大好きなあの子は

「ポポちゃんいってきまーす!」

「ハナちゃん今日も元気いっぱいですね」

「あー!きょーはかおる先生だ!おはようございまーす!」

ハナは勢いよくお辞儀をしました。きっと顎紐がついていなかったら、黄色い帽子が吹っ飛んでいたことでしょう。ハナは毎日元気いっぱいの女の子です。つい一週間前に幼稚園の年長さんになったばかりでした。

「はい。ハナちゃん、おはようございます」

かおる先生はハナのクラス担任です。普段は優しい先生ですが、怒るととっても怖くなります。

「ママいってきまーす!」

ハナはそう言うと、幼稚園バスの階段をジャンプして一気に上がり込み、お友達の隣へと向かいました。そしてそのまま、お喋りをし始めました。

「うちの子、大丈夫かしら?」

ママはハナにはもう少し大人になってほしいと思っていました。

「ハナちゃんはお喋りが得意でいつもお友達と遊んでいるので、周りの変化にも敏感ですよ。きっとすぐに大人になっちゃうでしょうね」

「かおる先生が言うならそうかしらー」

「心配しなくても大丈夫ですよ。

では次のお家に向かわなければならないので、失礼しますね」

ようやく幼稚園バスは走り始めました。


ハナの家族はママとパパとハナの三人家族です。ペットは飼っていません。じゃあ、ハナがいつも挨拶している〝ポポちゃん〟は誰なのでしょうか?それは、たんぽぽの〝ポポちゃん〟でした。黄色が大好きなハナは、色んな場所で見られるたんぽぽの花が大好きでした。ハナが年長さんになる少し前から、表札の真下に咲いています。5つの種が落ちたようで、2つ3つと順番に咲いていきました。大好きな花がお家にやって来たと、ハナは大喜びです。それで名前をつけて、毎日登園の時に挨拶しているのでした。花は5つありますが、ハナにとってはまとめて皆ポポちゃんのようでした。

しかし、たんぽぽは1週間くらいで花を閉じてしまいます。そしてまた1週間ほど経つと、今度はまん丸の綿毛を咲かせます。花が閉じてしまった時は、ハナの元気も少しだけ無くなりましたが、綿毛をつけ始めるとハナはまた元気になりました。綿毛をフーっと飛ばすのも、ハナは大好きなのです。誕生日ケーキについてくるろうそくの火が一気に消えると気持ちが良いように、綿毛が一気に飛んで行ってくれるのは気持ちが良いものでした。でも、たんぽぽは5つしかありません。最後の花が綿毛になった時、ハナは気づきました。これを飛ばしてしまったら、ポポちゃんがいなくなってしまうと。それからはなるべく長くポポちゃんといられるように、綿毛を飛ばさないでいました。

数日経ったある日。それは春一番が吹き荒れる、とても風の強い日でした。ハナがいつものように挨拶をして幼稚園に行っている間に、ポポちゃんの最後の綿毛は全部飛んで行ってしまいました。ハナは悲しくて大泣きしました。ママが「ポポちゃんは旅に出たのよ。」と言っても聞きません。いくらママが慰めても、ハナは泣いたままでした。夕飯も食べずに泣き通したハナは、疲れてそのまま眠ってしまいました。

次の日、ハナは頭痛で目が覚めました。昨日は泣きっぱなしだったため、頭が割れそうなほど痛いのです。幼稚園もお休みましたが、ママは「明日はちゃんと行くのよ。」とだけ言い、それっきり休んだことには何も言いませんでした。ハナの頭痛は、お昼には引いていましたが、いつものような元気はまだありません。夕方になり、ママは夕飯の準備をしていました。今晩はハナの大好きなハンバーグでしたが、ケチャップが無いことにママは気づきました。

「ハナー、ちょっとおつかい頼まれてくれる?」

「・・・はーい」

ちょっとだけおつかい面倒くさいなとハナは思いましたが、断るのも面倒くさくて引き受けました。おつかいから帰ってくると、表札の目の前に透明な箱がありました。ちょうど、ポポちゃんがいる真上です。人が一人入れるくらいの大きさがあり、重たそうでした。

