第一話 まっすぐ怒れ(5)


     5


 それからは怒濤の日々だった。めまぐるしい変化に思考がついていけず、せっかくの過ごしやすい快適な季節も、動画の倍速再生のように瞬く間に過ぎてしまった。これでもしも高校生活の定番にして花形である文化祭が重なっていたら、頭がショートして両耳から煙を噴き出していたところだ。

 しかし何が幸いしたものか、例によって厳格な方針により、本校では出店が立ち並ぶような華やかな文化祭の類は催されなかった。代わりに、屋内での展示物のみという「修高展覧祭」なるものが、生徒たちの印象にも特に残らないまま、四月末の祝日、味気なくひっそりと行われていた。

 その修高祭ではないが、もしかすると風歌自身、秋以降の出来事をあまり記憶に残したくなかったのかもしれない。そのくせ疲労感ばかりが確かに残り、真夏にもかかなかったような汗を大量に流した。まず人前に出てしまった恥ずかしさがあり、次にまんまと霧に乗せられた悔しさがあり、最後に、長いこと丸めていた背筋をピンと伸ばす爽快さがあった。

 あのあと、抗議への参加を決めた二日後、風歌は、決意がまだ四割しか鈍らないうちにインタビューを受けさせられた。それも、新聞部のようなアマチュアが相手ではない。霧にどのようなつてがあるというのか、プロのジャーナリストだった。れっきとした全国区の大手新聞社から、記者が本校まで出向いてきたのだ。かねてより、全国各地の劣悪な労働環境や不合理な校則を追っていた記者とのことで、仕上がった記事は、中立性は最小限に、校則と自分の髪の色との間で思い悩まされる一少女への共感を、大いに惹起させるものだった。

 髪を染める前後のセンセーショナルな後ろ姿の比較写真とともに、同記事は朝刊の社会面を飾り、また、インターネット上のデジタル版にもほぼ同じ内容で掲載された。

 話題は、まるで待っていましたとばかり、まずネットのほうで先行した。実に霧の取り巻き連中が描いた絵のとおり各SNSで拡散し、そこへすかさず、彼女たちの手で署名サイトが立ち上げられた。運動に賛同したブロガーや動画投稿者たちによって追随するコンテンツがいくつも作成され、ネットメディアが一連の流れをまとめて再びネットの海へと放流した。

 新聞記者にもネットの見知らぬインフルエンサーたちにも、実に手慣れた感があった。

「君には自分を特別と思いすぎるふしがあるが、別に初めてのことじゃない。これが今の世、今の流れだ」

 まるで地球儀を手玉にとる独裁者のように、霧が笑う。

 かくして、電脳空間にはみるみるうちに怒りのエネルギーが充満していった。程なく、それはそうなるべくして現実空間への出口をさまよい求め、電話や電子メール、FAXや郵便物を通じて修応館高校の職員室へと放出された。

 青天の霹靂とは、まさにそのことだったろう。もともと、組織としては情報技術とネット文化全般に疎かったその部屋の住人たちは、いったい何が起きたのか、にわかには理解できなかったらしい。やがて、多大なストレスとともにすべてを把握したとき、風歌への恨みと恐れとがあとに残った。彼らの問題児リストには、「遠埜霧」に続いて「沢本風歌」の名がしかと刻まれ、同時に、両名とも禁忌となった。うかつに手を出そうものなら、自由を支持する全国の、いや、全世界の人々がその二人の背後に付いて反撃してくるだろうと恐れたのだ。連日、抗議の応対に追われた疲労の身が、そのように警告を発していた。

 霧が、いよいよ本格的な学校改革に着手すべく、一年生ながら生徒会選挙に会長候補として名乗りを上げたのは、候補者受付が始まった初日のことだ。登録が済むとただちに選挙戦を展開し、風歌も選挙スタッフの一員として、霧のトラメガともども校内への持ち込み許可を得たビラやポスターを手に、ひたすら奔走した。

 この期に及んで、いまだ完全には乗り気でなかったが、今さら後に引くこともかなわない――。風歌自身、もはや全力で前へ駆け抜けるしかないと踏んだのだった。

 それでなくとも、「沢本風歌」の名は以前よりも知られてしまった。髪はなお黒く染めたまま、そして先の報道は匿名だったにもかかわらず……。近所の商店街を歩くだけでも、店々から、がんばれ、応援してるよ、揚げたてコロッケ持ってお行き、などと声をかけられる始末だった。

