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第三話 わたし、おめでとう(2)」への応援コメント


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     難しい問題を掲げましたね……。
     どんな歴史も人が記録するものにして、記録したものです(人により刻まれたものに限られますけれども…)。
     渦中にある者、体験した者、傍観した者、後から知った者(どの角度から知ったのかで、大きく左右される)、表面上の記録、いま目にしている光景、現状がどうだという情報・事実……立場はもちろんのこと、物事の見解・解釈・尺度もそれぞれです。
     また、言葉や映像で表現するにも限界があります。重要な部分が伝わることもありますが、誤解や誤釈は日常茶飯。
     各々、味方を増やそうとあらぶって見えますが(なかには、正体がばれないのをいいことに、日ごろの憂さ晴らしに口をはさむ者もあるのでしょう/安易な思い付きだったり、悪意があったりで、程度はそれぞれで)、何を信じたらいいのか、わからなくなります。混乱させられます。流布する情報も信じられなくなって、なにも言えなくもなります……正視するのも辛くなります(凡人ですので…)。
     この先の展開、どうなるんだろう……とも思うけど、踏みだすには、けっこうな気力と勇気が必要になりそうです…。

     あと…
     プロローグが末尾にあるのは、なんでかな……と思いました。完結した上で、なにか始まるお話なのでしょうか…?

     

    作者からの返信

    ぼんびゅくすもりーさん、ここまで真剣に読んでくださってありがとうございます。

    世の中、何が正しくて何が正しくないのか、分からないことって多いですよね。
    ましてネットの情報となるとなおさらです。
    大人でさえそうなんですから、本作における彼女たちの戸惑いと負担はいかばかりか……。

    もしもよろしければではありますが、どうぞ親戚の叔父か叔母にでもなったつもりで、彼女たちの今後の歩みも優しく見守ってくだされば幸いです。

    エピローグならぬプロローグについては、もちろん意図的なものです。
    実はその昔、とある小説で同じく本編の最後にプロローグを据えた作品がありまして、それに個人的にいたく感銘したもので、今回、同じような工夫をさせていただきました。
    その小説とは、アニメにもなった『ガサラキ』というものですが、このギミックの出来映えのほども、まあ『ガサラキ』と同じくらいではないだろうかと、自分ではひそかに評価している次第であります。