第十一話 遠埜霧さん(2)
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一学期も余すところ数日となったが、相変わらず霧の停学は解かれなかった。
この段になると、本心では冤罪派が大半のようだった校内の雰囲気にも、着実に変化が表れてくる。
「本番のように、もっと危機感を持って行動を――」
と訓示を垂れる校長の話をよそに、避難訓練で校庭に整列中の生徒たちは、今ひとつ落ち着きがなかった。
「まさかとは思ってたけど、遠埜さんって、もしかしてホントにクロだったんじゃ……?」
「あんたも? ずっと戻ってこないもんねー」
「やっぱ無期懲役?」
「つか終身刑?」
「終身刑と無期懲役って違うの?」
偽りが少しずつ真実となり、ひたひたと世界を侵食する。気づけば事実が歪められている。
ひそひそ話が耳に入るたび、風歌は首筋のあたりが寒くなった。
空は抜けるような青さだった。入道雲は遠く大空の端に鎮座し、頭上の日射しが鋭く自分たちを照らし付ける。
「頑丈に見えて、案外、日常は簡単に壊れてしまいます。であるからして日々の備えが――」
校長の話はまだ続く。風歌だけが両の腕をさすりつつ、かすかな震えを抑えていた。
全校あげての大掃除の際も、霧の噂をする者は絶えなかった。
ほうき組が廊下の一隅に集まり、盛り上がっている。
「ゆーても生徒会長よ? なんであんなことにねー」
「ねー」
それは――。
風歌は少し離れた所で窓を拭いている。
きっかけは、先月末の地震に便乗した「井戸デマ」だ。さらに直接的には、そのデマ拡散に
行き過ぎとの批判も少なくなかったが運動は現在も続いており、賛成派と反対派、双方の対立はネットを中心にますます激化しているらしい。らしい――というのは、特にこちらから情報を追ったわけでもないのに、頻繁にその手の話題がニュースサイトのトピックスに並ぶからだ。そして見出しから推察するかぎり、「ネトウヨアーティストの犬笛が表現の自由では済まされない理由」といった不買賛成論に立脚したものは比較的少なかった。中立的観点からの「AGITO商品不買運動を考える――キャンセルカルチャーと受忍限度はどこまで認められるか」といった難解そうなものはさらに少ない。「サヨク激おこ 嫌ならこっち見んな」といった反対派による記事こそが、数のうえでも内容の平易さでも一番に勝っていた。
霧は自他ともに認める不買運動賛成派だ。そのため、勢いづく反対派におそらくは貶められてしまったのだ。
一つには、例の偽アカウントによって。
「あたしもあのアカウントちょっと覗いてみたけどさあ……みんな、本人本人って言うけど、冗談だよね? いくら遠埜さんの名前で遠埜さんの写真使ってるったって、中身は本人とギャップありまくり。あんなの、どう考えたって本人のわけ……」
「うーん、自分も最初はノリで、遠埜さんひっどーいとか言ってたんだけど……」
「だけど?」
「案外、そうやって逆に、本音のところでは偽物と思わせつつ――かもねって。自分にはむかう人たちは、こんななりすましなんて卑怯な手を使ってきまーすって、ハメるために」
「あ……なーる」
「ありえるかも」
「そっか。やっぱあの子、頭いいなあ」
いくないよ!
