03 前編
──そこは深夜の森の中。
幸か不幸か。大きな池を小さな池に変えた代償に、なんとか生還を果たした救命ポッドの蓋がゆっくりと開く。
「死ぬかと思った」
『なんで生きてるんですか?』
「さあな。ケト族は液体由来って与太話が事実だったりして」
よろめきながらもなんとか体を筺体から引きずり出し、彼は池をひとっとびに地面へと足をつけ、途端に脱力した。
「ところで、もうヘルメットをとっても良いのか?」
『外気データを採取します。成分分析中……完了しました。登録生体情報に対しての悪性外気率は極めて低いと判断します。体調が悪くなる傾向が見受けられたら、速急に防護服を着用することをおすすめします』
「よっし!」
トーンはさっそくヘルメットを外す。
テントのようにピンと立った耳が、左右ばらばらに動く。周囲に危険を示すような異常が無いことを確認し、肩の強張りとともに白いひげがへにゃりと力を抜く。金色の瞳は興味深そうに、夜の森の木々を見回していた。
宇宙服を着た、二足歩行の黒猫。なお、サイズは普通の猫。
それが地球に不時着した宇宙船の船長、キャプテン・トーンの客観的な外見だ。
「なんだこの星。見てくれケシー、これ原木系の樹木じゃないのか?」
トーンの言葉に応じて、彼の首から提げられたタグから光の線が延びていく。近くの樹木を上から下まで光が伸びた後、彼の隣にケシーのホログラムが立ち上がる。
『スキャンが完了しました。キャプテンの仰る通りです。これはテラフォーミング用の植樹ではありません。酸素効率が悪すぎます。三代遡っても、改良遺伝情報の伝達跡も見当たりません』
「……賠償金ってどれくらいになると思う?」
『短い期間でしたが、良い相棒でした。キャプテン・トーン。来世の幸福をお祈りいたします』
「ま、まだ純正の原生惑星かもしれない可能性は」
『宙歴1000年までなら可能性もありました。3%ですが──』
「誰じゃ、そこにおるのは!」
かけられた声に、トーンとケシーは目を丸くした。
油断していた、と言えばそうなのだろう。
地球型生命体が宇宙に飛び立つようになり、はや1000年。テラフォーミングにより生命活動域の拡大は顕著になり、地球時代の人類は人手を補うために遺伝改良を施し、動物の知性化を推し進めてきた。
そうして出来たのが獣人だ。
ロボットは人が作らねばならない。けれど獣人は、ある程度個体数を増やせばあとは勝手に増えていく。
これを理由に、人類は獣人を積極的に増やしてきた。
不時着したこの惑星は原生惑星の形をしている。ならばこれはある程度富裕層のバカンス惑星か、もしくは惑星を股にかけるプラント系列の大企業の実験施設か。
どちらにせよ、惑星管理に余計なノイズは必要ない。惑星運用メインAIと、サブAI管制の虫型ドローン。残りの動物は、遺伝改良を施して獣人化、宇宙開発の人手となる。
トーンもケシーも、そう思っていたのだ。
だから言葉を話す知性生命体がここにいる、ということは慮外であった。トーンはすぐさまキリッとした顔つきを作り、ことさら丁寧な口調を心がける。
「失礼いたしました。私は獣人のケト族ミケ氏の枝葉、トーン・ボーダンと申します」
「…………とんぼ?」
「私は小型宇宙船にて先祖の祖星に遺骨を納めにいく予定でしたが、宙域事故によりこの惑星に不時着いたしました。この惑星管理者はどなたでしょうか? 謝罪に参りたいのですが」
「ど……」
「ド?」
「とんぼがドラちゃんになって帰ってきおった……!?」
謎の呪文が繰り出された。
トーンには全然意味が分からない。
「じゃが青くないのう。狸でもない。普通の猫じゃ。でも、未来っぽくて喋る猫……うん。お前さん、そのう、ポシェットもっとらんかのう? 一度でいいから本物の四次元ポシェット、見てみたいんじゃが」
人類種の老人の――珍しいことに、わざわざ体が衰えた外観年齢で活動している男の言葉が、やはり分からない。
もしや呪文ではなく、そもそも言語形態が違うのだろうか。ブラックホールに吸い込まれ、ホワイトホールから放り出されたのだ。自動翻訳機能でも拾いきれないほどの惑星域に流れ着いている可能性もある。
よって、彼は営業スマイルを維持したまま、ボソボソと小声で頼れる相棒に助けを求めた。
「ケシー、翻訳できるか?」
『トンボとは、遺伝改良前種の小型昆虫の一種を指します。二寸空撮ドローンの基礎形態に似た昆虫ですね』
「ドラチャンは?」
『わかりません。現存する検索データにその単語の登録は見受けられません』
「AI検索で分からない単語なんて存在するんだな」
『いえ、実を言いますとホワイトホールより脱出してから、ずっとAI通信帯域に接続できておません。現行はスタンドアローンで活動しております』