「ママー、お家の前に変なのがあるー!」

「荷物―?ちょっとママ、火使ってて手が離せないから持ってきてくれるー?」

ママは宅配便と勘違いしています。

「ちがーう!おっきな透明な箱―!」

「えー?!しょうがないわねー」

料理を中断し、ママが外に来てくれました。

「ハナ、どこに箱があるの?」

「あそこ!ポポちゃんの上!」

「ポポちゃんの上?どこにも無いじゃない」

「ほら!ここ!見て!ママよりおっきいよ!」

ママは表まで出て見に来てくれましたが、どこにもそんな箱は無いと言います。でも、ハナにはしっかりと見えていました。一生懸命説明しましたが、ママには伝わりません。ハナは不満でしたが、ママにつれられて家の中に入っていきました。ハンバーグを食べながらも、ずっと箱のことが気になってしょうがありませんでしたが、話題にはできません。そこでハナは、夜中にこっそり抜け出してみることにしました。

箱は360度透明で、箱の入り口からも表札がよく見えます。中には電話みたいなものが一台置いてありました。ハナはもっとよく見ようと、箱の中に入り込みました。すると、タイミングを見計らったかのように、ジリリリリリリンと大きく電話が鳴りました。ハナは電話には出たことありませんでしたが、いつもママがやっているように受話器を耳にあてて「はい!ハナです!」と元気良く出ました。

「ちゃんとハナちゃんで良かったわー。夜でも元気ええなあ」

聞いたことのない女の人の声でした。しかも変なアクセントをつけて喋っています。でも、どうやらハナのことを知っている人のようでした。

「うちのこと、誰か分かるかー?」

「わかんなーい」

でもハナにはさっぱり分かりませんでしたので、思ったことを素直に答えました。

「せやねん、分からへんよな。だってしっかり話すの初めてやもん。

うち、ポポ。たんぽぽのポポ。

毎朝挨拶しとったやろ?」

なんと電話の相手はポポちゃんでした。しかし、イメージとは全く違います。

ポポちゃんのイメージは無邪気だけど力強くて、まるでお姫様のような花だと思っていました。でも、電話越しのポポちゃんは近所の小太りなおばさん・・・スーパーの特売には目をきらめかせるような、そんな雰囲気が漂ってきます。

「ポポ、ちゃん・・・?」

ハナはとまどいが隠せませんでした。

「ん?なんや?」

しかもポポちゃんはコテコテの関西弁でした。ハナの周りには関西弁を話す人がいません。初めての出会いに、ハナは不安になってしまいました。その不安は恐怖にも似た不安でした。未知なものへの耐性は、まだ形づくられていなかったのです。

「こんなのポポちゃんじゃない!喋り方変!」

そして、不安が爆発し、勢いよく電話を切ると、走りながらお家へと戻っていきました。

朝になりましたが、透明な箱はまだ表札の前にありました。ハナは眠い目をこすりながらチラっと箱を見ましたが、夜のことを思い出し、プイっとそっぽを向きます。ムカムカっとしましたが、このことを誰かに話そうとは思いませんでした。家に帰るといつもはテレビを見ながらおやつを食べ、遊んだりお手伝いしたりして過ごします。でも、今日は眠くてたまらなかったので、おやつを食べるとお昼寝をしてしまいました。夕方に眠ると夜に眠れなくなるので、ママから禁止されていますが、和室に移動してこっそりとです。めざといママにはすぐに見つかってしまい、その後もちろん大目玉をくらいましたが、少し眠るとすっきりした気持ちになりました。夕飯のときもハナの家ではテレビがついています。今日はいつも見ている番組がお休みのようでした。その代わりに、お笑い番組がやっていました。そこで、ハナはあるお笑い芸人に釘付けになりました。その芸人はポポちゃんと同じ喋り方をしていたのです。

「ママ!この人、喋り方変!」

「あら?関西弁、ハナには聞き慣れなかったかしら。

住んでる場所によって色々話し方が変わるのよ」

ママは関西弁のことを知っているみたいです。それ以外のことも知っていそうです。

「なんで、話し方変わるのー?どーして!」

「それは難しい質問ね・・・」

でも詳しく聞こうとすると、ママは困ってしまったみたいです。

「そうねえ。うんと昔は遠いところの行き来ができなかったでしょう?

