第二話 話せば分かる?(5)
5
睡眠中に、良い事と悪い事があったらしい。
翌朝、スマホのやまない振動に目を覚ました風歌は、おもむろに画面を確認するなり上体をがばと起こし、さらに深々とスマホを覗き込んだ。
「うそ……」
たった一言――いや、たった一字ではあったが、AGITOが風歌の指摘にSNS上で応えてくれていたのだ。
まったく予期しなかった――といえば嘘になる。淡く、そして甘い期待はあった。とはいえ、そもそも相手は大スターだ。ファンからのメッセージすべてに、いちいち目を通してなどいられるはずもない。
にもかかわらず、風歌の健気な連投に対しては、その途中の一投稿を引用したうえで、「笑」と感想を書いてくれていたのだ。
読んでもらえたことが、何よりも嬉しい。
しかも字義から判断して、どうやら喜んでくれたみたいだ。
AGITOの優しい微笑みを思い浮かべる。その笑みは、むろん風歌にだけ向けられている。風歌はスマホをぎゅっと胸に当て、その胸にほんのりと熱さを覚えた。
振動のしすぎで、本体が熱を帯びていたのだ。
振動の原因は大量の通知だった。AGITOのその一言に対し、無数の反応が、風歌のアカウントを巻き込む形で届けられていたのだ。
件数にして、現在五九三。しかも数秒から数十秒の間隔で、一件また一件と増えていく。
風歌は通知の内容をざっと確認した。興奮で上気した血の気が、急速に引いていくのを覚えた。
「さっそくアカがわいてますねえ(笑)」
「バリクソわかりやすい。」
「言論弾圧乙」
「やっぱりスパイ防止法を作らんと日本国はだめですな」
「アギ兄も、こんなのスルーでオケ」
「逝ってヨシ!」
知らないネットスラングや言い回しもあって、ほぼどれも何を言っているのか正確には分からない。それでも風歌にとって決して喜ばしいものでないことだけは、雰囲気で容易に察しが付く。
とにかく不気味だった。
スマホを枕元に放置し、部屋着に着替え、下へおりた。
両親はすでに出勤したあとだった。弟の鉄哉はいたが、「友達んちに行く。お昼はお好み焼きがいい」と言い残し、携帯ゲーム機を持って、すぐに慌ただしく出掛けていった。
一人で味噌汁とカレイの煮付けを温め直す。こたつで食べながら、冬休みアニメ何とかといった番組で、外国のアニメ映画をしばらく視聴する。かわいらしくユーモラスな動物たちの追いかけっこに、さすがにもう幼稚だなと途中で飽き、ワイドショーにチャンネルを変える。人気お笑いコンビの太ったほうが不倫スキャンダルに見舞われ、年賀ハガキの売り上げ減は今年も歯止めが利かず、沿線から少し離れた高級住宅街の片隅には意外にもおでん専門店があった。
それと高枝切りバサミが今から二十四時間、もう一本おまけが付いてきてお買い得だ。
世間は相変わらず、まずまず平和そうだった。
「宿題しよ……」
重い腰を上げ、食器を水に浸けて二階に戻る。
スマホはなおも振動し続けていた。
さすがに辟易し、しばらくの間、電源を切ることにした。
ただしその前に、もう何回か書き込むことにする。彼らの中には、AGITO宛ての巻き込みでなく、逆に今度はAGITOを巻き込む形で風歌に直接話しかけてきた者も大勢いたのだ。その者たちへの返信だった。
「は?私、日本人ですけど」
「高校生」
「プロフはちょっとだけ嘘付いてる てへぺろ」
「支持政党とか難しいくて・・・そのうち考えんとね」
「性別関係なくない?てか、ほかの書き込みみたら解るっしょ」
「知り合いから聞いたってたけだから、そこは私もホントかどうか・・・」
「あ、でもでも、嘘付きじゃないよ まじめ すごまじめな子」
「ほかの外国人学校、授業料が出てるそうですよ」
「・・・・・・・・・・そういう事を、人に言うのはどうかと思います」
「課題やるんで落ちまーす」
これでよし、と風歌は最後に口に出してつぶやき、いくつかの誤字脱字にも気づいていたが、かまわずスマホの電源を落とした。
続けて同じ調子で教科書とノートを開いたが、今ひとつ集中できず、どうにも心がざわついていた。
スマホ越しにぶつけられた言葉のいくつかが、遅ればせながら、ぐるぐると頭の中を巡り出していたのだ。
中にはどぎつい罵倒もあり、一応、風歌もその場で言い返してはおいたものの、それにしたって、なぜ相手はあんなひどいことを言ってきたのか。いったい自分が何をしたというのか。まったくもって不可解で理不尽だ。
しかも、その罵倒の文字列をほかの者たちも見ていたはずなのに、風歌に代わって
「悪事は悪事を働く者と、それを見過ごす者とでできている……」
霧の言葉が思わず口を突いて出た。
風歌はハッとし、払うように首を振った。
「悪事を働く者」はともかく、「見過ごす者」まで悪く言いたくはない。
なぜなら、風歌をかばってくれなかったのは、おそらく多忙だからとはいえAGITOも同様だったし、風歌自身、ネットに限らず、過去を振り返れば心当たりが少なからずあったためだ。
いじめに関し、この髪のせいで被害者に回ることのほうが、これまでの半生において圧倒的に多かったものの、別の場面では、いじめを見て見ぬふりすることが、やはり風歌にもあった。
だって、仕方がないではないか。いじめられっ子をかばえば、自分が次の標的になりかねない。それでも胸の奥では、いじめなどなくなればよいとちゃんと願っていたのだ。
「かわいそうだよねえ。やめてあげたらいいのにねえ……」
そうクラスの誰かに同意を求められたなら、風歌もためらわず「うん」と力強く返していたことだろう。
風歌は、つと立ち上がり、スマホへ再び手を伸ばした。純粋にその後の様子が気になったのと、先刻の風歌による一連の返信を見て励まされ、意を決して風歌に味方してくれている人がいくらかでも現れているかもしれないと期待したのだ。
電源を入れ、SNSのアプリを起動させる。
――。
階下でバタバタと音がした。鉄哉が帰ってきたのだろう。なるほど、いつしか時刻は正午を過ぎている。
案の定、「姉ちゃん、ごはんー」と、聞きなじんだ声がした。同じ呼びかけが何度か続いたのち、風歌も階下へ届くように声を張り上げた。
「適当に食べなー」
鉄哉の声がぴたりと止んだ。しばらくして次に聞こえたのは、「とんこつ、とったどー」の声。シンク下の収納からカップ麺でも見つけたのだろう。ケトルで湯を沸かして注ぐくらいは小学生にもできる。どうせ完成を待ちきれず、一分ほどで食べ始めてしまうのだろうが。
その間、風歌は、スマホを握ったまま立ち尽くしていた。
持ち主の肉体と対照的に、スマホの本体は断続的な振動を繰り返し、画面は上から下へと流れ続けている。今朝とまったく同じ傾向の通知が、さらに何倍もの速度で次々と表示されていた。
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