🔳18話

 まさに青天の霹靂だった。

 ヴィオ連邦との戦いが激化する中、突如として国王を含むほとんどの王族が裏切ったのだ。彼らはそのまま敵国であるヴィオ連邦へと亡命した。王族は手みやげとして多くの戦力を引き連れて行った。王族への忠義が人一倍厚かったからであろう、王国師団長アルベルトがヴィオ連邦に渡ったのはとりわけ大きな損失だった。

『何故あの国王が!?』『嘘だっ。そんなのヴィオ連邦の工作活動だ!』『そんな……もうこの国はおしまいだ』

 旗印を失ったルマディナルは大いに混乱した。それでも残った騎士団では部下からの信頼が厚いアールグレイン副師団長の指揮のもと徹底抗戦する。しかし、戦況は一気に傾き、国土の半分まで侵攻されてしまった。

 降伏すれば一時的には人命は助かるかもしれない。だが、戦争で相手の軍門に下れば人、土地、言葉、文化、宗教などそのことごとくを蹂躙されて奪われる。それはサードリッド大陸での歴史が物語っていた。

 だからこそどんな犠牲があっても屈してはならないのだ。


 そう、どんな犠牲があったとしても――。


 聖ルマディナル王国の領地はひょうたん状になっている。そのくびれている部分にはスティーラシエという町があった。ここは両脇を険しい山々に挟まれており、スティーラシエ自体も小高い丘になっている。そのため戦略的観点から非常に攻め落としづらい場所となっていた。

 王族亡命の一件で一気に劣勢へと立たされてからは、セラフィムが前線に出る機会も多くなっていた。

 ある日、セラフィムはスティーラシエの町に設置された作戦本部へと呼ばれる。

「……オリヴィア」

 セラフィムが呟くようして呼ぶ。

 そう、部屋の中にいたのはオリヴィアだった。王族のほとんど・・・・はヴィオ連邦へと亡命したのだが、彼女とミラだけは聖ルマディナル王国に残っていた。オリヴィアの話では何も聞かされていなかったらしい。

「フィム。よく来てくれたわね」

 出迎えてくれた彼女の声には疲労の色が滲んでいた。それでも気丈に笑顔を作っている。

 部屋にはもうひとりいた。大柄な男だ。筋骨隆々の腕を組んで口を真一文字に結んでいる。

「ああ。この人は現師団長のアールグレイン。私とは騎士道学園からの腐れ縁ってやつかしら。強面で不愛想だけど悪い奴じゃないわ」

「……」

 オリヴィアの軽口にアールグレインは何も言わず目を瞑っている。

「ねえ。王都って落とされたよね? ミラは無事なの? 前線から戻ってきたら色々変わってて――」

 この三か月、セラフィムは最前線でヴィオ連邦十三傑たちと死闘を繰り広げており、ミラのことが気にはなっていたものの帰るに帰れない状況だった。やっと戦況が一段落ついたと思ったら王族は亡命したと聞かされるし、王都は陥落しているし、ミラは行方知れずだし、とわからないことだらけだった。

「ミラは無事よ。王族の亡命あんなことがあったから騎士団の方で保護してもらってる。この人の信頼できる部下らしいからそこは安心してもらって大丈夫だと思うわ」

 そう言ってアールグレインを手で示した。

 ミラは無事……よかった。

 セラフィムはほっと胸を撫で下ろす。

「まあ私ももうずっと会ってないんだけどね。あの授与式で見かけたっきりかしら。きっと寂しい思いしてるわよね……まったく母親失格だなぁ」

 彼女が寂しそうに苦笑する。

「あーいかんいかん。弱気になってる場合じゃないわね」

 弱気をかき消すようにぱちっと自分の頬を叩いてから言ってくる。

「さーってと、これからの話をしましょうか。そのためにフィムに来てもらったんだもの」

「これから……?」

 オリヴィアに促されてセラフィムが執務机に目をやると、そこには机の上には今の戦況を表す地図と駒が置かれていた。

「私たちがいるのがここ。それでこれが敵側の動きね。ヴィオ連邦はもうこのスティーラシエのすぐ目の前まで来てる。地理的なことを考えてもここを貫かれるとそのまま全領土を侵略される可能性が非常に高くなるわ」

