第三話 わたし、おめでとう(1)


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「邪悪な民族なんているわけないじやないですか」

「はい、私は日本人ですけど」

「ザイニチって何?」

「ありがとー そういう意味かあ 何でかたかなで書くかなー」

 スマホに書き込むたび、送信する。

 無事に送信されたことを確認し、ため息をつく。

 風歌ふうかは、パソコンをめったに使わない。まだ中学生だったある日、何の祝いでもなく父が使い古しのノートパソコンを一台くれたが、頻繁に使用したのは物珍しかった当初だけで、すぐに机の隅で埃を被るようになった。

 スマホで済ませられる分にはスマホを使う。流儀というほどではなく、単に使い慣れているからだ。防犯ツールとして、小学生のころ、やはり親に持たされたのだ。

「ごちそうさま」

 きれいに平らげた食器を残し、風歌はすっくと立ち上がった。

「あれ、もういいのか?」

「風歌がお代わりしないなんてねえ」

「冷蔵庫にプリンあるぞ」

 両親がおどけた体で心配する。これでも心からの声だと、十六歳の彼女は心得ている。

 風歌は冷蔵庫の前まで行って扉を開き、カスタード色の洋菓子を一つ取り出した。両親のひそかな安堵を頬で受け止め、自室に戻る。

 昼間にトイレで吐いて以来、どうにも食欲が戻らないのだった。それでも最低限の食事はしなければと夕食はどうにか平らげたが、のどのすぐ下では、今も虎視眈々と次の遡上の機をうかがう気配がある。

 風歌は胃を鎮めるように、大きく二度三度と深呼吸をした。

 それから机にプリンを置き、代わってすぐ傍らのスマホへ手を伸ばした。押し込んだばかりの塊が、いくらか再び込み上げてくるのを実感した。

 こらえつつ、どうにか戦闘再開だ。

 とはいえ、敵は集団。こちらは一人。

 とても全員を相手にはできない。しかもスパムや、スパムに近いものを弾くこのSNSの仕様上、自らすすんで複数回クリックしていかないと表示されない書き込みもある。よって必然的に、反撃はたまたま目に留まった順、返す言葉を思いついた順となる。

「私の性別が朝鮮半島情勢とどう絡むのかわけ解んない・・・解んなさすぎ ちょっとブロックしていいですか?」

「ブロックした 何だかなー」

「地歴は苦手なので・・・仲良く話し合って解決したらいいと思います」

「話ができない人が時々いるけど、私は話し合いたいです」

「そっちが先に自分の裸をアップしたら考える」

「(考えるだけ ニヤリ)」

「私のスリーサイズと外国の人の犯罪は関係ないでしょ」

「政治とかムズすぎる そんなことまで私に聞かれても困る 国会に電話して利いたらいいと思う」

「聞いたら」

「共産主義って習ったことはある ソビエトとかロシア? ビーフストロガノフの国だ」

「でも何で私が共産主義者?経済の話なんてしたこともないのに ほんとに何なんだろ・・・」

「説くに苦手な教科も得意な教科も・・・成績中くらい」

「平凡 涙」

「在日じゃなくて日本人ですよ」

「持ってたら見せるけど、パスポート持ってない」

「ブロック」

 いつしか、プリンはぬるくなっていた。

 AGITOアギトへの指摘から始まった某SNS上での一連のやりとりは、初日のうちにピークを迎え、二日目はやや衰えを見せたものの、三日目の夜を迎えた今に至っても、まだまだ収束の気配を見せなかった。いわゆる「炎上」と呼ばれる現象だ。

 まず風歌の指摘を疑う者がいて、次に指摘が正しいとする証拠の提示を求める声があった。風歌が、それは伝聞だと素直に告白すれば、彼らは快哉の声、あるいは侮蔑の言葉で反応した。

 悔しかったが、自身の正しさを証明できない点は風歌も認めざるをえない。普通なら、そこで終わる話ではあっただろう。

 しかし彼らは満足しなかった。充実した学生生活を送っている私立の高校二年生女子「ういんどそんぐ」のアカウント自体を、彼らは次の攻撃目標と定めた。

 当アカウントに関しては、風歌も少なからずプロフィールや投稿内容を偽っていた。そのため、多少とも不自然さがにじみ出ていたのだろう。その臭いを彼らは敏感に嗅ぎ取ったのかもしれない。

 もはや、当初のAGITOへの指摘の件は、過去へ遠く追いやられていた。代わって、ういんどそんぐの素性に探りを入れる者、どうやら本当に年若い女性と確信してセクハラをする者、逆に年配女性や独身男性によるなりすましと決めつけて嘲笑する者などであふれ返った。どのような透視能力の持ち主か、風歌の容姿をあげつらう者までいた。ただ、どうせ知っていれば舌なめずりして食いつくだろう風歌の希有な色の地毛を笑う者まではついに現れない。やはり当たっていようがいまいが、彼らは当てずっぽうしか言わないのだ――そう風歌は確信した。

