第十三話 普通の人なら、差別くらい反対するでしょ(4)


     4


 風はなお夏の香りを残すのに、日は早くも沈みかけている少し不思議な季節と時刻。

 軽音部の最高の仲間たちと順々に別れつつ、風歌はひとり最寄り駅へと向かっていた。

 商店街に程近い路上で、ちょっと珍しい生き物と遭遇する。

 ラフな私服姿でエコバッグを提げている霧だった。キャップをかぶっており後ろ姿でもあるが、間違いない。バッグからは長ネギが伸びている。

 買い物帰りらしい。

「遠埜!」

 風歌が声をかけると、先方の肩がピクリと上下した。

 振り返ることなく、なぜか足が心持ち速くなる。

「ちょ――」

 風歌はつい反射的に追いすがり、その後ろ手をつかんだ。

「沢本か。気づかなかった」

「マ……? いやいや、逃げたでしょ」

「何のことだ」

「しらばっくれて」

「別に」

 霧が目を逸らす。

「強情! んじゃ、そっちがその気なら――」

 風歌はわざとらしく、制服の襟元をつまみ、パタパタと仰いでみせた。

「ふう……まだまだ暑いよねえ」

 ブランコくらいしかない団地脇の小さな公園で、風歌は、はい、と缶ジュースを手渡した。

 その希少な遊具に腰掛けながら、霧が不機嫌そうに無言で受け取る。

 風歌も隣のブランコに座り、自分の分のジュースを開けた。

「あしただね。久しぶりだから超緊張」

 某差別扇動団体が予定している新宿ヘイトデモは、前夜の今に至るまで、中止になったとの報はない。

「君も行くのか?」

「言ってなかった? そだ、アカウントも作り直したから」

「……」

 霧が缶に口をつけつつ、その縁から水平にこちらを覗いた。

「まあ……あんたの頑張りに少しは応えてあげても? みたいな。フォローはしなくていいかんね」

 風歌もジュースをごくごく飲み、顔を涼しくする。

「そうか。しかし、結局それは自分の意思だ。君がカウンターに行くのも、SNSを再開したのも、ボクがフォローしないのも」

「そっか、自分の意思……。え、フォローしてくんないの?」

 二人の周りで、虫の音が静かに鳴り響く。あれだけけたたましかったセミはみな命の灯火を使い果たし、次の季節の命たちが、きっとまた恋の歌を口ずさんでいる。

 近くの街頭が新たに一つ点灯し、二人と、二人のそばに重ねて置かれた荷物を薄く照らした。

「励まされたのは……むしろこっち」

 霧がぽつりと漏らした。

 風歌は思わず顔面の筋肉を弛緩させた。

「わたしに?」

「父さんに」

「……あ、そう」

「あの日、君がうちに二度も乗り込んできて、なんかドタバタ暴れていったあと――」

「わたし、ひっどいなあ!」

「父さんに言われたんだ。君のお母さんが生まれ育ったこの店を、あの人との思い出が詰まったこの場所を、守りたい。そう思って、お婆ちゃんと必死にあがいてきた。けど、それ以上に僕たち二人がずっと大切にしてきたものがある。霧、君だよ――」

「……」

「店がなくなってしまうことより、君が自分をなくしてしまうことのほうが、よほど悲しいし、悔しい――」

「……」

「それに、店が潰れても再就職すればいいだけ。こう見えて、会社で働いていたころの僕は、なかなかできるほうだったんだから――とね。最後は無理しておちゃらけて」

「うーん、そこはあんたのお父さん。たぶんホントにエリートとか出世頭とかCEOとか、そんなふうな……」

「CEOではないと思う」

「でも……普通だね」

 風歌は腰を曲げて手を伸ばし、空き缶を一つ、かばんにしまった。

 え、と自分の耳を疑ったふうな霧の反応と対照的に、そのまま淡々と身を起こす。

「とっても普通。だって親なんだもん。子供なんだもん。あんたはお父さんの子で、お父さんはあんたの親でしょ」

「当たり前だろ」

「当たり前だよ。だから普通なんだよ。羨ましいくらい普通。そんな普通で当たり前のこと、なんで、いちいち言われないと分かんなかったかなあ? 戦車だって止めれるって言う人が」

「……」

「あんたが自分を大切にしなかったら、あんたを大切にしてるほうは立場がないよ。親を失業しちゃうよ」

 霧が口もとを緩めた。

「あー、また、わたしを馬鹿にしてるー!」

「いや――」

「馬鹿はボクのほうだった。君の言うとおりだ。なんでこんな当たり前のこと、いちいち言われないと分からなかったんだろうな」

「そんなもんよ」

「そんなもんか」

「うん、そんなもん」

「あす――」

「うん、あす」

「言ってやろうじゃないか。ボクよりはるかに劣る大馬鹿者どもに、ただ、当たり前のことを」

「うんうん、当たり前のことを」

 風歌は立ち上がると、体幹を駆使してブランコを漕ぎ始めた。

「差別反対!」

 霧も缶を片手に、両足で土を蹴ってブランコを揺らし始める。

「ヘイトスピーチは違法」

 二人、交互に言い続けた。

「仲良くしようぜ!」

「法以前に人権侵害」

「警察は正しいほうに味方して!」

「差別は悪だ」

「反差別は正義だ!」

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