第8話「いざ傭兵組合へ」

「おごっ!?」


 朝。俺は腹部に重くのしかかる衝撃で目が覚めた。屋根でも落ちてきたかと慌てて目を開くと、薄暗い室内で赤い瞳がこちらを覗き込んでいる。


「アラン! 朝だぞ!」

「ディオナ……。まだ夜じゃないか……」


 窓の外に目を向けると、まだ太陽は町の防壁すら越えていない。薄暗い、というよりは僅かに影が浮き出ている暗闇のなか、ディオナは元気に俺の腹の上に跨っていた。


「今日は傭兵組合に行くんでしょ」

「そうだが、もうちょっと寝かせてくれないか?」

「早く行こう!」


 だめだ、全然話を聞きやしない。昨日少し話しすぎたせいだろう。

 寝坊して傭兵デビューに失敗したらどうしようと要らぬ不安を抱えていたディオナを安心させるため、組合は二十四時間営業であることをうっかり伝えてしまったのだ。その瞬間、彼女は今すぐ行こうと部屋を飛び出しかけて、それを押し留めるのにずいぶん苦労した。

 まったく、一日仕事で疲労困憊の中年に対して酷なことをしてくれるものだ。

 頼むから寝かせてくれと頼んでベッドに引き篭ったのだが、どうやら彼女は全くもって諦めていなかったらしい。


「諦めてあと二、三時間くらい寝かせてくれよ……」

「オーガ族は粘り強い!」

「もっと別のところで発揮してくれ」


 なんとか彼女を退けて、床に投げ落とされたシーツを戻そうと格闘するが、ディオナは両足でがっちりと俺をホールドして離さない。元々は俺が主人であちらが奴隷だったことを忘れてやしないか。

 一瞬、購入してすぐに解放してしまったことを悔やみつつも、諦めて上体を持ち上げる。もぞもぞと動いていたら、すっかり目が覚めてしまった。ディオナの粘り勝ちである。


「はぁ、ねむ……」

「行くぞ! 行くぞ!」


 仔犬のようにぴょんぴょんとはしゃぎながら足元を走り回るディオナを避けて洗面所へ向かう。いささか冷たすぎる水で顔を洗い、一晩で生えてきた髭を剃り落とす。髭さえなければ、俺もまだまだ若く見えるだろ。


「というかディオナ。お前、そんな格好で行くつもりか?」

「え?」


 鏡に映る自分の背後でぴょこぴょこと跳ねているディオナを見て気がつく。


「ちゃんと義手は着けてるぞ?」

「そうじゃない。服だよ、服」


 彼女と共に暮らすようになってすぐ、色々と生活用品も揃えた。とはいえ、年頃の少女が好む服や、オーガ族にとって着心地の良い服などは何も知らないため、彼女は何枚か纏めて買った量産品のワンピースを着回している。今朝も洗いたてのパリッと乾いたワンピースを着て、準備万端と息巻いていた。

 しかし、彼女が今日向かうのは傭兵組合。そこで諸々の手続きを済ませた後は、町の外まで出るつもりだ。そうなると当然、魔獣と遭遇する危険も高まる。まだ農民たちの畑が広がる防壁近くならマシだが、そもそも俺たち傭兵は魔獣狩りがメインの稼ぎなのだ。一般人が行けないような場所に行くことで、金を稼いでいる。

 そんな危険がたっぷり待ち構えている場所に、街歩き用のワンピースで行けるはずもない。この日のために専用のものを買い揃えていたのだが、ディオナはすっかり忘れてしまっているらしい。


「あっ! そうだった、防具がいるんだ!」

「そういうことだ。一人で着替えられるか?」

「任せて!」


 ディオナは自信たっぷりに頷くと、タンスを開けて中から真新しい革の防具と布の服を引っ張り出す。傭兵として本格的に活動するには心許ない装備だが、農民や旅人なんかが身に付けていることも多い定番の品だ。構造も簡単で、ディオナでも装着は容易い。

