第十三話 普通の人なら、差別くらい反対するでしょ(3)


     3


 霧に心強い仲間が加わった。

 彼ら生徒会執行部の作戦はこうだ。

 ずばり、霧にはすでに多くの味方がいることを広く世に知らしめること。

 霧の連日の呼びかけにもかかわらず、ネット上でこれに呼応するカウンターがいまだ現れないのは、アカウントをいくら大量作成したところで、背後にいる人物はしょせん霧一人と思われているからだろう。

 作成者の一部がどうやら口を滑らせてしまっているせいで、作成者もやはり複数いると知るネトウヨも、あるいはすでに存在していたかもしれない。が、彼ら自身を不利たらしめる複数人説が彼らの口から飛び出すはずもなく、彼らは単独説ばかりを盛んに叫び、そして自他のいずれに対しても、それこそが事実だとして扱っていた。

 ネトウヨの言葉を真に受けるカウンターなど希有だろうが、それでも皆無ではない。一方で、カウンター側から複数人説が唱えられることも、ほぼなかった。なぜなら本当に真相を知らないからだろう。誠実であればこそ、知らないことはうかつに語れないのだ。結果、個々の威力は乏しいものの、ネトウヨによる大量の嘘――それこそ「遠埜霧」のアカウント数よりもはるかに多いその嘘ばかりがじわじわとネット中を侵食し、いつしかカウンターの間でも、どれだけ目に付こうとも「遠埜霧」はしょせん一人、取り合うに値しないアカウント群との雰囲気となってしまっていた。

 これは完全にジレンマだが、霧が作成者たちの身の安全などに配慮し、あえて没個性に徹するよう指示を出していたことも仇となった形だ。

「五、提案」

 書記の言葉を合図に、会計が霧の計略を練り直す。

「それでも、炎上させて注目を集めるところまでは成功した。これを第一段階とします。次は第二段階。もっと思い切って、偽アカウントたちにも個性を出してもらいましょう。ファンの子たち、それぞれが自分の言葉で、差別反対、ヘイトスピーチはダメってね。もちろん、ここにいるわたしたちも言う。そうしたら、カウンターの皆さんの耳にも、今度こそしっかり届くと思うから」

「それは……」

 霧が反対しかけた。

「もちろん、その程度のこと、会長も真っ先に考えたでしょ。そして即ボツにしたんでしょ。でもね、さっきも言ったじゃない。チームとして手を取り合っていきたいって」

「君たちならまだしもだ。ボクを慕うあの子たちは反差別に関心がない。差別問題に対し、肝心の、自分の言葉がないんだ」

「会長」

 会計が、このうえなくきつい形相で霧をにらみつけた。

「人を見下すのも大概にして。人間を見下すのは」

「……」

「普通……本当に普通の人なら、差別くらい反対するでしょ。悪いことや理不尽なことには腹を立てるものでしょ」

 風歌も霧をにらんだ。

「そうだよ、遠埜。誰だって、普通そうだよ」

 二人の副会長も、そうだぞ普通、この学校の生徒なら特にね、などと相づちを打つ。

「普通、か。その言葉、長らく異なる意味で使っていたよ……」

 霧が一同の顔を見回した。

「信じよう」

「決まり! じゃあ帰ったら、さっそくそれ用のアカウント作らなくちゃ」

 会計がひとつ手を打ち、書記と副会長たちも、そのつもりで頷きあう。

 会計が続いてこちらを向いた。

「沢本さんも」

「わたしも……?」

 風歌自身は、いまだSNSは閲覧のみに留めている。きっと「ういんどそんぐ」炎上の件を会計は知らないのだろう。たとえ知っていたとしても、当の「ういんどそんぐ」の正体が眼前の風歌だとは思いも寄らないに違いない。

「沢本はいいんだ。軽音部で忙しいから」

 霧が淡々と告げた。

「そっか、ごめんね」

「ううん、こっちこそ……」

 風歌は会計に謝り、澄まし顔の霧を一瞥した。

「あのー……」

 庶務がおそるおそる手を挙げた。

「アカウント、一人一つ……だよねー? すぐ休めるし……」

 副会長たちが顔を見合わせ、当然とばかり口をそろえて即答した。

「複数」

 同日、ネットの異変は夕刻から発生した。「遠埜霧」に賛意を示すアカウントが同時にいくつも現れたのだ。むろん生徒会役員たちの手によるもので、彼らは一人あたり二個から十個ほどのアカウントを作成し、それぞれ異なるハンドルネームとアイコンで投稿を開始した。文章や添付画像も一つずつ異なるが、訴える内容はどれも同様だ。「NO PASARAN」の語と「新宿ヘイトデモを許すな」のタグとともに、全国のカウンター諸氏は弾圧に怯まず立ち上がれと決起を促すものだった。

