第十二話 我慢しない!(2)
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夏季休暇が早くも残り十日ばかりとなったころ、いまだライブの興奮さめやらぬ風歌は、軽音部の次なる活動に向け、張り切って登校し、練習に打ち込んだ。
その帰りの駅前で、図らずもヘイト街宣と遭遇する。
しまった、と風歌は歩を緩めた。告知をチェックしていた天祢からその時間帯は気を付けてと注意を受けていたにもかかわらず、頭のスイッチが軽音部員のままだったのだ。
街宣者たちの近くに、他のカウンターがいる気配はなかった。当の天祢もいない。八月は年間を通じて最大の旅行シーズンであるため、どのみち仕事が忙しすぎて来られないのだ。霧の姿もなかった。彼女の父が逮捕されてから、彼女は完全に沈黙を保っていた。ネットに書き込まず、ヘイターの配信動画に姿が映り込むこともない。真子は家族との約束で夏季休暇中は路上でのカウンターをしないことになっている。あゆむはカウンター活動にそもそも不熱心で、一時こそ風歌が勝手に期待したものの、結局は期待外れに終わっていた。
風歌に味方はなく、逆に街宣者たちのそばにいたのは、例によって公安とおぼしき数人の男たちだった。色が暗めのスーツと耳のインカムから、おそらくはそのようだと分かる。彼らはときおり街宣者たちとも親しげに言葉を交わしつつ、周囲に鋭く視線を配るのを怠らなかった。
風歌は息を殺しながら素知らぬ顔で遠巻きに通りすぎ、現場が完全に見えなくなってから、小走りに改札をくぐり抜けた。
もしかすると、自分はまだ公安に認知されていないのかもしれない。いや、きっとそうだろう。なにせこの片足は軽音部に浸かっている。費やす時間といい、交友関係といい、そちらが生活の軸足とさえいっていい。あゆむをさほど笑えない。自分だって、霧と比べればずいぶんと不熱心なカウンターだ。カウンターとしての日も浅い。
電車の中でそう思考を巡らせて、風歌はようやく安堵できた。
ただ、自分個人はともかく、カウンター全体を取り巻く厳しい情勢は、報道や噂を介し、風歌の家庭内でも認識されるようになっていた。
近ごろは理解を示してくれていた父母が、にわかに以前の態度に戻っていた。
「ちょっとちょっと、あんた大丈夫?」
「刃物で刺された人だっているそうじゃないか。ハッハッハもの……笑うこっちゃない」
風歌は、父とは違ったふうに屈託なく笑ってみせた。
「全然ヤバいよー。悪い意味で。だから……うん、今はね、活動やめとこうってなってる」
「……ホントに? 争う人たちの中に飛び込んだりしない?」
「しないしない。当分、カウンターに行ったりしないよ」
「行けぇ!」
弟の鉄哉が唐突に叫んだ。
「がんばれー! 悪い奴なんかやっつけちゃえー!」
再びテレビ画面に向かって叫ぶ。画面の中では、見るも
そのチーム――鉄哉より少し年上くらいの子たちが、全身傷つきボロボロになりながらも、カメラ目線で熱い決意を表明している。
「たとえ我が身が砕け散ろうとも……!」
「この命、すべて燃やし尽くします!」
「世界を救ってみせ――!」
ポチッ。
暗転。
眼鏡とスーツ姿のアナウンサーに変わる。
都議会では臨時会が開かれたらしい。
「お母さん、わたしザコ、ザコ。ああいうヒーローとか主人公とかじゃないから」
風歌がやれやれと苦笑しながら振り返ると、リモコンを握りしめていたのは母でなく父だった。ついさっき、だらしなく緩んだ顔で下らないダジャレを垂れ流したばかりなのに、その顔のまま固まってしまっている。
鉄哉のほうは、情けないほど泣きそうな顔に変わっていた。
翌朝、あゆむから画像付きメッセージが届いた。
札幌の時計台を背景に、ロードレーサーの格好でポーズを決めるあゆむがいる。文言は「ジャーン!北海道!」だ。続いて、「いつか行ってやれって思ってたんだよねー こっち涼しー」とある。
「がっかりだよ!」
風歌は書き殴った。
「お金もないくせに」
それに対する返信は程なくしてあった。
「だからチャリで来たんだよ つか何だよ がっかりって 時計台の人に謝れ」
「こっちは大変なんだからね!」
「毎日暑いもんなー」
「暑いけど!じゃなくて!すぐ逮捕されるし、みんないなくなっちゃうし・・・なのにこんな時に呑気に旅行なんて」
「? 稚内」
稚内?
