第7話「受付嬢との世間話」
翌日から、ディオナの義手訓練が本格的に始まった。着脱はすぐに習得したものの、基礎動作が早速高い壁となって立ちはだかる。しかし、彼女は根気よく単調な動きを繰り返し、少しずつ滑らかに動かせるようにしていった。
日中、俺は二人分の食い扶持を稼ぐため傭兵組合で依頼をこなす。その間にも、彼女はひとり部屋の中で訓練を続ける。たまにユガの予定が空いていれば、彼の工房で指導も受けていた。
「オーガの子ねぇ。また変わったもの拾っちゃって」
カウンターに肘をつき、だらしなく顎を載せたまま、リリはそう言い放つ。ディアナの義手訓練が始まって一週間ほどが経ったこの日は、珍しく少し遠出する依頼を引き受けていた。ギリギリ日帰りできる距離だったものの、町へ戻ってきたのは門を閉じる間際のことで、組合には酔っ払いと宿無しが壁際に寝転がされているくらいで閑散としていた。
一応、組合自体は昼夜問わず窓口が開いており、常に依頼の受発注業務が行えるようになっている。この日はちょうど、リリが夜勤シフトに入っていたらしい。彼女は他に人がいないのを良いことに、いつものテキパキとした働きぶりをどこかへ隠し、だらけきった姿で対応してくれていた。
依頼達成確認業務の傍らに行われる世間話は、早々に俺の最近の働きぶりに話題を変えていく。十年以上ものあいだずっと、その日食べていける程度の稼ぎしか求めていなかった俺が、ここ数日は精力的に働くようになったのだ。今回の長時間依頼など、少し前の俺ならまず受けなかった。そんな俺の変化は、リリたち受付嬢の中でも噂になっているらしい。
「俺だって、拾うつもりはなかったさ」
「本当かしら。アランってば、昔から浮いた話の一つも聞かないから、みんな妙な納得しそうだわ」
「そんな誤解だけは絶対しないでくれよ」
悪口や陰口の類は本人の耳に入らなければ別にいいと思っているが、不名誉な烙印を好き好んで押されたいわけでもない。とはいえ、哀れな幼い少女の奴隷を買ったと言えば、話に尾鰭どころか足まで生えて駆け回りそうだ。
「片腕がない奴でな。世間知らずにつけ込まれて悪い商人に捕まったらしい。どっかの山で強制労働させられてたんだ」
ディアナの境遇を簡単に話すと、リリは驚いたようにヒゲを震わせる。さしもの彼女もそこまでハードな経緯があるとは思っていなかったようだ。申し訳なさそうに目を伏せる彼女に、別にいいさと首を振る。
「とりあえず、今は義手の訓練をしてるんだ」
「あら、世話焼きね。奴隷なんでしょ?」
「もともとは買ってすぐに解放して、どこへでも行けって言ったんだけどな。ちょっと頼まれ事を受けちまったんだ」
話せば話すほど、リリの目は奇妙なものをみるような色に変わる。自分でも言っていてびっくりするのだから仕方がない。奴隷を買った直後に解放するのも、その元奴隷から二束三文で依頼を受けるのも、冷静にできることではない。
「依頼はちゃんと組合を通してくれないと困るじゃない」
「そっちかよ」
予想外の方向から突っ込まれて思わず力が抜ける。リリは冗談よとクスクス笑った。普段は真面目で荒っぽい傭兵たちにも毅然と接する辣腕受付嬢なのに、あれは猫を被っているらしい。
珍しく茶目っけを見せたリリは、すぐに表情を落ち着かせて口を開く。
「それで、その頼まれごとって?」
「そいつを一人前の傭兵にする」
予想された質問に、用意していた答えを返す。すると、リリは予想していた通り鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。あまりにも上手くいきすぎて、こちらが思わず笑ってしまうほどだ。
「片腕のない女の子を一人前の傭兵にって……」
言外にバカなの?と彼女が言う。荒唐無稽なことを言っているのは、もう分かっているのだ。しかし、最近のディオナを見ていると、それが案外そうでもないかもしれないとも思い始めていた。
「もうずいぶん、義手の扱いにも慣れてきてるんだ。食事はもう右腕……義手でできるようになった」
「へぇ。その子も熱心なのね」
一人前の傭兵となって金を稼ぎ、学校へ行く。そんなディオナの本当の望みについては、なぜか黙ってしまった。あまり彼女の繊細なところを言いふらすのも悪いだろう。