 さらに続いて。

 事前の示し合わせどおり、ついに霧が許可を与えたらしい。

 これまで霧による定型文ばかりを投稿していた無数の「遠埜霧」たちも、アイコンとハンドルネームを一つ一つ異なるものへと変更した。それと並行し、投稿のほうも独自の文面となる。凡庸で拙く、誤字脱字も多いながら、曲がりなりにも各人の言葉で綴り始めたのだった。

「差別とかやめよいよー 小学校で教わんなかった?」

「人権とか難しくてよくわかんないけど、差別はわるい事でしょ?わるい事しちゃったらやばいでしょーが」

 中には当初の霧の懸念どおり、投稿者自身にとっても、またマイノリティにとっても危うい投稿がいくつかあった。しかし、ほぼ唯一残った「遠埜霧」が目を光らせていたらしく、すかさず訂正や削除を促す。

「彼は○○人だけど良い人との言い回しはフォローになっていない。○○人は一般的に悪い人たちなのだが――という意味を暗に含んでしまい、ヘイトスピーチになってしまうからだ。」

 すると指摘を受けたほうは、第三者の目には驚くほど素直に指示に従い、以後はより慎重に反差別の投稿を続けるのだった。

「お姉様御免なさい・・」

「あ、違った・・今書いたの無し無し こんな時はヘイトしちゃった相手の人達に謝るんでしたよね?」

 ほかでもない。的確な注意をして回るその「遠埜霧」こそ、霧本人だったのだろう。もちろん、彼女の旧アカウントが依然として凍結している現在、凍結への対処としてアカウントを新たに作り直すのは利用規約違反だ。

 が、今さらといえば今さらの違反だった。

 それよりもむしろ、一連の「遠埜霧」群を同一人物によるプログラムの産物にすぎないと侮っていた者たちの衝撃と動揺のほうが、はるかに事は重大だったろう。

 なにせ各「遠埜霧」が一斉に個性をあらわにし、さらには旧「遠埜霧」どうしで会話すら始める始末だったからだ。

「霧おねえさまどこ―?」

「そこそこ もうリプに巻き込んでる」

「これか!発見―♪おねえさま、さっきのグル―プメッセ―ジ読みました!ですよねですよね―?もう感激ですです!信じ合うってステキですよね!わたしもはりきってカウンタ―に参加しま―す」

「こっちが頼りないのはホントーですし、姉様が誤ることはないと思いますよー」

「吸いません、きりサマ・・・反差別の参考サイト、リンク間違って消しちゃいました・・・も一度送ってほしいみたいな?・・・」

「あ、こっちも同じく…ついうっかり」

「ほかに参考にるなるサイトってあります?」

「そんなら自分もちょっと知ってるよー DMで送るね」

「アリガトー」

 半ば必然――。

 ネトウヨたちは、現実から乖離した言葉でもって、己の心の安定を図り始めた。

「ふん、一人芝居バレバレ」

「反日ってすぐ工作するよな」

 いつもの決めつけだ。周囲に嘘をまき散らすとともに、自らをも騙して不安な心を慰撫するのだ。

 ただ今回は珍しいことに、工作との決めつけに関してだけは間違っていなかった。なにせこちらとしては、一人でいくつものアカウントを作り、より多数に見せかけていたのだから。当てずっぽうに矢を放っても的を射貫くことはまれにある、ということだ。

 とはいえ、そうした工作をする者自体が、おそらくはネトウヨの願望に反し、実際には多数いた。そのため、ネトウヨが得意とする嘘も、果たしてどこまで効果を発揮しきれたか。

 安易な嘘では糊塗しきれないほど、ネトウヨの目にも、旧「遠埜霧」群はいよいよ数多く映っているはずだった。これまで世間に対して幾度となく勝利をだまし取ってきた彼らの不誠実な嘘も、同じように不誠実な工作によってあえなく相殺され、無効化されたのだ。

「カウンター自体が違法とされるいびつな状況だ。ならば、今さら半端にお行儀よくしたところで何になる。奴らがこちらの行動を反則ととるなら、期待にお応えし、見せてやろうじゃないか。その反則を。反則をも上回る圧倒的大反則を。ルールが無視される理不尽さ、悔しさ、苦しさ――それらを、今こそ奴ら自身が学ぶべきときだ」

