第6話「義手の第一歩」
ディオナの義手訓練は、まず義手の着脱方法を覚えるところから始まった。俺はサインを終えた契約書の束に肘をつき、ディオナと彼女に付いて色々とレクチャーしているユガのやり取りをぼんやり眺める。
「そうだ。そのベルトを締めてな。締めすぎだ! そんな力まかせにやったら千切れるだろうが! あーあー、袋がずれてやがるな」
「うーっ! めんどうくさい!」
しかし、複雑なパーツを色々と動かしてぴったりと装着するのはなかなか難しい。ディオナでなくても背中がむず痒くなりそうな光景だった。その上、当然だが彼女は右腕を使えない。不運なことにそちらが利き腕だったらしく、たどたどしい動きの腕一本でこなさなければならなかった。
「これを着けねぇと嬢ちゃんは何にもできねぇだろ。慣れりゃあ本物の腕と変わらねぇから、頑張って覚えるんだ」
「うううーーっ!」
頭が沸騰したようにぶんぶんと体を振り回すディオナに、ユガは辛抱強く何度も繰り返し手順を教える。一度着けられたらすぐに外し始め、もう一度着ける。その反復練習を、ユガの手助けなしに行えるようになるまで何度も何度も続ける。
「できた!」
結局、ディオナが自分で義手の着脱を行えるようになったのは、夕暮れ時のことだった。
「よくやったな。一日で覚えられるんなら上出来だ」
自慢げに義手を見せつけるディオナに、ユガは惜しみない賞賛を送る。たしかにあの複雑で面倒な手順を一日で覚えてしまうのは、彼女の地頭の良さを感じさせる。少し彼女の能力を侮っていたかもしれない。
「アラン! どうだ? 完璧か?」
「おう、完璧だ。しっかり着けられてるじゃないか」
小走りで駆け寄ってきたディオナをひとしきり褒める。彼女の頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めてこちらに体を寄せてきた。ディオナの優秀さに感心すると共に、こんな無邪気な笑みを見せる少女の片腕がないという境遇に、複雑な心境になってしまう。
せめて、彼女が独り立ちするまでは手伝ってやらなければ。
「とりあえず、今日のところは着脱の練習だな。家でも繰り返してしっかり覚えるんだぞ」
「分かった!」
ディオナはすっかりユガに懐いたようで、彼のアドバイスに対して素直に頷く。
ユガは自分より背の高いディオナをまるで自分の娘を見るかのような眼差しで見ていた。偏屈者の多いドワーフ族のなかでは珍しく、彼は世話焼きな性格だった。だからこそ、人間族が多いこの町でもやっていけているのだろう。
「というわけでアラン。そこに書かれてる訓練をしっかり教えてやるんだぞ。ディオナが上手く義手を使えるようになるかはお前にかかってる」
「なんか、俺とディオナで扱い方が違わないか?」
ディオナから視線を外してこちらを振り向いた瞬間、元の厳つい顔面に戻るユガ。ドワーフ特有の凶悪な顔面で、俺の手元にある分厚い冊子を指差す。思わず突っ込むと、彼は至極当然といった顔で頷いた。
「何が嬉しくて三十路手前のおっさんを可愛がらにゃならねぇんだ。それより、保護者としての責任を忘れるなよ。ディオナちゃんを泣かしたら俺が本気で殴ってやる」
「やめろやめろ。ドワーフの拳は鉄も砕くって話じゃないか」
ディオナもすっかりユガに懐いたが、ユガも絆されてしまったらしい。まるで孫娘のような扱いに、俺の方が驚いてしまう。
しかし、ドワーフの鉄拳はエルフの魔法と並んで凶悪と名高い代物だ。そんなものを振るわれた日には、頭も腐ったリンゴのように潰れてしまうだろう。そんな未来を回避するためにも、俺はしっかりと紙束を抱えて頷くのだった。
「ほら、ディオナ。そろそろ帰って飯にしよう」
「メシ! ワタシ、肉が食べたい!」
「はいはい」
さっきまで張り切っていたディオナも飯の二文字を聞いた瞬間そちらに意識を持っていかれる。キラキラと目を輝かせた彼女は、早速腹の虫を鳴かせ始めた。なんとも正直な反応に、俺もユガも揃って吹き出した。
そうして、ユガも店仕舞いの時間が迫っていたため、俺たちは帰路に就く。屋台で適当な肉料理を買い集めながら、アパートに戻る。
「アラン、メシ!」
「とりあえず座って落ち着け。温めるから」
「うん!」
ディオナを椅子に座らせ、俺は魔導コンロの前に立つ。俺一人だけなら冷めたスープにパンを浸してかき込んでいたが、ディオナがいるとそういうわけにもいかない。徐々に赤熱する導線を眺めながら、いっそ自炊を始めるのもありかと考える。