 そのうえで完全に不可解だったのが、風歌を共産主義者や外国人と決めつける者たちの思考回路だ。

 特にコリアン――大韓民国、もしくは朝鮮民主主義人民共和国の国民、あるいは朝鮮半島にルーツを持ちながら現在は日本やそのほかの国で暮らす人たち――と決めつける輩が異様なまでに目立った。そう決めつけたうえで、風歌のアカウントに対し、コリアンへの誹謗中傷を繰り返すのだ。憎悪の源泉も、その憎悪が自分に向けられる理由も、風歌にはまるで見当が付かない。

 分からないが、降りかかる火の粉は払わなければ火傷する。

「それはもちろん外国人犯罪の記事だけ集めたら、外国人の犯人ばっかりになりますよね 当たり前ですよね」

「そんな差別用語を平気で使う人が何を言ってもね・・・」

「そんな記事だけただ貼られても、どう反応したらいいんだか」

「言葉使いが丁寧なので、やっと話の出来る人来たーって思ったら、結局あなたもそんなでしたか はい、ブロック なんで差別するかなー」

「犯罪はダメ 何人でも」

「なんにん なにじん 読み方」

「どこが反日?」

「犯人だけが悪いんでしょ あなたが犯罪者になっても私が悪いことにはならんし」

「例えばの話してんの」

「名誉棄損?は?は?」

 階下から、風呂が沸いたとの声がした。

 はーい、といつも以上に明るく答え、どっと湯船に沈む。

 母・千草ちぐさと父・いわおは、長女である風歌の目から見ても、まずまずできた両親と思う。不満はせいぜい、父の名がダサすぎて、風歌の劣等感をさらに膨らませてしまっていることくらいだ。ともあれ、キッズ向けケータイの段階を飛ばしていきなりスマホを持たせた点からしても、物わかりが良いのか、あるいは呑気か、少なくとも子供を過度に束縛しない人たちだと分かる。決してキッズ向けケータイが悪いわけではないが、どうせいずれはスマホに切り替えるのだからと、よくよく使用上の注意をし、もろもろの使用制限を設けたうえで、今よりずっと幼かった自分に一世代前のそれを持たせてくれたのだ。

 風歌には、そうした親心が、おそらく並の子供以上に分かっていた。もしかすると、ませていたのかもしれない。他者が自分をどう思うかについて、珍しい色の髪を持つ風歌は常に全身の感覚を研ぎ澄ませていた。幼い二つの瞳で、おそるおそる他人の心をうかがいながら生きてきた。

 間違いなく、今でもそうだ。

 ネット越しでも、その性分は変わらない。

 ところが、SNS上で交わした無数の会話相手について、風歌は本当に理解ができなかった。

 なぜ、この人はこんなひどいことを言うのだろう。

 いや、この人たちは。

「はい、それはそうです でも、殺された人たちが6000人以下って根拠もないですよね」

「うーん、ちょっと解んない そうかも」

「ごめん、経済とかあんまし マネタリーベース()笑」

「しらなさすぎて草生える」

「ウニから人間に進化するわけないでしょ」

「何人がみんな精神疾患を抱えてるとか、あるわけない 本気で信じてるなら、そっちが異常じゃない?病院行ったら?」

「なんで私が日本人を差別したことになるの!」

「ホントに何なの」

「むかつく」

「普通科の高校生ですよ」

 どうして彼らには、高校生の自分にも分かる当たり前のことが分からないのだろうか。仮説と呼ぶのもおこがましい、少しでも知識があればデタラメと分かることを得意げに語ってしまうのか。例えば、大昔の日本には漢字に拠らない独自の文字があり、世界のどこよりも進んだ文明が存在したなどというオカルトを本気で主張してしまうのか。

 満足な教育を受けていないのかもしれない。

 もしかして、自分よりも年下なのか。

 中には本当に同年齢以下の者もいたかもしれない。しかし、全員が全員、年少者のはずはない。

 実際、彼らの普段の投稿を少し覗いてみれば、上司がウザいだのタバコがうまいだのと書き込んでいたり、プロフィール欄にだって飲食店経営や予備校講師、医者などと記してあったりするのだから。