んん?
稚内といえば北海道のどこかだ。
そこがどうしたのだろう。
一連の問題を解く鍵が、その地にあるということだろうか。
政府を裏で操る稚内のご老公――知る人ぞ知るそのような大物に自分が直談判に向かうところまで、風歌は瞬時に想像力を働かせた。
「ミスった わっかんない」
「くはあ・・! 怒」
苛立ちの言葉を画面に叩き付けつつ、改めて、風歌はここ最近のカウンター事情を手短に説明した。
「そのことかい そーいや天祢も人が気持ちよくゲームしてる横でそんな辛気くせー事だらだら言ってたな つまんねー女だよあいつ」
「知ってたんかい それと最低だな、てめえ」
「殴られたなら殴り返しゃいーじゃん だからカウンターっつーんだろ」
「それができたら苦労しないの こっちはガンディーなの」
「上等じゃん ガンディーは」
「上等じゃないよ 非暴力は不便だよ!いいよもう!」
風歌は一方的に会話を打ち切り、スマホを制服のポケットに突っ込んだ。この日も軽音部で練習の予定が入っていたのだ。
登校すると、何やら校内が騒然としていた。
耳ざとい生徒が、職員室からの極秘情報とやらを他の生徒たちに吹聴していたのだ。
「潰れるって!」
「何が?」
「反日サヨクの生徒会が?」
「だけならいいけどね! ひっくるめて! ここ! 修高!」
「え、廃校?」
生徒たちの間を、風歌も聞き耳を立てながら歩いていく。
何でも、現在、臨時に開催されている東京都議会で、与党議員から、次のような見解が示されたらしい。
文化施設や娯楽施設など、たとえ都立であっても、経営状況が芳しくなければ閉鎖もありうるとの考えだった。
「年々逼迫する財政事情におきましては、そのような可能性もまた、視野に入れておかなければならないと申し上げる所存です」
「えー、可能性のお話とのことですので、当然といえば当然のことと、ひとまずは承っておきます。が、改めて強調されましたからには、これまでタブーとされてきた、いわゆる聖域にも手を付けるとの認識でよろしいでしょうか。たとえば教育機関など」
「個別の案件につきましては、お答えを控えさせていただきます」
「とある公立校の入学希望者数が定員を下回った場合、これは経営状況が芳しくないと言えますでしょうか」
「仮定のご質問ですので、それについてもお答えすることはできません」
なおも食い下がる野党議員に、与党側からは「日教組!」との野次も飛んでいたそうだ。
ともあれ、この臨時会を受け、臨時の職員会議が、真夏の修高職員室で長時間にわたって行われた。結論としては、照明やエアコンのスイッチをこまめに切る、板書への無駄な書き込みを極力なくす、業者に委託していた保守管理の一部を自分たちで行う等、いくつかのささやかな経費削減策と、ひとまず危機感を忘れずに注視しておくこと、となった。廃校の危機は、あくまでまだまだ可能性の段階にすぎなかったからだ。
「それに、学校が、潰れても、公務員は、首にならない、からね。いつもの、転勤のように、別の学校に、移るだけ。少なくとも、これまではね」
自研部の顧問が、何に対してか、薄く笑いながら風歌に告げた。階段で難儀していたところを偶然見かけ、肩を貸してあげたのだ。ただ初めての経験だったので、どこまで力になれたかは確信が持てない。
それでも、しっかりと感謝された。
「ありがとう。リハビリで、少し良くなっても、すぐ、ひどくなる。老化かな」
「困ったときにはまた……。正義のヒーローみたいにはいかないですけど」
恐縮が、余計な一言を言わしめた。
顧問は首を振った。
「人の親切に、何度も、甘えたくないよ。それに、君のような、優しい人が、いつもいてくれる、わけじゃない」
「……」
「手すりを、もっと付けてくれれば、楽なんだけどね。そういうのが、一番の、正義だよ」
返答に窮した風歌に、顧問がさらに別の言葉を付け足した。今度は素直に嬉しい知らせだった。同じ会議で決まったことの一つだそうだ。
「理由としては、ここ何日かの、態度が、評価された、ということで」
引き続き、顧問の言葉がゆっくりと紡がれる。やがて一つのまとまった意味が形成されたとき、風歌の顔はその文法上の完結を待たず、フライングで見事に華やいだのだった。
夏休みの終了をもって、霧の停学処分が解除される。
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