 生徒会新執行部各役員の就任演説は、通例どおり、全校集会の最後に予定されていた。

 ところが、あいにくと集会の途中で機材トラブルに見舞われ、マイクやケーブル類をチェックする教師たちの奮闘もむなしく、進行がしばらく中断してしまった。

 初冬の朝だったため足もとが冷えて仕方なく、生徒たちの間で「まだあ?」「寒い」「眠み」「マジたるみ」といったため息がいくつも漏れる。

 そこへ、ピッと警告のホイッスルが鳴った。

「おい、マイクまだ直ってないぞ」

「代わりが――。あとはボクたちの演説と校歌斉唱だけですし」

 そのような短いやりとりが、どうやら体育教師と霧との間で交わされたらしい。

 演壇へ上る彼女と、その背を忌まわしげに見つめるジャージ姿の教師とが、一生徒として整列する風歌からでも垣間見えた。

 程なくして、全校生徒の前に、トラメガを持参した霧が姿を現した。途端、ざわついていた場内が静まり、無数の視線がただ一人の生徒に注がれる。

 風歌のすぐ後ろの子が、にやけた顔でそっと耳打ちした。おそらく他意も他愛もない一言だった。

「そんなんじゃないよ……」

 風歌は苦笑まじりに否定し、再び前を向く。

 一方、すぐ斜め前では、冬の陰鬱な冷気を無視するかのように、女子生徒の一人がポッと頬を上気させた。

「霧様ァ」

 同様の反応はその一つにとどまらず、主に一年生女子を中心に体育館内のあちこちに見受けられた。

 またその一方で、

「出たよ、偽善者」

「はいはい、差別差別」

 と、小声で吐き捨てる者たちもいる。こちらは性別と学年を問わず、まんべんなく存在するようだった。強いて言えば、男子生徒や上級生の割合がいささか多かったかもしれない。

 崇拝と忌避――相反する両反応のどちらが強いか、風歌にはいまだ判別が付かない。今回の生徒会選挙でも会長職に三人が立候補し、二人の先輩を破って僅差で当選した一年生の霧だ。

 ただ、最小勢力は無関心層だったろう。それだけは確信を持っていえる。ひとたび遠埜霧という人物に触れた者は、その感触を忘却の彼方に追いやることが極めて困難だったのだ。

 良くも悪くも霧に束縛され、支持と不支持に関わらず、すべて彼女の手のひらの上、計算どおりに踊らされる――。

「まっすぐ怒れ!」

 彼女の言葉は気高く力強く、理想主義的であり救いであり、また呪いでもあった。

「……悪に、不正に、理不尽に、権利の侵害に怒れ。言い訳せず、辛抱せず、ほかよりひどい例を探さず、目の前の怒るべきものに対して、きちんと怒れ。まず声を上げろ。そして上げ続けろ。すべては世のためだ。ただし全員に求めるものではない。人は被害に遭えば、自分の身を守るのに精一杯となる。そんな窮地においては、たとえ逃げてでも嘘をついてでも、守りに徹したほうがよいこともあるだろう。それを無闇に奮い立たそうとするのは酷だ。だからこそ、余力のある者が立ち上がり、正義の言葉を叫ぶんだ。君はどちらか!」

 ――。

 放課後、生徒会室にて、風歌は一応の祝辞とともに、冗談めかして就任演説時の分析を告げた。

 当人は会長用のパイプ椅子に深々と座りながら、あきれたように首とトラメガを振った。

「本気でそう思うのかい? すべてボクの思いどおりだって」

 哀れむような目で風歌を見つめる。新書記や、庶務という役職の新人も風歌と同じく霧に視線を向けているというのに、腹立たしいこと、このうえない。新会計および、男女一名ずついる新副会長のうち女子のほうも霧と風歌の同志だったが、その二つの顔も、他の役員たちと同じく素朴な疑問符の形になっていた。

「だってそうでしょ、遠埜」

「違うね。うまくいったのは、これが正しいことだからだ。だから、たくさんの人たちの共感を呼んだ。たくさんの支持が集まった。言うなれば、ボクも正義の命ずるまま踊らされた一人なんだ」

「うん、いつもながら分かんない……。あ、もしかして、それがヤクザ相手でも怖くない理由? 正しいってのが」

「そうきたか……」

 風歌の問いを挑発と捉えてか、霧が鼻先で小さく笑った。それから開き直ったように首肯する。

「ああ、そのとおりさ」

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