風歌の雑巾が横に滑った。力が逃げず奥に直進していたなら窓を割っていたところだ。
ぜんっぜん、ありえないでしょ……。
霧は確かに策士だが、そのような策略だけは決して用いるはずがない。なにせ偽アカウントの書き込みには、大量のヘイトスピーチや誹謗中傷が混じっているのだ。
霧が二重人格者でもないかぎり、罪のない人々や個人を苦しめるような悪事を働くはずがない。ある意味で霧がそれほど器用なら、そもそも今の窮地には陥らなかっただろう。
存外、霧は不器用なのだ。
「ちょっと……」
ほうき組の一人が風歌に気づき、何やら仲間内を牽制した。
他の子らも風歌を向き、ごめん、気にしないで、あくまで可能性の話だからと、謝罪や釈明をしてくる。
そういえば、と風歌は思い出した。
この校内において、自分は霧の相棒か何かのように見られていたのだった。いささか思うところもあるが、しかしカウンター仲間には違いなく、ある程度なら認めてもよい。
とはいえ、これが人徳の差だろうか。いまだ自宅にイタズラ電話がかかってくることはあるものの、自分は皆から、霧に対してほどには嫌悪の情を向けられないし、何なら引き続き親しくしてくれる子も少なくない。それでも、総じて誰とも一定のよそよそしさが生じてしまったようにも思う。
ほうき組の中に、一つ異質な表情の子がいた。
確か霧の停学を受け、ともに職員室へ抗議しに行ってくれた子の一人だ。その子は、ばつが悪そうに風歌から目を逸らしている。
仕方がない、と風歌は思った。あれほど校内で一大勢力を誇っていた霧派は、霧本人の没落が長引くにつれ、今や誰もがなりを潜めるようになってしまっていた。その子もその一人にすぎないということだろう。
自分は今のところ必要とせずに済んでいるが、これが時流に取り残された者の処世術なのだ。
「気にしてないよ」
まとめて皆にそれだけを答え、風歌はにこりと笑ってみせた。
もっとも、不買運動に関していえば、風歌はなおも霧と反対側の立場だった。ずばり、不買運動反対派だ。一度は霧に異議を唱えたことさえある。そのとき霧が示した微妙なためらい、わずかに上滑りしたような声の感触が、まだ胸のうちに小さなしこりとして残っている。しかし今ではすっかりこの話題に疲れてしまい、もう触れたくないというのが一番の本音になっていた。そのため、このごろは自研部にも寄りつかず、軽音部で気の置けないメンバーたちと練習ばかりしていた。つてを頼りに来月半ばには某ライブハウスでの出演も決まり、部内でする話題もそのことばかりだった。
「遠埜も、もういいでしょ? 空気読もうよ。職員室で先生たちも言ってたじゃん。少しはしおらしくって……。あんたお得意の正義、ちょっとくらい引っ込めたところで罰当たんないよ。何ならその分、ほかのもっとハッキリした分かりやすい差別に立ち向かえばいいじゃん。それなら、不買運動なんて微妙なものと違って、またいっぱい味方も増えるだろうし……。なのになんで、何でもかんでも、いっつもいっつも全力なの……」
夕暮れの小道、ベースのソフトケースを担ぎながら、風歌はふと振り仰いだ。黒い電線が幾本も交差する空に、ヒグラシの鳴き声がか細く響いていた。
風歌にも、霧のことが分からなくなってきていた。まるで出会った当初に逆戻りしてしまったかのようだ。いや、理解が薄らいでいく分、今のほうが深刻かもしれない。
例によって食欲も減退し、お代わりも茶碗半分ほどになる。
「それ、ぜんぜん手ェ付けてないじゃないの。食べないの?」
は? 全部おいしく食べてるし。
何なら冷蔵庫のデザートも余りの一つを狙ってるし。
風歌は抗議の顔を上げたが、母の視線は弟の
本日のメインディッシュは和風ハンバーグだった。それに汁物が一つと小鉢が二品。うち、生野菜サラダでないほうの鉢を、鉄哉はさも嫌そうに見つめていた。
「ピーマン……」
「てっちゃん、これ、ピーマンじゃないよ。パプリカっていうの。パプリカのマリネ。おいしいよ」
「パプリカもピーマンじゃん。色が違うだけ」
「風歌、余計なこと言わない」
「風歌は物知りだなあ、さすが高校生」
父が嬉しそうに一人で頷く。
「高校で習ってないし。前にテレビで見ただけだし。あ、色じゃなくて種類が違うんだっけ? ピーマンも赤くなるもんね。ええと、記憶が……何か引っかかって……」
「……風歌は少し物知りだなあ」
父が少し嬉しそうに一人で頷く。
「もう! お母さんがこんなの作るから」
「こんなのって何よ。きれいに残さず食べておいて。それに、あんたが前に言ってたパ行の料理じゃない」
「は?」
「覚えてない? パピプペポ。かわいい」
「……思い出した」