 生徒会役員と風歌に対し、霧が改めて示した決意だ。

 思い出しながら、風歌は自室の天井を見上げた。

「ったく……無駄に強くてカッコいいんだから。やっぱ遠埜はああでなきゃね」

 その手にはスマホがあった。ラジオアプリからは、バッハのト短調だったか――荘厳で、畏怖の念すら抱くパイプオルガン曲が流れていた。その迫力に気圧けおされてもいるためか、四角い金属板を握る手が小刻みに震えている。

 反対の手で黒い前髪を一束つまんで撫でた。そのまま下へと滑らせる流れで、震えているほうの手へ、そっと覆いかぶせる。

「わたしだって、ちょっとは前より強く――」

 深呼吸し、震えを止める。

 次にスマホ画面を表示させ、ラジオと並行でSNSのアプリを起動させる。

 昼間こそ霧に庇ってもらったものの、風歌も先行する味方たちに続くべく、やはりアカウントを作ることにしたのだった。なお、以前のアカウント「ういんどそんぐ」は自ら削除したものなので、その分の作り直しならば違反ではない。使い捨てメールを取得するなどの労もなく、作成はすんなりと済むはずだった。

「強く……」

 いきなり壁にぶち当たった。指が止まる。ハンドルネームを決め忘れていたのだ。

 確か、本名からかけ離れたものであるほど安全性が高いのだったか。いつだったか、霧がそのようなアドバイスをしてくれたことがある。

 却下。

 くずかごへ、ポイだ。

 その霧がまさに本名で、しかもさまざまな危険やそしりをものともせず闘っているのに、どうして違反一つ犯していない自分が安全圏でぬくぬくとしていられるのか。

 本名そのものを使うことにはまだ抵抗があるものの、せめて「風歌」の名に近いものくらいは名乗っていたい。

 次に思い出したのは、軽音部のバンド名をどうするかで、あゆむに相談した際の会話だった。

「またガ行……」

「濁音、カッコいいじゃん、強そうで。んじゃ、修応館を濁らせてジュウオウ――」

「カワイイのがいいの!」

 パイプオルガン曲が一つの山場を迎える。金属的な旋律が高らかに響く中、雷雲の狭間から神の啓示でも下ったかのように、ついにそれは定まった。

 空欄に文字を打ち込む。

 アカウント「ぷぅか」の誕生だ。

 くずかごの中からは、プリンとプレーンヨーグルトの空容器が仲良く顔を覗かせていた。


「そっか、それが風歌ちゃんの決めたことなんだね。」

 風歌はまず、天祢あまねのアカウントに、SNS再開の旨を非公開のメッセージで報告した。決心に至るまでの簡単な経緯と、さらには、週末のヘイトデモに、霧とともにカウンターをかけるつもりでいることも加えて告げる。

「こうあんに気を付けてって、せっかく忠告してくれたのに・・・すいません」

「ううん、謝る必要なんてない。風歌ちゃんがそれだけ真剣ってことだもん。一応大人(?)のあたしが危険な行為を他人に勧めるのは無責任だけど、だからって、一人の女性がしっかり考え抜いて出した結論を、安易に否定する資格もないと思うの。」

