第十話 ポリティカルコレクトネスはお願いなんだ(5)


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 本物のそれを知る者たちの間で、衝撃は即日のうちに広まった。なぜだと憤る者、当然の報いと快哉を叫ぶ者、試験にかけられたリトマス紙のように、興奮でもって双方の旗色を明らかにする。

 対し、電話口から聞こえる霧本人の声はといえば――いつかこうなることは分かっていたという冷笑にも似た――意外にも淡泊なものだった。

「久しぶりに食らったな。しかし、今回は長くもった」

「前にも凍結されたの?」

「二年半ぶり、三度めだね。永久凍結はまだないけど」

「なんでそんなに」

「むろん、ネトウヨによる虚偽通報だろう。違反でもないのに、腹いせで通報し返す。加えて、虚偽を見抜けない運営側の無能」

 いつもの遠埜節だ。風歌は若干の腹立たしさと同時に安堵を覚えた。

「無能ならまだいいんだ。能力は本人らの心掛け次第で向上していけるから。一応、ボクも反省と再考を促す抗議文を送りつけておいたし。彼らが謙虚で誠実なら今後に活かしてくれるはず。が、懸念されるのは、運営自身も悪――ネトウヨであること。その場合、ネトウヨユーザーからの通報を、渡りに船とばかり、喜んで処理したものと考えられる」

「……ちなみに、どんな書き込みが違反認定されたの?」

「例の偽アカウントが例によって醜悪な排外主義を唱えていたんで、こちらもいつもどおり『日本は人種差別撤廃条約にも加入しているとおり、人種差別を許さない国だ。それほど外国の方たちと暮らすのが嫌なら、お前こそが日本から出て行け』と書いた。

「あ、なりすましを注意とかじゃない感じ?」

「ボクの名誉を傷つけようとする分にはどうだっていい。偽者がどう振る舞おうと、ボクは自分に恥じるところがないように行動するだけさ。いくら他人になりすましたうえでの言動だろうと、そいつの罪と恥は、どこまでいってもそいつ自身のものだ。たとえ周りの人々全員をまんまと騙しおおせたとしてもね。しかし、マイノリティを貶めるヘイトスピーチについては、発信者がなりすましだろうと、そうでなかろうと、一時たりとも放置するわけにはいかない」

「被害者がほかの人なら許さないのね。はいはい、相変わらず立派な心掛けで……」

 風歌は馬鹿正直者を笑うようなつもりで半ばあきれ気味に言い放ったが、言ったそばから、実は自分にも当てはまることに気づき、ひとり、何とも笑うに笑えない表情になってしまった。

 先日、家族が迷惑しているイタズラ電話の件で、霧に詰め寄ったばかりではないか。

「だ、誰かのために怒るって、ステキなことなのよー……」

 風歌は咳払いした。

「……続けてくださる?」

「ん? ……ああ。結果、当の偽者もボクも、ともに差別発言ということで凍結」

「ひどい。けんか両成敗だ」

「確かにどっちもどっちさ。善悪の違いに目をつむれば」

 さらに残念なことに、凍結が解除される保証はなく、また解除されるとしても、いつになるかは不明なのだそうだ。

 風歌が今後についての対応を尋ねると、霧は包み隠さず話してくれた。

 すなわち、しばらくはおとなしく様子見に徹して凍結解除を待ってはみるものの、何か月かたって望み薄と判断すれば、別のアカウントで活動を再開するつもりという。ちょうど、例の「捨て垢A」を放置したままなので、それを再活用するもよし、新たに作り直すもよし、とのことだった。

 ただし、利用者が守るべき規約によると、凍結回避策として別アカウントを使用するのは、実は違反とのことらしい。

 したがって、その際は、運営に悟られないよう気を付けながら、あえて違反を犯すことになる。正義を実践するために。

 確信犯だった。

「……とりま、そんなに落ち込んでないみたいで安心した」

「落ち込む? ボクが? ハハハ」

「何がおかしいの!」

「心配無用さ。むしろ、君こそボクの巻き添えを食わないように用心することだな。今回の凍結が表現の自由戦士たちの仕業かは不明だが、彼らの多くが喜んだのは確かだからね。まったく、他人の不自由を喜ぶとは大した戦士様たちだよ。世の中には、なんて都合のいい自由があったもんだ。君も、自分が味方であることを早く彼らに知らせておかないと。さもなきゃ、どんなひどい目に遭わされるか知れたものじゃない。イタズラ電話だけでは済まないかもよ。わたしはあなたたちの味方です、遠埜霧は間違っていますと、早く大っぴらに言えばいいじゃないか」

「心配して損した!」

 風歌は乱暴にスマホをタップし、通話を切った。


 他人にいくらなりすまそうとも、偽者による罪と恥は、なりすまされた被害者でなく、あくまで偽者自身のもの――。

 霧は毅然と言いきったが、現実問題として、騙されている側からすれば、なりすまされた被害者を見る目に負の変化が及ぶことは否めない。

 ここに、極めてリテラシーの低い集団があった。

 修高の教員一同だ。

「先生、これを――」

「そのSNSがどうかしましたか?」

「遠埜霧という名前のアカウントのことですが……」

 そのような会話が職員室あたりで交わされたのかどうか、風歌には知る由もない。しかし、無かったと考えるのは、もはや不自然だった。

 本物と偽の「遠埜霧」が同時に凍結された日から数日――。

 偽のほうはすでに四つめ、ないしは九つめ、あるいはそれ以上の個数となるアカウントを、性懲りもなく、またしても新たに作成するに及んでいた。

 その最新作か、はたまた過去作のアーカイブか、修高の教師たちはどうやらついに見つけてしまったらしい。程なくして緊急の職員会議が開かれたのかどうか――いずれにせよ、「遠埜霧」と名乗るアカウントによる、見るのも読むのも耐えがたい投稿の数々は、同姓同名の在校生を処分するのに十分な証拠に違いないと、職権を持つ者たちは判断してしまった。

 これには、霧が逮捕されたという先だってのデマが、あるいは多少とも作用してしまったのかもしれない。

 事実無根であることが明らかとなった後でも、ひとたび心のひだに染みついた悪印象は、本人たちにもはっきりとは意識されないまま、拭いきれず残り続けてしまう。

「植え付けられた印象は、理性の枠を超えて残りやすい」

 いつか、あゆむが霧に仮託した言葉だ。

 その霧の名が、校内掲示板に極めて不名誉な形で載ってしまったのは、誰へのどのような皮肉か。

「告示」

 貼り出された紙には、まずそうあった。何十人もの生徒たちが騒然としながら群がっており、風歌はようよう掻き分けて最前列に出る。

「今般、本校所属学生がインターネット上において重大な反社会的書き込みを複数回にわたって行っていたことが判明した。よって、本校学則第十三条および第四十九条の規定により、左記の者を無期停学処分とする。」

 記された氏名に、風歌は目を大きく見開いた。

「二年へ組 遠埜霧」

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