🔳1話
ルマディナル共和国の東部にある都市アリマリリス。
大小の教育機関や研究所を有していて、それを町の発展に活用している国内唯一の学園都市だ。
丘状になっている中心にはこの都市の根幹をなす“騎士道学園”が鎮座している。そこから扇を広げるようにこのアリマリリスの町は広がっていた。
いつも騒がしい学園中央通りが今日は一段と活気に満ちている。それもそのはず今日は騎士道学園の入学式だった。この日は多くの新入生はもちろん学園関係者などがたくさんの人が集まる。そこに商機を見いだした者やその商品が目当ての観光客など人が人を呼び……いわゆるひとつのお祭り状態というやつだ。
人波に流されるまま歩いていた白髪の青年、セラフィムはふと立ち止まる。振り返ってひとりの少女へと目をやった。
サイドを編み込んだ栗色のロングヘア。
切れ長の目に澄んだ碧眼。
新雪のように透き通った肌。
やや控えめな曲線を描く体躯。
白ブラウスにコルセットにロングスカートと簡素な服装ではあるが、だからこそ少女の素材の良さを引き立てている。
「ミラ。どうしたの?」
セラフィムがそう呼びかけると、立ち並ぶ露店に瞳をキラキラとさせていた彼女の肩がぎくりと跳ねた。
「わわっ。違うんですよ、フィム。別に私はあの出店で香ばしい匂いを漂わせている“イカ焼き”? という美味しそうなものに心奪われていたわけでは――」
「いや、俺はまだ何も言ってないけど」
「ぁう……っ」
墓穴を掘ったと言わんばかりに固まるミラ。しかし、すぐに「こほん」とひとつ咳ばらいしてから何事もなかったように続ける。
「私はここに出店を愉しむために来たわけではありません。大丈夫。……本懐を忘れてなんていませんよ」
そう言った彼女の瞳に力が入ったのがセラフィムはわかった。
「じゃあ買わなくていいの?」
「構いません」
「ふーん。じゃあ俺は買ってみようかな。なんかいい匂いしてるし」
「ふぃ、フィム~~~~。それはないですよぉ……」
きりっとした表情から一転、ミラが涙目になりながら訴えてくる。
「いや~美味しかったですねぇ。イカ焼きもリンゴアメも最高でした」
「うん。そうだね」
結局、出店を堪能したふたり。
先ほどの中央通りを進んでいくと目的地へと到着した。
そびえ立つ石造りの障壁が切れ目なく延々と続く中、まるで難攻不落の城を彷彿とさせるような堅牢な正門が今はぽっかりと口を開けている。
ここが前述したアリマリリス最大の教育機関、正式名称“ルマディナル騎士道学園“だ。
騎士道学園とは将来国防を担う騎士になるため有望な若者たちが一般的な学業に加えて騎士としての教育訓練も行う場所である。この国には三か所騎士道学園が存在するが、このルマディナル騎士道学園が規模としては一番大きい。
正門をくぐると石畳が綺麗に敷き詰められた正門広場が広がっており、そこを抜けるとすぐに校舎があった。校舎だけでも全部歩いて回ったら二時間ほどはかかりそうな大きさなのだが、その裏手には各種の訓練スペースが広がっている。
「――その広さは校舎数五十個分、て書いてありますね」
ミラが備え付けてあった学園地図の貼ってある看板の説明を読み上げる。ちなみに学園だけでこのアリマリリスの十分の一を占めていたりする。
「えへへ~」
「ミラ。嬉しいのはわかるけど入学証書手に持ってると風で飛ばされちゃうかもよ」
「大丈夫ですよ、フィムは心配性ですね。それよりこうして証書と合わせて学園を見るといよいよって感じがしますね」
そう、セラフィムとミラは今日からこのルマディナル騎士道学園に入学することになっていたのだ。
正門付近の掲示板には新入生は第一グラウンドに集まるよう張り紙がある。そこでふたりは指定の場所へと向かった。
第一グラウンドは校舎のすぐ近くにあった。三百人くらいだろうか、そこにはもう多くの新入生たちが集まっていた。
ミラが感嘆の声を上げる。
「はわー……歳の近い方がこんなに大勢集まっているのを見るの、私はじめてです」
「俺も」
「皆さん新入生でしょうかね」
「まあ。そうなるんじゃない」
そう答えると彼女が嬉しそうに微笑む。
「学園生活楽しみですね。ワクワクします」
「え……?」
その言葉に思わず振り向く。
楽しみ、か……。
まあそうなれば一番いいけどどうなるかな。
だってミラは――……。
「どうかしましたか、フィム?」