「お前それ先言えよ!? 大丈夫なのか、変なバグとかは……」
「……ぬ? 黒いドラちゃん、体調が悪いんかいの?」
男の言葉に、トーンは思わず口を噤んだ。呪文を唱えていたかと思えば、急にニホンゴを繰り出すのは止めて欲しい。てっきり通じないものと思って、安心して情報を吐き散らしてしまっていた。
しかしすでに聞かれたのなら隠しても意味は無い、としょんぼりとした顔をしてみせる。
スタンドアローン状態のAIなど、本来のスペックから何割落ちの実力で済めば良い方だ。現状で、これから墜落先の惑星主と交渉をするには不安でしかたない。
ならばせめて目前の管理人補佐だか誰だかには好意を持って貰って、すこしでも手心を加えて貰うべきだろう。
そう判断した上でのお芝居だ。ケト族は自分がどうすれば魅力的に見えるのか知っている。それは彼らが猫と呼ばれる動物であった頃からの本能だ。
「実を言いますと、サー。調子が悪いのは、我が船の艦載AI──」
「はー!」
感、極まり。
まさにそんな言葉が似合いそうな声を上げたかと思うと、男は突然トーンを両手で抱き上げた。
わたわたと両手でばたつくと、すぐに尻を支えるように腕を回される。猫の背骨への負担も少ない、的確な抱き上げ方だ。
どういう事だろう、この男はケト族になれているのだろうか。それにしては、いくらスタンドアローン状態とは言えAIの基礎翻訳でも拾えない呪文を使う、ということが矛盾している。
「あの、サー?」
「うん、うん。儂の名前知っとるんじゃけ、やっぱお前さんドラちゃんか! よぅ帰ってきたのぉ」
「は? いえ、あの。名前? とは?」
「ばあさんのことはどうじゃ、覚えちょるか?」
「あのう、えっと。ミセスもいらっしゃるので?」
「おう! やっぱりお前はドラちゃんじゃの!」
「……………………ケシー」
『解析不能、解析不能。深刻なエラーが観測されています。ピーという音が鳴りましたら、』
「壊れたふりするなよお前」
「ドラちゃん、さっきから誰と話して……、! ま、まさか」
「視えるのか、やはり……! 猫には……!」
猫はたまに、何も無い場所をじっと見つめていることがある。それは事実だ。
とはいえ。
「私は猫ではありません。見ての通り、ケト族です。というか見えないのですか、サー?」
「おるんかーーーー! やっぱりおるんか、見えるんか!? ど、どこじゃ、妖怪か、幽霊か!? 儂が守っちゃるけんの、安心せぇ!」
「いえあの、本当に、まさか網膜投写の拡張をしていないのですか? このご時世で?」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ドラちゃん守りたまえ~ナンマンダー、ナンマンダー……」
「えぇ……こわ……」
害意は全くと言っていいほど感じないのだが、それでも言語が通じているはずなのにここまで会話が出来ないとなると。さすがの恐怖にトーンは白目を剥いて気絶したくなった。
そんな狂乱状態の二人を見ながら、ケシーはやたらと人間らしい仕草で首を傾げる。
『キャプテン』と呼びかけられ、彼は首だけをそちらにむけた。
『──これから私が言うことを彼にお尋ねください』
いくつかの指示を受け、トーンは意を決して男に向き直った。
ちなみに未だに男はナンマンダーと謎の呪文を唱えながら拝んでいた。オカルティックな霊魂召喚でもするつもりだろうか。
とてもこわい。
「あの、サー。この星の名前は何でしょうか」
「なんまん……おお、なんじゃドラちゃん。星? どれじゃ? 儂は星座を知らんのじゃが」
「いえ、あの、ここです。この大地。星の名前と国名を教えてください」
「地球の日本じゃが?」
「えっ」
『キャプテン、続きを』
「あ、はい。サー、続いて失礼ですが、今は宙歴何年でしょうか」
「ちゅーれき? すまんのう、さすがに儂もチュールができて何年かは……」
「い、今の暦を教えてください」
「こよみ? 西暦はちょっと、あんまり覚えとらんでな。元号は令和じゃが」
頭が痛くなってきた。
まさかまさかとは思っていたが、まさかの事態だ。
チキュー、ニホン、セーレキ。
いやそれでも、もしかしたら自分の記憶違いかもしれない。
せめて一抹の期待を込めて、トーンは縋るように相棒を呼ぶ。
「ケシー?」
『チキュー、セイレキ、ニホン、レイワ……照合が完了しました。ここは二千年前の地球です、キャプテン』
『ブラックホールとホワイトホールを通ったことで、我々は時空のひずみに巻き込まれたようです』
なんだかとっても疲れたので、トーンはとりあえず気絶することにした。
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