「四大文明ですよ 教科書に書いてます」

「ああ、うん ほかの文明も書いてる 代表的なのがこの4つってことね」

「後出しじゃないよ」

「いいよ 教科書見せたげる」

「ほら」

「いまの教科書ー いま使ってるやつー」

「ドクターストーンなら知ってるけど、そっちのほうのマンガも楽しめるなら読んでもいいよ」

「全18巻はムリ 買えないお金ない」

「私は21世紀少女だよー」

「どこが上から目線?」

 ただし当然のことながら――。

 彼らが、まるで娯楽に興じるかのように次々と突き付けてくる題目について、風歌のほうにも真偽の見抜けないこと、評価のしようがないことも多々あった。

 おそらくは歴史の授業でまだ学んでいないか、そもそも学ばないほどの小さな事件、専門家たちの間でも評価の分かれる出来事、はじめから客観的な正解などなく、おおむね個人の主観や価値観だけで完結する事柄などがそうだった。

 果たして、どれだけの人たちが、飛行機を世界で初めて発明したのは実は日本人だったなどと手放しで喧伝できようか。そこに注釈は本当に不要なのか。不要とあっさり言い切った同じ口で、どうして、同じように世界初という高麗の金属活字を平気で嘘と断罪できてしまうのか。

 加えて、風歌は、髪の色以外はごく平凡な高校生なのだ。特別な専門知識も専門書も持ち合わせていない。試しに検索し、ちょうどよい資料と思って見つけた『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』という本は、それが特別に高額というわけではないのだろうが、約二千円もする。たかがネットで相手を打ち負かすためだけに、なけなしの小遣いから、それほどの支出はとてもしていられない。

 よって風歌は、検索エンジンを駆使しても知り得なかったことについては正直に分からないと認め、相手にも一理あると思えば、どこかズルくはないかと疑念をうすうす抱きつつも、素直に一理あると認めた。

 ひどい誤字があれば訂正し、間違いを指摘されれば意見を改めることも厭わなかった。

 相手が指摘し、こちらも指摘する。

 そうやって互いに主張を擦り合わせていくことが、まさに建設的議論との思いがあった。信念というほど上等なものではない。中学生のころ、社会科の授業でそのように学んだだけのことだ。実際の議論の経験はほとんどない。

 ところが。

 そうした思いも空しく、事は学んだとおりに運ばなかった。

「え、何でそうなるんですか」

「言ってない!言ってない!」

「だからなんで、4つ以外にもあるって認めたら日本の超古代文明まであることになるんだ 馬鹿なの?」

「うん、悪口はいくないね でも向こうだってひどいよ・・・」

「(全然納得いかん)」

「無視してたわけじゃないよ 今始めて気が付いたんだよ」

「こっちの見になったら解るでしょ そっちは何人いるんだっての ぜんぶ見てらんないの」

「(そっちこそ都合が悪くなったら無視するくせに)」

 丁寧な言葉遣いなどのモラルは、いつも風歌にだけ要求された。ういんどそんぐの正体に関して、「正体判明! やはり、どこそこの政党に所属する誰それの成りすましでした」などとあらぬデマを振りまいている人物に「嘘つき」と非難すると、それはその人物への嫌がらせ、すなわち規約違反なので運営に報告したと、なぜか第三者のアカウントから告げられたこともあった。

 逆に風歌に対しては、どのような罵倒も嫌がらせも表現の自由のうちと、彼らは仲間うちで容認しあった。

 一を譲れば十譲ったものと勝手に解釈され、こちらが診断を下せない事柄は、すべて先方が正しいことにされた。

「与那国海底遺跡?読み方解んない そんなのあるの?あるんだ、へえ・・・しんないけど」

「はいはい!あるんですね!あるある!」

 一方で、彼らですら正しいと認めざるをえない、ごくごく常識的な風歌の主張については諸説あるうちの一つにまで貶められ、彼ら自身でも本心ではさすがに間違いと認めざるをえないような主張については、単なる冗談、冗談にいちいち食い下がる風歌の性格に難があることにされた。

 また彼らの主張の場合、そこに一抹でも真実が含まれていようものなら、風歌の常識的な主張と同等に扱われた。さらに油断すると、風歌の常識は雑多な書き込みのうちに忘却され、いつの間にか、彼らの弱々しい真実のみが正論の座に堂々と居座っていたこともある。

 さらには念の入ったことに、ダイレクトメッセージという、第三者には閲覧できない非公開の送信機能を使って、嫌がらせの書き込みや動画や画像を送りつけてくる者も一人ならずいた。

「ういんどそんぐさん、本日も議論お疲れさまでした。大変だったでしょ? ゆっくりお休みください。それと苦痛から逃れる方法も紹介しておきますね」などと前置きして自殺のやり方を懇切丁寧に説明する書き込み、吊り下げられた鳥かごの中で警戒のうなり声を上げていたみすぼらしい成猫がガスバーナーで焼かれていく動画、モニタの前で自身のものとおぼしき男性器をういんどそんぐのアカウントに突き立てながら片手でしごくGIF画像などだった……。

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