風歌は勢いよく立ち上がった。
「思い出した!」
その後、すごすごと座り直し、食欲も戻って再びお代わりをした風歌は、食後あらためて自室に向かい、収納の一番奥から、埋もれていた小学校の卒業アルバムを発掘した。
埃を払って開くと、かび臭さの向こうから、どっと当時の感情がよみがえってきた。
クラスの集合写真に、一人だけ髪の色の異なる子がいた。
そっとつぶやく。
「かわいい……」
赤毛とも茶髪とも言われた髪。その持ち主にとって、赤も茶も、かわいくない色、汚い色、恥ずかしい色だった。実際、まさにそのような意味合いで揶揄されてきたからだ。
何年生のときだったか、さすがに見かねた担任が、クラスの全員を注意した。
「
風歌の髪をニンジンやトマトといった赤いものに執拗に例えてからかっていたある男子に対しては、風歌の髪をニンジンにもトマトにも例えてはいけないと丁寧に個別指導してくれた。
後日、その男子は風歌の髪をピーマンに例えてきた。流通しているピーマンの多くは緑だが、熟せば赤くなることをどうやら知ってしまったらしいのだ。
風歌はこっそりピーマンの件を担任に告げた。当然、今度は「ピーマン」も禁句にしてくれると期待したのだ。ところが返ってきた反応は、風歌を困惑させ、失望させるものだった。
「うーん……ニンジンまでは分かるけど、ちょっとそれは気にしすぎじゃない? ピーマンって言ったら普通は緑でしょ? さすがにそこまで範囲を広げてダメって言っちゃうと、キリがないかな。いまに何も言えなくなっちゃう。沢本さんも、いろいろ辛くて敏感になっちゃうのは仕方ないと思うけど、少しだけ我慢もしてみよっか? 髪を引っ張ったのは注意しとくね」
しかし一般的な認識は緑でも、このクラスにおいては、やはりピーマンもまた赤いものであると認めてほしい風歌だった。現にあの男子はその前提のもとに立っていたのだ。
正直、ピーマンから即座に赤色を連想できるかといえば、確かに微妙なところだろう。以前の風歌もそうだった。それでも、ひとたび髪をピーマンに例えられてしまった以上、風歌にとって、ピーマンは髪と同じ色の存在にすっかりと変貌していた。塗り替えられてしまっていた。
当時の風歌は、担任に最後まで全力で助けてほしかった。被害者である自分への同情や慰み、激励などよりも、とにかく加害者をおとなしくさせてくれる措置をこそ欲した。そして助けを求めたからには、訴えが妥当かどうかを、己の色覚で一方的に振り分けてほしくなかった。児童からも保護者からも「優しくて授業が上手」と評判で、事実そのとおりの先生だったと思うが、いくら総合的な評価が高かろうとも、今まさに救いを必要とする子には意味がなかった。
たとえ代わりに別の子を数多く救っていたとしてもだ。「収支」として合算できるものではない。救われなかったほうの子にとっては。その子にとって、その子自身は唯一無二なのだから。
おそらく、担任には想像もつかなかったのだろう。そのとき目の前にいた子がどれほど追い詰められていたのかを。
魂を保護する忍耐力などは、幼少の時分にすでに残らず摩耗していた。もはやどれほど些細な悪口や軽口だろうと、確実にその分、むき出しの心がえぐられ、削り取られる状態にあった。
「あんたの髪こそ何々」
と、風歌が同様の比喩で言い返してみても、黒髪の子たちには何の打撃にもならないだろう。しかし風歌がそうした言葉を浴びせられる分には、髪を引っ張られることにも劣らない暴力として作用した。
いまに何も言えなくなる?
万一そうなったところで自業自得でしょ。
そうなりたくないなら、嫌がらせをやめればいいだけじゃない。
からかわなければいいだけだ。
こちらとしては、可能なら教室中から一切の「赤」や「茶」を除去してほしかったくらいだ。実際、教室ではなく自宅だが、家中にあった赤いボールペンや赤鉛筆をかき集め、まとめてゴミ箱に捨てたことがある。赤だけだと両親に理由を悟られやすくなって癪なので、知恵を働かせ、ダミーとして黒いペンも捨てた。即日のうちに見つかって叱られた。両親から執拗に犯行動機を問われたが、いっさい自供せず、泣きながらも最後まで口を閉ざし続けた。
そのときの両親以上の語気で、こちらこそ改めて、当時あの教室にいたすべての人たちに問いただしたい。
あなたたちにとっては軽い冗談でしかなかったのだろう――でも、わたしにとってはどれもが苦痛でたまらなかった嫌がらせ――せめてそれをやめてくれるだけで良かったんだ。
これが判断に迷う訴えだろうか。
賛否両論で済ませてよい意見だろうか。
静観や中立こそ冷静で賢明だろうか。
