第十話 ポリティカルコレクトネスはお願いなんだ(4)


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 何者かによる陰湿な嫌がらせは、当然というべきか、霧のほうにも及んでいた。

 といっても、霧は平素から、自身のプライベートについて多くを語らない。そのため風歌が最初に確認したその被害は、誰もが確認できるSNS上に発生したものだった。

 具体的には、「遠埜霧」の偽アカウントが現れたのだ。名前は本物と完全に同じ「遠埜霧」。名前とは別に設定されるIDもほぼ同じだ。ただ、アルファベットと算用数字、下線符号との組み合わせからなるIDのほうは重複が認められていないため、本物のほうで一つ使われているアルファベットの小文字rが、偽物のほうだと同じく小文字であるlにさりげなく置き換えられている。

 しかし投稿内容は、本物とは似ても似つかなかった。正反対といっていい。本物が清廉潔白、公明正大、正確無比であるならば、偽物は下品で下劣、デマと欺瞞に満ち満ちた書き込みだらけだった。それ以外にも、卑猥な画像、詐欺サイトへのリンク、著作権を侵害する動画等も少なくない。

 およそ運営にひとたび通報されれば、確かにもろもろの規約に反するとして、即座に凍結されうる代物だ。実際それはアカウントの作成から数日と待たず凍結され、翌日、再び別の偽アカウントが出現した。今度のIDは小文字のoが数字の0に置き換えられていた。

 書き込み内容も、最初の偽アカウントと完全に同様だった。まずもって同一人物による仕業だろう。その目的も間違いなく、本物である「遠埜霧」の名に泥を塗り、評判を下げることにあると思われた。

 が、それも再び凍結され、再度やはり復活する。今度のIDはiが数字の1になっていた。

 加えて、アイコンにも変化が見られた。本物のほうは初期設定のまま放置されており、先の偽アカウントたちもそれを踏襲していたのだが、中の犯人がついに閃いてしまったのだろう。三つめで初めて独自の画像が設定された。

 遠埜霧、その人の写真だった。

「われらが修高の、昨年度の卒業アルバムからだな。」

 知らせた甲斐のない、霧からの淡々としたメッセージだった。

 返信文を打つ。

「あんた、卒業してたの?」

「忘れたか、ボクは生徒会長だ。だから先輩がたのアルバムにも写真が載るんだよ。」

「知ってたよーっ」

「偽アカウントの存在なら、ボクも把握していた。これで八つめかな。」

「3つじゃないのっ?」

「八つだよ。少なくとも。」

 聞けば、風歌が知るずっと以前から、しばしば偽アカウントが出没していたという。

「そんな大変なことに・・・」

「ボクに限らないさ。こいつはいわばカウンタープロテストの宿命。ネトウヨは、言論では勝てない無能で卑怯な者たちの集まりだからね。」

「そこまでゆうか 苦笑」

「ただ、今回は少しばかり毛色が異なるようだ。犯人は昨年度の卒業生か、その身内。妹か弟なら在校生の可能性も高い。」

「そっか 卒アルだもんね・・・」

「まったく。教師ならともかく、生徒たちから恨まれる覚えなどないんだがな」

「マジ饅頭?冗談は顔だけにしてよ?」

「は?」

「不買運動」

「それか。確かに不評だな。そもそも、不買だの自主規制だのといったものはイメージが悪い。ボクも、たとえば映画の出演者から犯罪者が出たからといって、すでに世に出回っている作品の販売を中止にするような風潮については、もういくらか慎重であるべきとは思う。これが被害者への配慮という理由なら、罪の重さに応じて検討の余地もあるだろう。ただ、防犯が目的というなら、効果には疑問符が付く。果たして、その役者の演技を鑑賞したからといって、観衆は、役者がプライベートで犯した罪を真似したくなるだろうか。」

「すごい憧れのスターならもしかして・・・? うーん、わかんない どだろ」

「その罪がヘイトスピーチなら明言できる。真似したくなるんだ。なぜなら、ヘイトスピーチは疫病のように感染するものだから。この感染症がどれほど警戒されるべきものかというと、例えばアメリカの一部の州では、差別意識が動機にある犯罪(ヘイトクライム)には、そうでない場合よりも重い刑罰が科せらる。それほどのものなんだ。そして、今回のAGITOの件はヘイトスピーチ絡み。だから仕方がない。」

「仕方がないって・・・あんたのせいで、うちはイタズラ電話が増えたんだかんね 怒」

 自分一人だけが災難に遭っているのなら、まだ我慢もできる。が、家族にも累が及んでしまっていることまで、霧に軽視してほしくない風歌だった。

 ただ冷静になって考えてみると、当の霧もまた害を被っているのだ。先ほどの返信は、いつもながら霧の文章がだらだらと長すぎたせいもあり、締めの一文だけに過剰反応してしまったのではないか。

