ」
「別にスランプになるほど、書いとらんやろ」
この話題はまずい。再度すり替えにかかる。
「まあ、俺の話は置いておきましょう」
「なんやそれ」
「それより、お前の小説についてだ。北欧神話がテーマなんだっけ?」
「テーマっていうと若干違う気もするけど、一応意識してるって感じやね」
北欧神話といえば、ギリシャ神話や日本神話と並び、創作物のモチーフとして使われがちな神話の一つ。「オーディン」や「ラグナロク」、「ユグドラシル」なんかは、厨二病的な単語の代名詞と言ってもいいだろう。俺も自身も「フレイア」の名を用いた映画を作ったことがある。
創作する際の元ネタなんて、かっこよければ何でもいい。
「すまん。そろそろ行くわ」
再度時計を確認し、矢車は述べる。
「じゃあ」
「うっす」
彼は一階の自販機へと向かっていく。
俺も再び、教室までの道を進み出す。四限開始まで、それなりに時間が残っている。ただ次が世界史の授業であることを考慮すると、そう言ってもいられない。うちの担当の始業は早い。
「おーい! ちょっと待ってよー。山上くん!」
廊下に響く聞き覚えのある少女の声。
「いやー、探したよ! 山上くん!」
「はあ」
何故俺の名前を知っているのだろうかと、疑問の表情を浮かべる。すると、彼女はそれに気付いたのか、訪れた経緯を説明し始めた。
「私、文化祭の放送係で、今朝、緑山くんのところにはその話をしに行ったんだよね。そしたら、山上くんの仕事を手伝ってほしいって頼まれちゃってさ」
以前俺は自分の仕事、具体的にはTシャツの配布を手伝ってくれと、緑山に頼んだことがある。配布の際、時間を分け係別に行うため、放送設備が必要だからである。緑山は、知り合いの生徒を手伝いに寄越すと言ってくれていた。その生徒というのが、恐らく彼女だ。
よりによってなんで女子なんだ。勘弁してくれ。緑山は俺のコミュニケーション能力の低さを理解しているはず。忘れてしまったのだろうか。いや、違う。あいつのことだ。わざと彼女に任せたのだろう。ふざけやがって。
「ってことでよろしく!」
言いながら、俺の顔を覗き込んでくる。
「……あの、申し訳ないんですけど」
「ん? どうかした?」
「えっと、あなたの名前は?」
そう、こいつはまだ名乗っていない。
「あっ、そういえばまだ言ってなかったね」
体勢を整え、こちらへ視線を向ける。
「私は
チャイムの音と重なりつつも、彼女の声が、質素な世界を彩った。
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