町に色々な屋台が出ているのと、男一人のためにわざわざ料理をするのが面倒なだけで、決してできないという訳ではない。そもそも、傭兵は時に野営しつつ遠出する必要に迫られることもあるため、多少は料理ができた方が色々得だ。
「ディオナ、好きな食べ物と嫌いな食べ物はあるのか?」
「肉が好き!」
「そうかぁ」
食欲旺盛なオーガ族に、嫌いな食べ物という概念はないらしい。食べられないものを聞いてみると、毒やら岩やらを答えられた。そんなものが食べられるのは一部の特殊な種族だけだろう。
「野菜も食べるのか?」
「食べるぞ。里だと芋とか玉菜とか、蕪を育ててた」
「ほう」
オーガが畑仕事をしている図が想像できず、少し驚いてしまう。彼女たちには申し訳ないが、狼獣人や獅子獣人のような肉食種族だと思っていたのだ。聞けば、オーガ族全体として肉を強く好むだけであって、野菜も大量に食べるらしい。つまり、ただの大食い種族というわけだ。その無尽蔵の食欲を満たすためには、不安定な狩猟だけでなく安定的な農作に手を出さないわけにもいかないのだろう。
「他にも、麦を育ててる奴もいるし、果物の木を育ててる奴もいるぞ。でも、みんな育て方を知らないから、あんまり沢山じゃないし、実も小さい。町で大きい果物を見て、驚いたんだ」
その時のことを思い返しているのか、ディオナは目を輝かせながら言う。
外の世界へと出てきた彼女は、そこで自分たちの暮らしがいかに貧しいものであったかを思い知ったのだろう。
オーガの里は、エルフのものほどに無いにせよ閉鎖的なコミュニティだ。基本的に他種族がそこに参加することはなく、構成人数も200人も居れば多い方だと聞く。人里離れた険しい谷や森の奥深くでひっそりと暮らしているため、里の存在自体を知られていないこともままある。オーガ族たち自身も、里の外に出ることなく一生を終えることは珍しくない。
オーガ族の大柄な体格や、他種族を圧倒する力、立派なツノ。大雑把で深く考えない性格、短絡的な思考。そういった特質と、閉鎖的な環境故の未発達な生活レベル。それらが合わさった結果、彼らを蛮族として恐れたり見下したりする者もいる。
知らなければ、里から出なければ、ディオナがそれを知ることはなかった。少なくとも、それは幸せだっただろう。しかし、彼女は自ら里を飛び出した。そして、外の世界を知ったのだ。
「メシもこんなに美味しそうなものじゃなかった」
「そうなのか?」
温めたミートパイを持って振り返ると、彼女はフォークを左手に握って待っていた。すんすんと鼻を動かし、ミートパイの香ばしい匂いに気持ちを昂らせている。俺が鍋を机に置くや否や、彼女はまだおぼつかない手つきでミートパイにフォークを突き刺し、口に運んだ。
「もぐもぐ……。里で食べるメシは、焼いた肉か、茹でた肉だけだった。野菜もおんなじ。味も薄かった」
「調味料がないのか」
「たまに旅人から塩の石を買うこともあるけど、普段は使わない。お祝いの時にだけ使う。……ワタシが出発した日も、塩を塗った大きい肉を、食べさせてくれた」
故郷の仲間に想いを馳せ、ディオナは声を湿らせる。少し不用意に踏み込みすぎたかもしれない。彼女は外の世界で見聞を広め、その学びを持ち帰り、オーガ族の里をさらに発展させようと息巻いていた。不安定な農作をさらに豊かなものにするため、外部との交易を始めるため、料理の幅と奥行きを広げるため。全ては、故郷の暮らしを良くするためだ。
しかし、彼女はその志半ばで頓挫してしまった。どれほどの期間、奴隷として働かされていたのかは分からないが、当初思い描いていた予定とはまるで異なる道を進んでいるはずだ。
「故郷に錦を飾るためにも、まずは腕を動かす練習からだな」
少し盛り下がってしまった空気を吹き飛ばすように、あえて明るい調子で言う。
「うん! がんばる!」
ディオナもそれに乗り掛かり、笑みを浮かべる。そうして、義手にフォークを握らせると、身を左右に大きく捩って腕を振る。まだまだ基礎動作もままならないが、どのように動けばどの関節が動くのかはユガから教えられている。彼女はそれを思い出しながら、ぐいと体を動かした。
「とりゃっ!」
「ぶえっ!?」
固定されたフォークが強かに皿を叩き飛ばし、俺は顔面で熱々のミートパイを受け止めた。
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