きょとんと小首を傾げながら尋ねてくる。
「……いや、なんでもない」
本当に何もなければ俺の杞憂だ、そう思ってセラフィムは言葉を飲んだ。
『――――――っ!』
そのとき、近くで大きなどよめきが起こる。騒がしくなっている方では人だかりができていた。
「何かあったんですかね」
「さあ?」
ふたりはお互いに顔を見合わせる。ミラが人だかりへと近づいていったのでセラフィムはその後を追った。
人垣の向こう側からは何やら言い争っているような声が聞こえてくる。
「なにが、起こって、いるん、です、か?」
ぴょんぴょんと跳ねながら様子を窺おうとしているミラ。彼女より頭一つ分だけ背が高いセラフィムが少し背伸びをしてみる。
輪になっている人垣の中心には数人のグループと、それに相対しているひとつの人影が見えた。
艶のある黒髪に大きな耳と流れるような尻尾。
鋭く睨みつける金色の双眸。
口元から覗く獣人族特有の形の良い犬歯。
それは
このサードリッド大陸では
「なんか人狼種の男の子がトラブル起こしてるみたい」
たぶん人狼種に良い印象を持っていないのだろう、隣の少女が心底嫌そうに眉をひそめながら教えてくれた。
「大変ですっ。止めないとっ!」
「ちょっと待った、ミラ。不用意に首を突っ込むのは君の悪いところだ」
「でもこれから同級生になるんです。喧嘩なんて悲しいじゃないですか」
言うや否やミラが「すみません~」と人垣をかき分けていった。
まったく……言ってるそばからだ。
大きく息を吐いてからセラフィムは後を追った。
ふたりが人垣を抜ける。そこではグループの一番手前にいる少年が片膝を付いており、それを人狼種の少年が見下ろしていた。
「い、いきなり何しやがる……っ」
「お前たちが先にケンカ売ってきたんだろうが。人のこと珍獣だなんだって陰口叩きやがって。ただの人間と違って俺は耳が利くんだよ、ボケ」
膝を付いた少年は切れた口角からわずかに出血していた。それを手の甲で拭いながら睨みつけるが、人狼種の少年は挑発的な笑みを浮かべている。
「やるならやってやるぞ。もちろん全員で来ていいぜ?」
『――……っ』
少年グループは押し黙ってしまう。そんな様子に鼻を鳴らして、
「けっ。雑魚どもが」
吐き捨てるように言って人狼種の少年は去っていった。
周りからは忍び笑いが聞こえてくる。相手が人狼種とはいえひとり相手に複数人でいいようにやられてしまったのだ、情けなく映ってしまうのは無理もないだろう。ミラが怪我をしている少年へと駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「……っ」
ハンカチを差し出すが、少年は気まずそうに下唇を噛んで視線を切った。
「……放っておいてくれ」
「でも怪我が――」
「うるさいっ。余計なお世話だって言ってるんだよ!」
少年に振り払われ、「きゃあ」と小さな悲鳴を上げてバランスを崩してしまう。そんな彼女をセラフィムが後ろから支える。
「平気?」
「は、はい。ありがとうございます、フィム」
ミラに怪我はなかったものの、持っていた入学証書が足元に落ちてしまった。それを見た少年が大きく目を見開く。
「ミラ……ルマディナル……だと?」
少年が呟くようにして言った。
瞬間、空気が張り詰める。
「風の噂で聞いていた。今年の新入生の中には旧王族の第二王子――あの“国賊の娘”がいるかもしれない、と。……もしかしてあんたがそうなのか?」
――しまった、入学証書か。
「あの、それは――」
代わりに答えようとしたセラフィムをやんわりと制す。
ミラ……。
身体を預けていたミラは真剣な表情で姿勢を正し、口を開いた。
「私の名前はミラ・エヴァリーナ・ホルタソーレイ=ルマディナルファーディラ。貴方の言う通り旧王家のものです」
周りからどよめきが起こった。
そう、ミラは正真正銘ルマディナル王家の第二王子だった。それが何を意味するかというと、ヴィオ連邦との戦争中に裏切って敵側へと亡命した一族のひとり――そして多くの犠牲者と領土の半分を奪われた世紀の事件の大戦犯ということだ。
明らかに場の空気が一変した。
つい先ほどまで喧嘩で熱を帯びていたのに今は氷のように冷たい。周りを囲む人垣からの不穏な色を宿した視線がミラへと刺さる。まさに針のむしろだった。
「……ミラ。下がって」