 地図上の現在地をトンっと指で軽く打ちながら説明してくれる。

「わかった。絶対に死守ってことだね」

「それはそうなんだけどフィムの役割は別にあるの」

「え――?」

 セラフィムはてっきり自分は最前線に入るものだと思っていた。しかし、そうではないらしい。

「いくらフィムが強いと言っても相手は数十万。しかも援軍はいくらでも補充可能……どんな使い手だっていくらなんでも多勢に無勢が過ぎるわ」

「それじゃあどうするっていうの?」

「ヴィオ連邦はここで止めるわ。ただし、わたしだけでね」

 オリヴィアだけ……?

 セラフィムには彼女の言葉の意図がわからなかった。戦況が極めて厳しい情勢にあるのは彼も理解していた。今のルマディナルの戦力をすべて集めたとしてもヴィオ連邦の侵攻を止めることは限りなく不可能に近い。

 そんなものは誰にも出来やしなかった、それこそ命を懸けたって――。

「まさか……」

 セラフィムははっと息を呑んだ。

そんな彼にオリヴィアは頷く。


「私はもうミラの元へは帰れないけれど」


 そう、オリヴィアは命を賭した何らかの方法でヴィオ連邦の侵攻を止めようとしていたのだ。

 オリヴィアは稀代の魔法使いだ。その勝算はあるのだろう。ただし、話が全て本当であればそれは彼女の命と引き換えだった。

 オリヴィアが……死ぬ……?

 今までセラフィムは戦場で数々の任務をこなしてきた。戦場が死と隣り合わせだとわかっているつもりだった。しかし、どうしてもすぐそこにあるオリヴィアの死を受け入れることができなかった。

「………………」

 頭が真っ白になってしまっていたセラフィムの肩にオリヴィアがそっと手を置く。

「ミラのこと頼めるかしら」

「ミラを……?」

「ええ。守ってあげて」

「……っ。ほ、ほんとにもう帰ってこれないの?」

「……」

 それは無言の肯定だった。

 オリヴィアが命を賭さなければこの危機は乗り越えられない。

 理不尽なまでの選択。

 残酷なまでに突き付けられた現実。


「それは……嫌だな……っ」


 セラフィムは頬に熱い線が走るのを感じる。

 涙だ。いつの間にか涙していた。

 それは彼にとって初めての出来事だった。

「フィム――っ」

 オリヴィアが抱きしめてくる。

「私はね、あなたのこともミラと同じで自分の子どもだと想っていたわ! ごめんね、こんなこと頼んで! こんなお母さんでごめんね!」

「オリヴィア……」

 セラフィムは目から溢れるものが止まらなかった。抱きしめられていて表情はわからなかったがオリヴィアの肩は震えていた。壁に背中を預けるようにして立っていたアールグレインが歯噛みしながら視線を切るのが見えた。

 こうしてマルディナルの行く末はオリヴィアの手に委ねられた。


【大魔女の血の池地獄ブラッディレイク

 ルマディナル共和国スティーラシエ地域に張り巡らされた大規模範囲魔法。範囲内の土地はまるで血のように赤く染まっている。その中にわずかでも踏み入れると、その対象からマギアを吸いつくして骨も残らない。

 この魔法はかつて“大魔女”と呼ばれた魔法使いが死の間際に展開したとされている。属性、構成、何もかもが未知。魔法と言うよりは呪いに近い。

 ヴィオ連邦との停戦から五年経った今でもまだ効果は永続している。

                     ―ルマディナル共和国防衛白書より―

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