 彼女が着替えをしているうちに、俺の方も手早く支度を進める。板金や鋲を打ち込んだ豚鬼オーク革の防具を身に着け、ナイフや薬といった道具を各所に納めていく。できれば荷物は極力少なくして身軽にしておきたいが、なかなか手ぶらでというわけにもいかない。身体に密着するようなスリングバッグを斜めにかけて、最後に槍を背負う。


「準備できたか?」

「もうちょっと!」


 鉢金を巻きつつディオナの様子を見ると、彼女もほとんど準備が終わっていた。口と左手をうまく使い、義手は補助程度に動かして、防具を身に付けるのもスムーズだ。しかし、頭を振り回すため、長い白髪が目に掛かって邪魔そうだ。

 見かねて俺は戸棚の中を探し回り、適当な紐を見つける。


「ディオナ、ちょっと座れる」

「はえ?」


 胸当てのベルトと格闘していたディオナに声をかけ、椅子に座らせる。ベルトを調節してしっかりと取り付けた後、彼女の髪をひとまとめにして紐でくくる。小洒落た編み込みなんてもんはできないが、外で動き回るならこちらの方が邪魔にならないだろう。


「今度、髪も切らないとな」

「おお。ありがとう、アラン!」


 前髪が少々長い気もするが、まだ許容範囲だろう。また暇を見つけて適当に切ればいい。いや、仮にも女の子なんだから、プロに切ってもらったほうがいいのか?

 そんな俺の葛藤をよそに、ディオナは馬の尻尾のように揺れる自分の髪を手で触ってにこにこと笑っている。適当な紐で適当に縛っただけだが、喜んでくれるなら何よりだ。


「薬は持ったか?」

「持った!」

「笛は?」

「ピイッ!」

「吹かんでいい」


 まだディオナには武器や危険な道具は持たせていない。万が一の時を考えて、簡単な応急手当ができるだけのセットと、はぐれた時に位置を知らせるための笛だけだ。


「よし、それじゃあ行くか」


 真新しい防具に身を包み、いかにも駆け出し傭兵といった風貌のディオナと共にアパートを発つ。準備にたっぷり時間をかけた割に、外はまだ薄暗い。まだ人通りもまばらな時間帯だが、すでにいくつかの屋台は営業を始めていた。


「麦粥ふたつ。ひとつは大盛りで、揚げ肉を付けてくれ」

「あいよっ」


 適当な店で腹ごしらえをしていくことにする。

 麦粥はこの辺りでは定番の朝食で、まだ日の出ていないうちからやっている店もたくさんある。店ごとに色々な売り出し方をしているが、粥自体にさほど大きな違いはなく、トッピングの種類で差を見せているところがほとんどだ。

 ディオナと共に向かった屋台では、朝からずいぶんとガッツリとした付け合わせを並べている。油でギトギトの大きな肉がドカドカと盛られ、見ているだけで胃がもたれそうだ。


「ほら、食べな」

「肉だ! いただきます!」


 俺の方に出された皿と、ディオナに出された皿を交換して食べる。傭兵は身体が資本の肉体労働ではあるものの、三十路手前のおっさんが朝っぱらからこんな重たいものを食えるはずがない。寝起きだというのにガツガツと粥と肉を掻き込んでいるディオナは、そういった点では傭兵に向いているかもしれない。


「おいしい!」

「そりゃよかった」


 喉を詰まらせないかヒヤヒヤするほどの勢いで食べ進めるディオナは、あっという間に皿を空にする。麦粒の一つも残さず舐めたように綺麗にして、すっかり満足といった顔だ。


「お嬢ちゃん、いい食いっぷりだね。これはサービスだから、取っときな」

「リンゴ! いいのか?」


 ディオナの健啖ぶりを見た屋台の主人は嬉しそうに相好を崩して奥から真っ赤なリンゴを二つ取り出した。彼女はそれを受け取ると、早速齧り付き、ぱりんと弾ける瑞々しい甘さに舌鼓を打つ。


