🔳4話

 就寝時間が過ぎて程なくしたとき、セラフィムはゆっくりとベッドから身体を起こした。

「……もう食べられませんよ~」

 幸せそうな顔で熟睡しているミラを起こさないよう音を立てずに部屋を後にする。


 セラフィムが小屋から少し進んだ先の木に背中を預けていると、暗闇の中から足音が近づいてきた。その足音の主たちと相対するように立つ。

「な――。お前は……っ」

 まさか人と出会うなんて思っても見なかったのだろう、目の前の人影が一歩たじろぐ。そのとき、雲間から月が覗きあたりを照らした。

 そこにいたのは入学式の前に因縁を付けてきた少年だった。彼の後ろには取り巻きも控えている。

「こんな夜にどこに行くの? この先には小さな小屋しかないけど」

「く……っ」

 一番手前のリーダー格の少年が言葉に詰まる。しかし、すぐに開き直ったように笑みを浮かべて言ってきた。

「ボロ小屋の住み心地はどうよ。気に入ってもらえたか」

「もしかして君たちが相部屋のこと仕組んだの?」

「まあな。相部屋の女子に事情を説明したら喜んで協力してくれたよ。でも小屋に住み着くとは思わなかったけどな」

「ねえ。迷惑をかけるつもりはないからさ。俺たちのことは放っておいてくれない?」

「ふざけるなっ! “国賊の娘”が学園にいるなんて虫唾が走るんだよ!」

 現在、この国で旧王族は強烈なほどの憎悪の対象になっている。そのため一人だけ国内に残っているミラへの世間の風当たりは凄まじく、抑留地でも嫌がらせは後を絶たなかった。

「今度こそ追い出してやるよ」

 そう凄んでくるリーダー格の少年。セラフィムは大きくため息を吐いた。

「本当に止めるつもりない?」

「当たり前だっ。くどいぞ」

「それじゃあ仕方ない、か」

 大きくため息を吐くセラフィムの周りを少年たちは囲むように広がった。慣れた動きで前衛と後衛に分かれる。リーダー格の少年を含む前衛は持ってきていた訓練用の木剣を構え、後衛はこちらに突き出した手にマギアを練っている。

「俺たち地元にいたときから同じ小隊になれるよう陣形を練習してきてんだよ。痛い目見ないうちに逃げたほうがいいぜ?」

 リーダー格の少年曰くそういうことらしい。

「……」

しかしセラフィムは全く動じていなかった。脚部にマギアを奔らせ魔法を発動する。

クライン肉体強化ヘラクル

これはマギアを纏った部分を一時的に強化する基礎的な魔法だ。マギアを扱えるようになった者なら誰でも使える。

ただし、練度によってその効果は大きく上下する。

 セラフィムが跳躍して少年たちの間を通り抜けると、取り巻きたちが糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちた。

「は――?」

 何が起こったかまだ分かっていないリーダー格の少年が素っ頓狂な声を漏らす。実はセラフィムは目にも留まらぬ速さで取り巻きたちに当身を繰り出し意識を刈り取っていたのだ。

 一般的な【小・肉体強化】では考えられないような速さ。それを成せるのはセラフィムのけた外れに練度の高いマギアがあってのことだった。

 繰り返しにはなるがこの国では旧王族であるミラを快く思っていない人間は多い。今回のようにトラブルに発展することは珍しくなかった。その度に彼女に降りかかる火の粉を払っていたのが何を隠そうこのセラフィムだった。

 彼はミラの付き人であり、盾でもあった。

「え? え? 一体どうなって……っ」

「まだ続ける? お勧めはしないけど」

 セラフィムは激しく狼狽している少年にずいっと近づく。

「ふ、ふざけるなっ。俺は絶対に“国賊の娘”がこの学園に通うなんて許さない……っ」

“国賊の娘”か……。

 周りの奴らはみんな、そう呼んでミラに容赦なく石を投げつける。

 あの娘(こ)のことなんて何にも知らないくせに。

 ――『あの子のことお願いね、フィム』

 ミラの母親の言葉がセラフィムの脳裏に蘇る。

 そう、俺はミラの付き人だ。

 ミラが今もまだ王族であることを大事に想っていて、責任を取るって言うなら止めはしない。

 でも――そのためにいたずらに傷つけられることは了承しない。

「君の言い分は理解するけど俺にも譲れないものがあるから」

「お、俺をどうするつもりだ」

「……」

 セラフィムはそれには答えなかった。これまでの経験上、彼はこういう手合いには慣れていた。折るなら心。完膚なきまでに絶望を見せつけると大抵の人間ならもう寄り付かなくなる。

「今後、ミラには近づくな。もし破ったら――」

 セラフィムは一呼吸置いてから、

「――っ」

 言葉を続けずに殺気を込めた視線で射抜いた。

「ひっ……あ……あ……」

 リーダー格の少年が地面にへたり込む。

あともう一押しかな。

 セラフィムがマギアを練り上げて【クライン火矢フェファイスト】で威嚇でもしようとしたところ、不意に背後から気配を感じる。

 な――っ。

 セラフィムが気付くと同時に気配の方から声がした。


「はーい、そこまで」


 弾かれたように飛び退き、距離を取る。

 ――周囲への警戒は怠っていなかった。

 俺が察知できなかった……?

 気配のあった方の草木ががさりと揺れた。セラフィムは姿勢を低くして構える。

「あーちょっと待った。別に敵対するつもりなんてないからねー。こうさんこうさーん」

 小さな人影が両手を上げてパタパタと振って出てきた。そこに現れたのは入学式のときに挨拶をしていた生徒会長ファルケだった。

「ふぇ……ファルケちゃん。やっぱり危ないですよぅ……」

 その後ろには寮の件で話をしたエールの姿もある。

「やあやあ。君がセラフィムくんだね。昼間に見かけたときから話してみたかったのよね~」

 入学式の際、セラフィムは彼女と目が合ったように感じたがどうやらあれは気のせいではなかったらしい。

「……話? 俺は別に話すことなんてないけど」

「そんなに邪険にしないでよ。お姉さん傷付いちゃうなぁ~」

 がっくりと肩を落とすファルケ。しかしすぐに切り替えたように笑ってウィンクしてみせる。


「ま。これは君にとっても悪い話じゃないと思うから少しだけ時間ちょうだいね」

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