その雰囲気を察したセラフィムは自分の背中の方へと促そうとした。しかし、彼女は小さく顔を横に振った。
目の前の少年が睨みつけながら言ってくる。
「なぜ“国賊の娘”がこの学園にいる。裏切り者はみんな北の開拓地に抑留されたはずだ」
「特赦です。『満十五歳以下のものは騎士団に志願することで罪が免除される』、その人員不足対策の制度でこちらに通わせていただけることになりました」
「ちっ。なんだそりゃ。忌々しい旧王家なんざずっと開拓地に押し込んどきゃよかったのによ。目ざとくそんな制度使いやがって……相変わらず旧王家の血は生き汚い」
「……」
押し黙るミラに少年が続ける。
「そんなに抑留が嫌だったのか? 本当は騎士になんてなりたくもないくせに」
「そ、それは違います。私は本当に国を護る騎士として――」
「黙れっ!」
語気を強めて言葉を遮った。
「お前たち王族が裏切ったせいで俺は故郷を失った……っ。父さんは戦争に駆りだされて死んだっ。俺たち家族が今までどれだけ大変だったか――っ」
少年の声は怒りと悲しみに震えていた。彼のような境遇は今のこの国では珍しくはない。戦争で負けたというのはそういうことだ。幸せだった日常は一瞬で崩れ去り、もう二度と戻ってこないのだ。
旧王族の亡命はそんな戦禍の原因のひとつだったのは間違いない。
ミラが両膝を地面について自分の胸に手を当てる。
「すべて貴方の仰る通りです。先の戦争は多くの悲劇を生みました。責任はすべて私たちルマディナル王家にあります。本当に申し訳ありませんでした」
そして深々と頭を下げた。これはこの国で最大級の謝罪の礼式だった。
「ふ、ふざけるなよ。こんな謝っただけで許せるかよ! お前が謝ったってなにも返ってこないんだぞ!」
頭を下げたままのミラに少年は怒声を浴びせる。
すると。
「……そうだ」
まわりの人垣から彼の言葉に同意する声がぽつりと聞こえた。
『絶対に許すな!』『私は両親が戦争で死んだ! パパとママを返してよ!』『この“国賊の娘”が! 恥を知れ!』
それを皮切りに非難する声が浴びせられる。ミラは頭を下げたまま微動だにせず、まるで全ての言葉を受け止めるかのように謝罪の姿勢を崩さなかった。
「図が高いんだよ! もっと下げろっての!」
先ほどの失態を挽回しようとしたのか、まわりの熱に押された少年がミラの頭を乱暴に押し下げようとする。
「な――」
その手首をセラフィムは掴んで止めた。
「あ? なんだよ、お前は!?」
「ミラの付き人……かな」
「付き人ぉ? “国賊の娘”のくせにそんなのがいるのかよ生意気だな。おい、手を放せ!」
「彼女は最大限の誠意を示している。今、君がやろうとしていることは全くの無意味」
「うっせェな! こんなんじゃ俺たちの気が収まらねーんだよ!」
手を振りほどこうとしてくるが、セラフィムが力を込めているせいでそれは叶わない。
「おいお前たち! 何をやってるんだ!」
そのとき、遠くから教員らしき大人が駆け寄ってくる。
「ちっ。お前らこのまま学園にいられると思うなよ。おい、行くぞ!」
そう捨て台詞のようなものを残してから少年たちは去っていった。
このままでいられない、か。
セラフィムは心の中で呟きながらその背中を見送った。周りに集まっていたやじ馬たちも蜘蛛の子を散らすように解散していく。
「おい大丈夫か――て、こいつか……なるほど」
おそらくミラのことを知っているのだろう、駆けつけた教員の男が怪訝な顔をする。
「おい“国賊の娘”。あまり騒ぎを起こすなよ。入学してきただけでも迷惑だってのによ」
「……はい。ご迷惑をおかけしました」
ミラが深々と頭を下げると、教員の男も去っていった。
セラフィムとミラだけがこの場に残る。ミラは立ち上がってからスカートについた土を払い落としている。
「大丈夫?」
「実は少しだけ学園に入学したらお友達とかできるかな、とか期待していたんですけど……やっぱり厳しそうですね、あはは」
「ミラ……」
少し寂しそうに笑うミラにセラフィムは掛ける言葉が見つからなかった。
「でも仕方ありません。旧王族への皆さんのお怒りはごもっともですから」
彼女が続ける。
「それを受けるのは残された私の使命です」
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