「ありがとう、おっちゃん! アランも食べろ!」

「おお……。ありがとうな」


 ディオナからリンゴを受け取り、齧る。屋台のメニューにリンゴは並んでいなかったから、店主が自分で食べるために持っていたのだろう。もりもりと食べるディオナを横に、店主へ礼を言うと彼はぐっと親指を立てた。


「ばいばい!」

「嬢ちゃんも頑張ってな」


 麦粥屋台の店主に代金を支払い、足を傭兵組合へと向ける。

 組合へと近づくほどに、通りを歩く人々の装いも物々しいものに変わっていく。俺のように武器を携えている者も多く、巨人族やドワーフ族といった腕っぷしの強い奴らが肩をいからせて歩いている。


「アラン、すごいな。みんな傭兵か?」

「そうだ。首にこういうタグを掛けてる奴はみんな傭兵だ」


 俺は首にかけていたチェーンを引っ張る。そこに繋がっているのは、三級傭兵であることを示すタグだ。所属している組合と個人番号、等級がそこに刻まれている。


「ディオナもそれ欲しい!」

「これから貰いに行くんだよ」


 一歩進むたびに期待が膨らむディオナに手を引かれ、俺は傭兵組合の立派な建物へと向かう。それなりに歴史は古い組合は、町の住人たちのインフラ的な機能を担っていることもあり、立派な建物を防壁門近くの通りに面したところに構えている。

 24時間昼夜を問わず開け放たれている扉を潜って中に入ると、すでに多くの傭兵たちが今日の依頼を物色していた。


「おお、傭兵がいっぱいだ!」

「そりゃあそうだ。もう少ししたらもっと増えるぞ」


 傭兵というのは自由業だ。あまり遅くまで寝過ごすとめぼしい依頼がなくなってしまうが、それでも農民たちほど勤勉に早朝から活動している者は少ない。もう少し日が高くなれば、広い一階が埋まるほどの人が押しかけてくるだろう。

 そういう意味では、ディオナに早く起こされたのは良かったかもしれない。あんまり人が多いと色々面倒ごとも増えそうだからな。


「おいおいおい、おっさん。なに子供なんか連れて来てんだ?」

「ここは保護者同伴のガキが来るような場所じゃねぇぜ」

「……嘘だろ」


 ぬっと影から現れた、いかにも柄の悪そうな傭兵ふたり。あまりにも典型的な不良に、思わず額を押さえる。


「ガキじゃない! ワタシはもう16だ!」

「ほーう? よく見りゃ綺麗な顔してるじゃねぇか。傭兵になりたいんなら、俺たちが手取り足取りレクチャーしてやろうか?」

「うるさい! アランがいるからいい!」


 ディオナはディオナで、よせばいいのに威勢よく噛み付いている。こんな奴ら、反応するだけ時間の無駄だろうに。


「おい、おっさん。この嬢ちゃんは俺たちに任せな」

「しっかり傭兵のイロハってやつを教えてやるからヨォ」


 気持ちの悪い動きでにじり寄ってくる悪漢二人に、ディオナは険しい表情で唸る。


「ぅぅぅ、うりゃあああっ!」

「ごべっ!?」


 男のひとりがディオナの肩に手を触れたその時。彼女の左腕がブレる。野太い声が建物中に響き渡り、大柄な男は勢いよく吹き飛ぶ。いくつか並べてあったテーブルを破壊しながら飛んでいった彼は、壁に激突してようやく止まった。


「オーガって、すごいんだな」


 怒った顔で鼻息を荒くするディオナに、周囲の傭兵たちも唖然としている。今まで彼女は一度も本気で力を出したことがなかったのだろう。彼女の秘めた力を垣間見て、俺はつまらない感想を一つこぼした。

 その時、ディオナが俺を見て目を開く。


「アラン!」

「うおりゃああああっ!」


 ディオナの声。それを掻き消す、男の怒声。二人組の片割れが携えていた武器――棍棒を振り上げてこちらに迫っていた。


「――武器はダメだろ」

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