代わりに俺は、ディオナがいかに真剣に訓練に打ち込んできたかを語る。基礎動作訓練は、失った腕を取り戻す訓練であるだけにとても過酷だ。彼女は来る日も来る日も部屋で一人ずっと訓練を続けてきたのだ。オーガの短絡的な性格は、延々と反復するような訓練と反りが合わないはずだが、彼女は文句や泣き言の一つも言わずにひたむきに続けていた。
「でも、基礎動作ができたところで傭兵にはなれないでしょう? 武器も握れないし、咄嗟に複雑な動きができないと」
「その辺は応用ってことで、今後に期待だな」
実際、ユガの指導書にはそのあたりもしっかりと書かれている。フォークが握れたり握手できたりするだけでは、日常生活はともかく傭兵としての活動にはまだ不十分。重たい武器を持ったり、強い衝撃を受け止めたり、時には繊細な植物を慎重に摘み取ったりと、様々な動作が求められる。それらの習熟は、基礎訓練がどれだけしっかりとできているかに左右されるとそこには書いてあった。
つまり、土台をしっかり固めなければ、建つものも建たないというわけだ。
「とはいえ、かなり自由に動かせるようになったからな。今後はそいつを連れて来るかもしれない」
「なに? 子連れで傭兵やろうっていうの?」
「見習いの弟子を連れてくるようなもんだよ。戦力にはならなくても、現場で見て覚えるのも大切だろ」
組合で正式に徒弟制度が整備されているわけではないが、個人的に上位の傭兵の下で指導を受けつつ経験を積むというのは駆け出し傭兵に珍しくはない。むしろ、積極的に先達から学ぶことで、その後の死亡率もかなり低下するようで、推奨すらされている。
なかには怪我や年齢で引退――つまり生き延びることのできた傭兵が学校や道場のようなものを開いていることもある。俺も老後はそういうところで穏やかに過ごしたいものだ。
ともかく、弟子を連れて活動する傭兵は珍しくない。片腕が義手のオーガ族、それも幼い少女となると人目を引くかもしれないが、止める権利を持つ者はいない。
「それじゃあしばらくはアランに面倒な依頼を押し付けられないのね」
「やっぱり塩漬けばっかり出してたのか」
残念そうにため息をつく強かな受付嬢を睨む。最近、どうにも面倒な条件が課されている依頼ばかり紹介されると思ったら、人が金に困っているのを良いことに、受注者がなかなか見つからない依頼ばかり押し付けてきていたらしい。組合は組合で苦労があるのだろうが、それにしても勘弁してほしい。
「いいじゃない。
「知らん国の言葉を使うんじゃねぇよ」
そろそろ良い歳のくせに、とは流石に言わない。荒くれ者ばかりの傭兵を日々相手にしている受付嬢を怒らせて、良いことなど一つもないのだ。
代わりに、ようやくリリが検算を終えた報酬の詰まった袋を受け取る。ずっしりと重たいこれも、帰り道で晩飯を買えば呆気なく軽くなってしまうのだろう。ままならない人生に侘しさを感じつつ、せめてしっかりと懐に納める。
「まあ、そう言うわけだから。明日からは簡単な依頼をキープしておいてくれよ」
「都合よくあったらね」
耳をぴこんと震わせて、受付嬢はにやりと笑う。どんな依頼が入ってきて、どんな依頼が誰に受注されるのかは組合ですら分からない。彼女にできるのは、できるだけ条件に合致した依頼と傭兵をつなげることだけだ。
とはいえ彼女も経験の長い強者だ。細かく言わずとも、良いように取り計らってくれることだろう。
俺はかるく手を振って、ひとけのない組合を後にする。飯を買ってアパートに帰ると、ディオナはまだ基礎訓練を続けていた。
「アラン、おかえり!」
「おう。しっかりやってるな」
「うん!」
一週間とそこらで、ディオナの義手捌きは見違えるほど上達した。手早く料理を温めて机に運ぶと、彼女は器用に右手でフォークを握って、肉を口に運ぶ。そんな彼女の成長に感心しつつ、俺は早速明日の予定を告げた。
「ディオナ。明日は一緒に傭兵組合に行くぞ」
「いいの?」
「ああ。一応、知り合いの受付嬢にも軽く話は通しておいたから」
「……ん」
リリのことに触れつつ説明すると、ディオナはフォークを咥えたまま浅く頷く。今まで熱心に訓練を重ねていたとはいえ、やはり町の外へ出るというのは緊張するものなのだろうか。そんなことを考えつつ、俺は自分のために買っておいた肉饅頭に齧り付いた。
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