「やっぱり反対ですか・・・? わたしが路上に出るの・・・」

「ホント言うとね、すごーく心配。風歌ちゃんも、霧も。」

「うう・・・」

「そだ。あたしからも一つお知らせ。」

「?」

「といっても、あたし自身のことじゃなくて、ついさっき入ってきた速報だけど。AGITOの件。」

 AGITO。

 その名に、風歌はつい身構えてしまった。

「まだ見てないよね?」

「はい」

 短く返事しつつ、続けてまた短い語を送信する。

「でも」

「うん」

 天祢も短く答えると、風歌を気遣ってか、AGITOの発言や顔写真が使われているだろうニュースへのリンクは貼らず、自身の言葉で内容を要約してくれた。

「AGITOをずっとCMに使ってきた携帯電話の会社が、これからはもう使うのやめるって。」

「マ?」

 マジメに言っているのか、それは本当のことかという意味のスラングだ。もちろん、ここでそうした冗談を言う天祢ではない。事実上ただの感嘆詞だ。

 改めて質問の語を送る。

「不買運動の成果?」

「表向きの理由は、今期の契約が終了するからってことだけどね。今までずっと再契約してきたんだろうに、急に不思議だねえ。」

「ふしぎですねー(すっとぼけ)」

「日本の企業は差別の存在をなかなか認めたがらないからねえ。けど、ほら、スマホを作ってるのはほとんど海外メーカーだから……。」

「そか、日本人、ガイアツに負けてんじゃん」

「風歌ちゃん、日本人へのヘイトスピーチ(笑)」

「ええーっ」

「フフ、うそうそ。でも、このニュースのコメント欄は早くももう……。」

「いーです、いーです 見たくな~い」

「見せな~い。」

「あり! でも・・・そう」

「そう、ようやく、たった1件。」

「ううん、みんな苦労したんだもん」

 そう書き込むと、風歌は目を閉じ、ほっと息をついた。

 しばらくして、おもむろにまぶたを開け、書き込みを再開する。今度は一転、天祢の返信すら待たず、何度も短く続けざまに。

 それは会話というよりも、整理するにはまだまだ時間が足りなすぎる心情の、一方的な吐露だった。

「遠埜なんて特に」

「停学になったりして」

「だから」

「意味のある大きな1件だなって」

「思います」

「わたし何も」

「してないけど」

「AGITO」

 最後に書いたその名は、しかし、送信後すぐに消した。

 再び手が止まり、じっと画面を見つめてしまう。

 パッと天祢からのメッセージが浮かび上がった。

「風歌ちゃん、平気?」

「へーき ぜんぜんへーきへーき」

 そう返事する。

「ホントに?」

「はい」

 再びそのような返事。

 遠くで虫の音が静かに鳴り響く。

 一、二分ののち、天祢が不意に告げてきた。

「決めた」

 いきなり何?

 何を決めたんだろう。

 疑問は、抱いた直後に解消された。

「あたしもカウンター、行くことにしまーす!」

「あま姉!」

 画面の前で風歌は思わず声を上げた。

 新たに込み上げてきた熱が胸の中で取って代わり、内燃機関の燃料となって、風歌にこの日、一番の速さで文字を打ち込ませる。

「大好き!愛してるー!」

「あたしも風歌ちゃん好きー。あゆが北海道から帰らなかったら結婚しよー」

「結婚しよー!しよー!」

 果たして、風歌に続き、天祢もまたカウンターとして再び立ち上がったのだった。

 程なくして、風歌の呼びかけで真子まこもこれに加わった。ただ、風歌に促されたというよりは、真子自身が再起のきっかけを今か今かと待ち望んでいたふうだった。夏季休暇の間、父に路上でのカウンター活動を自粛させられていたこともあり、よほど身がうずいていたのだろう。

「行きます! 行くったら行く! お父さんもいつも正しいことしなさいって言うし!」

 それは、風歌に対する天祢と同じように、真子に対する風歌が心配してしまうほどの張り切りようだった。

 例えば――。

「♯NOPASARAN」

 ハッシュタグは「新宿ヘイトデモを許すな」のほうだけだったのに、そちらまでシャープ記号を付けて投稿してしまう。

「こっち、タグいらないんだ? すみません、間違えましたっ。」

 誰にも指摘はされていないが、自身で気づき、真子のアカウントがミスを詫びた。

「構わないんじゃないですか? カウンターに行かない者がカウンターの参加を呼びかけるタグを作っちゃいけない(誰かが作ったタグを使うのはOK)って内輪のルールならありますけど、♯NOPASARAN なら別にね。ずっと前から世界中で使われてるタグでもありますし。」

 ある者がすかさず擁護した。風歌も知らないカウンターの誰かだ。

「そうなんですね! ああ、よかった。あ、わたしはカウンター行くつもりです!」

「ですか。んじゃ、自分も行こうかな。なんか、今回はみんな行こうって感じになってきたみたいだし」

 さりげない一言だが、まさにそのとおりだった。

 SNSの状況は一変した。

 ハッシュタグ「♯NOPASARAN」の使用も相次ぎ、カウンターの参加を表明する者が一人また一人、さらにまとめて二人、四人――十人と現れる。

 最初は始業式で自研部に対してのものだった霧の呼びかけが、ついに世間に広く届いたのだ。

「ヘイトデモ中止!」

「警察はもう邪魔すんなよ!」

「ここで怯んだらもっと悪くなるぞ!」

「レイシストども、いつまでも調子に乗ってんじゃない! 覚悟しておけ!」

「奴らを通すな!」

「奴らを通すな!」

「♯NOPASARAN」

「奴らを通すな!」

 正義と善玉菌を愛する東京ストリート系女子「ぷぅか」も、この夜、幾度めかの投稿をする。アイコンは、いつか飼いたい手描きの猫。

「差別反対!♯NOPASARAN!」

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