04 後編

 トーンが日本に不時着してから、二日目。

 彼は日本家屋の居間の真ん中で丸まっていた。両手で顔の周りを囲うようにして、畳の上にベタッと張り付いている。

 ごめん寝である。


「ドラちゃんやーい」

『完全にふてくされています』

「どうしたらええんじゃ?」


 吉岡佐吉は眉を下げて、自分のスマホをプロエジェクターにして浮き上がるホログラム――ケシーに尋ねる。


『申し訳ありませんが、お力に添えません。私はAIなので、検索は出来ても心の機微は理解しかねます』

「うーむ、ばあさんがおったらなぁ」


 佐吉の妻である美佐子は、いま息子夫婦の家に居る。孫が生まれたばかりなので、その手伝いに出向いているのだ。

 うむむむ、と腕を組んだ後、佐吉はそうっとホログラムへと顔を近づけ、声をひそめた。


「なあケシーちゃん、もしや儂が一昨日あたりに、サーとか、ミセスとかを、「舌っ足らずに噛んで儂らの名前をうまく呼べないドラちゃん、めんこい!」とか言ったから拗ねたんかのう」

『いえ、そのくらいでケト族の脳天気を打ち破れるとは思いませんが』

「では昨日、歳三を呼んだせいかのう? 猫も犬もやたらと獣医は嫌がるような気が」

『不時着した身ですので、医者を呼んで頂いたことには感謝していると思いますよ』


 この世界にとって、トーンは奇跡のような存在だ。

 見た目からして喋る二足歩行の猫であるし、それは二千年ほどの未来で、猫をもとに遺伝改良して作られた獣人だというのだから。下手なところに情報が流れれば、行く末は確保、実験、解剖コースまっしぐら。

 だからこそ、突如気絶した主人のために信頼できる獣医を読んでくれた佐吉に、ケシーは深く感謝していた。


「じゃが、思い切り泣き叫んでおったぞ」

『それはまあ、マフィア顔の獣医さんが「脱げ。ケツ出せ」と言い出されたら泣きます。普通のことです、お気になさらず』

「顔は怖いが、悪い奴じゃないぞ? 理性があるなら体温計を噛まないっちゅーて、口で体温測ってくれたじゃろ?」

『食事に関しても不満があったとは思いません。焼き鮭を食べたときにはお代わりもしていましたし、皿を台所に持っていくときにこっそり舐めていたくらいですから』

「そんなに気に入っとったんか? それなら儂の鮭もあげりゃ良かったのう」


「…………そろそろ相談の振りをして、俺の駄目な所を数え上げるのは止めてくれないか」


 顔を上げたトーンの目は半分据わっていた。

 佐吉は分かりやすく顔を緩めて、トーンを両手で抱き上げた。


「ドラちゃんは自分を虐めすぎじゃ。儂らが喋ってたんは、お前さんのめんこいところの話じゃろう?」

「……僕は、ケト族の期待を背負っていたのです」

「期待?」

「ケト族は猫由来の獣人です。だから気ままだと、仕事を頼むにしても重要で責任のあるものは任せられないと、よく言われるのです」


 トーンは耳を力なく寝かせて、目をしょぼしょぼとさせている。


「ケト族は、先祖の遺骨を祖星……地球に納骨するときに、他種族に頼むのです」

「そうなんか、ケシーちゃん」

『ケト族が宇宙空間の長期航行をすることに、危惧を覚える者が多いのは事実です。長旅には、どうしても自制心がなければ事実として危険です。ケト族は……自由を愛する気風があるので』

「今回の納骨には、僕の祖父の骨もあります。だから、どうしても僕が行きたいと言い張って来たのです。なのに、事故が起きて。奇跡的に地球にたどり着けたのに、ここは過去で──」


 声の震えは、押し殺そうとすればするだけ大きくなっていく。


「タイムマシーンは、僕の時代でも成立していません。だから死んだと思われることになります。そうしたらきっと、他の種族はケト族に言うのです。こうなると分かっていたのに、どうしてお前達はあいつにこの仕事を任せたんだ、なんて」


「皆、心配してくれたのに。それでも大丈夫だからと、きっとやり遂げると、約束したのに。信頼して任せてくれたのに、僕は、本当は生きているのに。もう、何も伝えられないのです。もう……」


 目元を隠した両手の毛並みが、ぽろぽろと零れていく涙で濡れる。ぐしゅん、と鼻をすするトーンの頭を撫でてしばらく。

 何やら考えこんでいた佐吉が、にやりと不適に笑った。


「なるほどのう、ドラちゃんの苦しい理由は分かった。じゃがのう。確かにピンチじゃが、生きとる。なら、まだ最悪じゃない。出来ることがある」

「出来ること?」

「ほうじゃ。ドラちゃんは過去に来たんじゃ。なら、やれることはある。のうケシーちゃん、ドラちゃんの故郷は、現代でも行ける場所か?」

『インターネットに接続しています……地図情報を読み込んでいます……搭載の地図情報と比較しています……結論、可能です。正確には、すでに到達しています』

「んぇ?」

『救命ポッドの航行ルートはケト族ミケ氏の故郷を目指していました。本来なら、太陽系に近づいた時点で救難信号を受け取った救助隊が来るはずでしたが、それもありませんでした。よって、たどり着いたのは航行ルート通りの目的地です』

「それは、ケシー。不時着した裏山のことか?」

『はい。これから1000年の間にあの裏山が開発されて、ミケ氏の故郷となるのです』

「うむ、まあ、海外でも覚悟はしていたが、近いなら地獄に仏というやつよの。のうドラちゃん、ここまで話せば何ができるか分かるじゃろう?」

「……手紙を書くのですか? 私は生きているとでも?」

「何を書けば良いのかはドラちゃんが考えることじゃが、ただまあ、」


 少しだけ生気を取り戻した目を見て小さく笑い、佐吉はトーンの頭を軽く撫でた。


「家族が生きていると分かって、でも会えないなら――せめて楽しそうに生きちょって欲しいよ」

「…………」

「というわけで、ドラちゃんの今することは、楽しいことを探すことじゃのう!」


 まだ少し戸惑った様子を見せつつも、じいっと佐吉の目を見返したあと、トーンはこくりと頷いた。

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