だからその場所ごとに、言葉が発達してしまって、今もその名残があるのよ」

「ふーん・・・」

ママは頑張って答えましたが、ハナにはピンときていないようでした。

「ちょっと違うけれど、英語ってあるでしょ?」

「うん!イエロー!レモン!バナーナ!」

「そうそう。まあ、なんていうか、今は英語の友達って覚えておけばいいわよ」

「じゃー、関西弁は英語?」

「関西弁は日本語。日本の中でも、みんな同じ話し方じゃないんだよ」

「そーなんだ!」

ハナはちょっとだけ関西弁について分かった気がしました。そして、無性にポポちゃんに会いたくなったのです。また夜にこっそり抜け出して、ポポちゃんに会いに行こうとハナは決めました。夜中になっても、お昼寝のせいか眠くはありません。するりと家を抜け出して、透明な箱へ入っていきました。するとまたタイミングよく、電話が鳴ったのです。ハナのことを待っていたかようでした。

「はい!ハナです!ポポちゃんですかっ?」

ハナは1コールも待たずに、受話器を取りました。

「お、電話に出たな。昨日、怒っとったでちょっと心配しとったんや。

それにしても、ほんま元気ええなあ。ポポや。

ハナちゃん、眠くあらへんか?」

相変わらずポポちゃんは変てこな喋り方をしていましたが、ハナはもう不安に思ったりしませんでした。むしろ興味がわいて、真似してみたくなったのです。

「眠くないへんよ!お昼寝したーよ!」

「なにそれっ。ハナちゃん、もしかしてうちの真似しとるん?」

「そーや!」

「おっ、今の言い方ええなあ」

「ほんとっ?じゃ、ハナも関西弁だね!」

「関西弁にはなれへんが。それゆーなら関西人ちゃうか?」

「かんさいじん?」

「関西弁つこうとる人のことや!」

「そーなの?ハナ、関西人?」

「んー・・・まあ、そういうことにしといてやるわ!

おまけやで、おまけ!もっと練習しいや」

「やったー!ポポちゃんとハナ、一緒だねっ」

ハナは後半の話をあんまり聞いて無さそうですが、ポポちゃんも深くは追いませんでした。ポポちゃんは、ハナと会話できる時間が決まっていることを、知っていたからです。

「あんな、ハナちゃん。大事な話しようと思って電話してん。

よう聞いてくれる?」

「うん!どーしたの?」

「直球に言うで。うちのことでもう泣かんといて欲しいんや」

「なんでー?ポポちゃんいなくて、ハナ、寂しいよ」

「うちも会いたいねんけどな、

今はちょっと遠くに行ったり、次の準備したりせなあかんくて、顔出されへんねん。

その代わり、来年の春になったら、戻ってくるで。

今度は元気な小学生姿、うちに見せてや」

「えー!春?そんなに待てないよ!」

ハナは一年中ポポちゃんの姿を見ていたかったので、次は春しか会えないと言われて悲しくなりました。

「ほんま悪いなあ。今年の種は全部つこうてしもてん。

次は春しか咲かれんのや」

「やーだ!ポポちゃんに会ーいーたーいー!」

涙声で駄駄をこねます。

「たんぽぽのルールやねん・・・。破ることできん・・・」

ポポちゃんもハナを悲しませたくないのですが、しばらくは会えないという事実は変えられません。どうしたものかと困り果ててしまいました。そこに追い打ちをかけるように、〝残り時間、あと30秒〟

という音声が流れてしまいました。ポポちゃんは決意し、言います。

「・・・今年咲いた花の種が、隣に落ちた。

今年のと、来年のでもっとええ景色が見れるだろう。

その種がまた隣に落ちたら、再来年はもっともっとええ景色になるはずや。

そのために、少しの間だけ待ってくれへんか?」

ハナも、ポポちゃんの様子が変わったことに気がつきました。

「・・・絶対?」

「絶対や。ポポの名にかけて約束したる」

ハナはちょっとだけ悩みました。来年ほんとうに会えるのか?この電話で最後になるんじゃないか?と迷いました。でも、しばらく会えないのは事実です。ポポちゃんも嘘を言っているようには見えません。ハナも、今年会うのは諦めました。

「・・・わかった。でも、絶対、だよ!」

「もちろん。まかせとき」「

「ゆーびきりげんまん、嘘ついたらはりせんぼー、のーます。指切った!

これで嘘ついたら、ダメだからね」

「うちに指はないから、葉っぱで堪忍してや」

「いーよ!」

「もう、ほんとに、時間がない!

来年の春、ランドセル姿見せてーや!またな」

「はい!またねー」

元気の良い返事を最後に、電話は切れてしまいましたが、ハナはもう悲しくありませんでした。ポポちゃんとしっかり約束を交わしたからです。その代わりに遅れてやって来た眠気に誘われて、お家の中へと戻っていきました。

翌日、ポポちゃんとお話をした透明な箱は消えていました。まるで昨晩のことは全て夢だったかのようです。それでもハナはもう、泣いたりしません。幼稚園バスが来ると、元気に登園をしていきました。


来年の春、入学式を迎えるころには、黄色い花が咲いているでしょう。もしかしたら、家族写真に写りこんでいるかもしれませんね。

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