 軽く謝ろうか、それとも書き込みをこっそり削除しようか、スマホ画面を見つめながら逡巡していたところへ、その本体がブルブルと振動した。

 電話だ。

 発信者名は「とーの」。

 霧からだった。

「あいよ」

 電話に出ると、霧が開口一番、「すまない」と謝ってきた。短いが、誠心誠意、心からの謝罪と分かる声色だ。

「あ……うん。それはもういいよ。わたしもゴメンね」

「君が謝ることはないと思うが。いくら君も不買運動の賛同者とはいえ、ボクへの風当たりが、君のせいで強まったとは思えない」

「え?」

「ほら、ボクはもともと、結構な数の人たちから嫌われているので」

「それはスゴくそうだけど、そうじゃなくて」

「ん?」

「わたしが不買運動の賛同者ってとこ」

「……違うのかい?」

 風歌は、ハアと息をついた。

「あのねえ。あんたのそーゆートコ。何でもお見通しでござーい、みたいなトコ。たまに違ってるから」

「……」

「わたしはね、遠埜……」

 風歌は意を決し、AGITOについて学校では伝えられなかった思いをとうとう告げた。たどたどしく、時間をかけて、ついには余すことなく本音の一切を。

 時計の秒針は何周しただろうか。実はほんの一回り程度だったかも知れない。それでも風歌にとって、いや、おそらくは互いにとって、忘れがたい重要なひとときとなった。

「あのAGITOをそんなふうに……。君にあれだけの仕打ちをした人物を、そうか、君は……」

 そう漏らすと、霧はしばらく押し黙った。

 ようやく次に彼女の口を突いて出たのは次の発言だ。今度は堰を切ったように言葉がよどみなく出てくる。が、どこか記憶の中の定型文をそらんじるふうでもあった。

「ポリティカルコレクトネスはお願いなんだ。直接的な反差別活動と違って、強要でも絶対でもないんだよ。差し支えがなければ協力してほしいという程度のもの。なぜなら反対派にも考慮に値する理由はありうるからね。ちょうど今回の君のように。つまり、どちらも正しいんだ。いわば、これこそが正義と正義のぶつかり合いさ。ゆえに、その時々で思う存分、双方が自由に言葉を交わし合い、妥協点を模索していけばいい。だから――」

 霧はいったん息を吸い込んでから、語を継いだ。

「君がそうありたいなら構わない。ボクとは行く道が異なるが尊重する」

「遠埜……ポリティカルコレクトネスって何?」

「……」

「何、何?」

「やれやれだ……。言葉の意味くらい自分で調べろ。もっとも、間違った理解で使われるよりは大いにましだが。いや、この程度のことで褒めるのも良くないか。そもそも君はだな、ボクが持ってきた本をろくに読みもせず――」

 風歌は通話を切った。


 お願い、と霧は確かに言った。

 が、不買運動に反対する人たちは、怒りを込めて、なおも激しくまくし立てる。

「表現の自由を守れ」

「言論弾圧反対」

「これだからポリコレは」

 対し、不買運動を呼びかける者たちも折に触れて霧と同様の説明をするのだが、反対者たちの興奮を鎮めるには至らない。まるで耳に入らないといった体だ。

「表現の自由戦士」

 不買運動の反対派をつかまえて、しばしば賛成派は、ため息まじりにそう呼んだ。歴史の改竄を企む者は「歴史修正主義者」と揶揄されるが、それと同じ皮肉法だ。改竄を本当の修正と信じてそう呼称するわけではない。

 彼らなどに表現の自由を守れるはずがない、ややもすれば逆に自由を破壊しかねない者たち――そのような意味合いを込めた用法だ。

 一方、当の「表現の自由戦士」たちにも彼らなりの言い分はあった。

 先の地震発生直後からの、不買運動参加者たちの発言集だ。

「誰も信じない与太話だろうとね、皆が黙認すると、それは語っていいというメッセージになってしまうんだ。毒にも薬にもならない発言ならそれもいい。けど、マイノリティを悪者に仕立て上げるメッセージならどうか。」

「あそこの外国人居住区の連中は地球侵略をもくろむ宇宙人の尖兵らしい――という噂があったとして、そんなものが事実であるはずはないし、信じる者もまずいないだろうが、だからといって、そんな噂を口にしていいはずはないということだね。」

「ヘイトスピーチだからね 真偽の問題じゃないんだ」

「差別語とか差別扇動とか、どれほど小さなものであっても見過ごしてはならないんだよ。ヘイトスピーチ解消法にも一人一人が立ち向かわなければならないとの義務が明記されてるし。」

「ちょい待って。いけないのは差別扇動(ヘイトスピーチ)のほうだけね。差別語は使わなきゃしゃーないときもあるでしょ。まさに差別問題を扱った作品とか、ほかには歴史物とか時代劇とか」

「時代劇といえば例のAGITOの映画」

「AGITOの映画って……。ヘイTOが主演か監督みたいな言い方(笑) 主題歌担当ね。みんな、観るなよー聴くなよー。」

「その井戸デマ、はい、通報ねー。ペナルティを受けたくなけりゃ速やかに削除しとけ」

「早く刑事罰化しろよ、面倒臭い。与野党合意、反故にしやがって。くそ与党め。」

「いや、罰則付きヘイトスピーチ禁止法案の提出は確かに見送られたけど、ヘイトスピーチはすでに違法。こっちが親方日の丸だ。よって、どしどし通報すべし。レイシストどもを黙らせろ。」

「国会も終わったし、差別側は一安心ってところだろうからな。今に攻勢をかけてくるぞ。」

「揺り戻しか。バックラッシュ」

「くそっ 運営め、もっと取り締まれよ!」

「レイシストの広告なんて載せんなっての……」

 まとめサイトなどで、それらが恣意的に編集される。慎重に読み解くと、反差別とポリティカルコレクトネスとをごちゃまぜにした仕上がりだったが、編集者の思惑どおりか、「表現の自由戦士」たちは、それ見たことかと気勢を上げた。

「何がお願いだ。案の定、表現を潰したいだけだろうが。」

「つか、モテない中年男どもがAGITOに嫉妬してんだろ」

「本音、代弁しないであげて。かわいそうだから(笑)」

「お気持ち表明いただきました()」

「不買反対」

「自主規制も反対」

「やられる前にやれ!こっちも通報だ!」

 ――。

 風歌の認識では三つめ、霧によると八つめである偽アカウントとともに本物の「遠埜霧」が凍結処分となったのは、それから程なくのことだ。

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