第12話 少女(5)

 夜が来た。

 日が暮れれば夜になるのはあたりまえだ。

 でも、今日は、夜が来てほしくなかった。

 傭兵局の自分の部屋で、カスティリナは明かりを消すと、机の上の棚に向かって一礼した。

 棚には、父から譲られた剣「くれないの水晶」が載っている。

 その前にはりんごと水が供えてある。どうにもしようがない日を除いて、カスティリナが一日も欠かしたことのない儀式だ。

 父親もずっと同じことをしていた。母親も、拝みはしなかったと思うけれど、りんごと水は毎日供えていた。

 この剣は、たしかに名剣だ。

 刀身がすり減るほどの手入れをしなくても錆びないし、よく切れる。だから、父からカスティリナの手に渡ってからも、ずっと使い続けている。

 昼間も、軽く刺しただけで、大柄な少女一人を吊しておけるくらいの太い縄がたやすく切れた。

 カスティリナはその昼間のことを思い出して、深く息をつき、ベッドに腰かけた。

 眠るのが怖い。

 カスティリナはまた二十歳になっていないこの歳で命のやりとりの場を何度も経験している。殺されそうになって命からがら逃げ延びたこともある。殺したこともある。

 だからたいていのものごとは怖くなくなっている。

 でも、やっぱり怖いのだ。

 夢を見るのが。

 この剣を抜いたときには必ず夢を見る。始まりのほうはいろいろで、明るかったり、楽しそうだったりすることもあるのだが、最後はかならず悪い夢になる。体が熱くなり、のどがかわき、身もだえしようとしても体が動かず、体のいたるところが苦しみにさいなまれる。そのまま苦しみで目が覚めることもあるが、夢のなかで体が少しずつしびれていって、体が押しつぶされそうになり、その体が消えてしまうという恐怖をずっと感じ続けてから目が覚めることもある。

 最初のころは昼間の怖さが残っているのだ思っていた。のどが渇いているからこんな夢を見るんだとも思った。それで、剣を使った日、寝る前にいつもより多く水を飲んで床に就いたこともあった。それでも同じ夢を見た。人を殺したからその相手がたたるのだろうと思ったこともある。けれども、殺していなくても、人を傷つけてさえいなくても、剣を抜いただけでこの夢は見る。

 靴を脱いで、ベッドに身を横たえる。

 「やっぱり、そうなのかな」

 カスティリナはわざと崩れた姿勢になって、両手の先を毛布から出す。

 この夢は、危ない場になったら必ず現れるあの幻の少女と関係があるのだ。

 姿も見えず、触れることもできないけれど、いることは確かに感じられる幻の少女と。

 だとすれば、と、カスティリナは思う。

 夕方、局に帰るとき、シルヴァス局長は、この幻は父親も見ていたと教えてくれた。

 カスティリナの父、ステッセン・フェルディエンドもこのインクリークの街で傭兵をしていたことがある。まだ独り立ちする前のシルヴァスは、その父に付き従い、父から多くのことを学んだという。

 あの父親も、この同じ夢を見たのだろうか。

 しかも、カスティリナは、自分の身を守るためでなければ、今回のような盗賊退治の場でしか斬り合いをしたことがない。

 でもあの父親はずいぶん人を殺したはずだ。カスティリナははっきりとは知らないが、たぶん「殺し屋」に近い仕事をしていたのだろう。

 だったらこの夢を見る回数ももっと多かった。

 「しかたないな……」

 小声に出して言うと、カスティリナは、両手の人差し指を揃え、眉間の少し上を押さえる。

 そうやって目を閉じて大きく息をつくと、左に寝返りを打った。でも、思い直して、体を元に戻し、毛布を軽く整え、両手を腰の上に組んで、天井を向いて目をつぶった。

 少しでも敬虔けいけんな姿に見えるように。

 穏やかに息をして、カスティリナは自分を眠りへと導いていった。

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