少なくとも、逃げ場もなく攻撃され続けてきた子にとっては「ノー」。
答えは一つだ。
翌日の放課後、風歌は何日かぶりに自研部へ赴いた。
「スドゥグ……」
「
「SD……デフォルメのあれね。いろいろ種類あるし、好きな人は好きだよねえ。弟もいま夢中で」
「好き……かもですね。弟さん、すごい。
「ううん、真子ちゃん読んでて」
風歌は、次に本棚の前に立った。中腰になって端から順に指していき、あるタイトルの前でぴたりと止める。
「井戸デマ……」
つぶやきの先にあったのは、『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』だった。
当夜。
自宅に持ち帰った本書を、風歌は改めて開いていた。
ただでさえ苦手な読書なのに、ページをめくる一回一回が途方もなく重く感じられた。
関東大震災自体は、ほぼ百年前に連続して発生した関東地震にともなう災害の総称だ。副題に記されているのは関東地震の本震発生年であり、元号だと大正十二年、日時は九月一日午前十一時五十八分。場所はまさにこの足もとの東京を含む、関東南部。マグニチュードは七・九。
震災の死者と行方不明者の数は、最も有力な説で十万五千人。焼死が多かったという。今の今まで昨日と変わらない暮らしを続けていたのに、その日その時刻、突如として家屋が倒壊し、火災が発生し、自分や家族の体に炎が燃え移って急速に命が失われていく様を目の当たりにしてしまった人々の恐怖と苦痛と悲しみは、一体どれほどのものだったろう。
しかし、本書の目的はそこにはない。そうした本は災害研究者や防災関係者たちによってすでに多数執筆され、世に出回っているはずだ。
本書の焦点は、犠牲者の数こそ震災のそれより少ないものの、人が人を殺めた点で、より救いがないともいえるほうに当てられていた。
「井戸デマ」によって引き起こされた事件――被災者だった人々が今度は一転、有無を言わせぬ加害者となって殺戮行為を繰り返した件だ。その件について、著者らが東京中に散らばる無数の証言や記録を集めて一冊にまとめた、と前書きにある。
今を生きる人々に、当時の「残響」を感じとってもらうために。
あらかじめ聞いていた評判どおり、文章自体は特に難解ではなかった。平均的な高校生なら読めるレベルと思う。風歌はどうにか読み進めつつも、たびたび差し支え、そのつど辞書の必要に迫られたが。
しかし、何よりも内容だ。
無理もない。
当時の代表的なマイノリティーだった朝鮮半島出身者を主な標的として、沖縄出身者、被差別部落出身者、在日中国人、聴覚障害者、共産主義者らが次々と殺害されていった記録集なのだから、風歌でなくとも読むのが辛くて当然だろう。
特に堪えたのが、虐殺を目撃した当時の子供たちの作文だ。あまりに無邪気な書きように、著者ならずとも心の底が冷えてくる。
ただ、大人たちがその子たちと比べて対照的かといえばそうでもなく、大人は大人で、ある種の純真さに染まっていた。勧善懲悪もののフィクションに登場するような自覚ある悪者ではなく、当時の彼らは彼らなりに真剣で、純粋だった。純粋に良かれと信じ、罪を重ね続けた。
世田谷の烏山という神社には、今も数本が残るが、かつて十二本ないしは十三本の椎の木が生えていたそうだ。ある人数に合わせて植えられたものらしい。震災時、神社の付近でも朝鮮人を標的にした虐殺事件があり、被害に遭った彼らがその本数に近い人数だった。では、椎の木はその被害者たちを悼んだものかと思いきや、実はそうではなかった、と著者は見解を改める。不幸中の幸いというべきか、重軽傷を負いつつも、彼らの多くはどうにか落命を免れたとのこと。
植樹の本数は、どうやら殺害容疑で起訴された側の人数らしかった。
事件から約六十年後に行われた聞き取り調査によると、地元の村が被告たちの苦労をしのぶ、あるいはその郷土愛を讃えるための記念樹だったと、古老の言葉として記録に残る――。
月の満ち欠けは知らないが、ひどく暗い夜だった。
新たな事例が紹介されるたび、風歌の気分は底まで沈んだ。そのつど懸命に浮上し、波の一つ一つを乗り越え続けた。
どれも見捨てないで、取りこぼしてはダメと、背中の後ろで小学生のころの自分が叫んでいた。声に駆られるように、風歌は闇の中を泳ぎ続けた。
読み終えたころには、東の空が白みかけていた。まるまる一冊、一晩で活字本を読破した記憶はちょっとないが、胸には別の感慨が湧き起こっていた。
「遠埜も……」
風歌は、水面下から息を継ぐように顔を上げた。
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