第一話 まっすぐ怒れ(3)


     3


 始業式が済み、各種ガイダンスを終え、学園生活が本格的に始まった四月第二週。

 修応館高校には、生徒は全員、どこかのクラブか同好会に所属しなければならない不文律があった。そのため風歌も、仮入部期間が終わる四月いっぱい、少しでも活動実態の乏しいところを求めて精力的に各部を見学して回った。いくつもの部室で先輩たちとたわいもない談笑をし、翌日には、部員と活気がより少ない別の部を貪欲に訪れる。おかげで帰宅時間は部活動にまじめな子たちと変わることなく、連日、夕色に染まった学舎を背に門をくぐった。

 そのつど、いつもそこに遠埜霧の姿があった。下校する生徒たちに呼び掛けながら、例の学校改革のチラシを配っている。その霧を、あからさまにピリピリした雰囲気を全身に漂わせながら、いつも一人から数人の教師たちが門の内側から見張っていた。

 それらの視線を意識してか、霧のチラシを受け取る者はほとんどいない。風歌も手に取ることなく、毎日うつむき加減で通り過ぎる。

「あの子、今日もいる」

「新入生でしょ? 校則変えろって。じゃあ、なんでうちに入学したんよ」

「言えてるー」

 そうした冷笑が、風歌の耳にも飛び込んでくる。

 足早に去りながら、遠ざかる霧を、風歌はいつも背中に感じていた。

 ある下校時、教師たちがついに門から出て、霧を取り囲んでいた。

「そんなビラ、学校に持ち込むな」

「持ち込んでません。向こうのコンビニでコピーしたんです」

「だとしても、元の一枚は持ち込んでるってことだろ」

「ネットプリントをご存知ありませんか」

「ネットプ……?」

「とにかくだ――」

 別の教師がコホンとせき払いをした。

「……コンビニには入ったわけだな?」

「はい」

「そら見ろ。新入生代表にもなった者が、うちの制服を着て、放課後にあちこちうろつくなと言っておるんだ。まっすぐ帰れ」

「分かりました」

 翌日、校門前には、私服姿で活動する霧の姿があった。グレーの軽やかなチュールスカートに硬質のデニムジャケットと白いスニーカーというカジュアルな格好で、前日の指導どおり、いったん素直に帰宅し、着替えてきたらしい。教師らの安堵はぬか喜びに終わり、その腹いせか、へえ……と霧の私服姿に関心する女子たちや女子とは異なる意味合いで見とれる男子たちに、寄り道するなよ、などときつく当たっていた。

 さらにあくる日、霧はチラシだけでなく看板も持参してきた。いつも配るB5サイズのチラシより何倍も大きいA4やA3サイズのプリントを、クリアファイルに納めたものだ。それを門柱から連なるブロック塀に五、六枚ばかり立てかけている。それぞれ異なるデザインで、しかし訴える内容はどれも同様、現在の校則と校風に異議を唱えるものだった。

「服装や髪型に自由を」

「理不尽な校則反対」

「生徒も人間だ」

「学校の横暴を許すな」

「FREE SHUOKAN」

 霧自身は前日のスカート姿とは打って変わったパンツスタイルで、それでいてボーイッシュに走らないホワイトパンツとボーダートップスというガーリーファッションだ。

 そんな霧から、ついに幾人か、教師の目を盗むようにチラシを受け取る生徒たちが現れていた。

 以降も霧は、連日休むことなく私服姿で抗議活動を繰り返した。衣服はどれも決して豪奢ではなく手頃価格のものばかりだったようだが、いつもセンスがよく、加えて、着る者自体が美の女神の寵愛を受けているので、さながら、ちょっとした下校時のショーだった。

 さらに幾日か過ぎると、霧に初めての仲間ができていた。容姿に少なからず自負を抱いていそうな同性の一生徒が、ファッション面でも霧に負けじとばかり身を飾り、霧の用意した看板を手に立っていたのだ。持ち手となる棒はないものの、それらの看板を「プラカード」、あるいは縮めて「プラカ」と彼女たちは呼称していた。まず張り切っているときはプラカを頭上高く掲げ、腕が疲れてくると胸の前まで下ろし、さらには自分の衣服が前面に出るよう横に構えたり、あるいは半ばふざけて後ろ手に持ったりする。

 当初はその一人だけだったが、たちまち同好の士は増え、程なく一ダースほどのオシャレな女子たちが、いつもたそがれ時、門前に咲く花となった。

 彼女らも自前で用意してくるのか、手にするプラカは大きさもデザインも次第に多様になっていった。動物や花びら、アニメキャラクターなどのイラストも加わり、ますます通行人の目を引くようになった。そこへすかさず、にこやかに指でピースサインを結んだりしながら、プラカと同様のメッセージを口にするのだ。

「校則を見直そう」

「黒髪の強要をやめろ。茶パツに染めて何が悪い」

「ラスイチの汚名返上。東京じゃ、もうここだけだよ」

「フィクションでも見ないからね。ネタ的にも古い古い」

 中には進んでチラシを配る子も現れて、おかげで手の空いた霧は、新たに別のアイテムを携えることとなった。紅白ツートンカラーのトラメガだ。

 霧の大音声が、校内に向けて轟いた。

「先生がたは目を覚ませ。生徒は大人の操り人形じゃない。あなたがたは自分たちの仕事ぶりを、学校での振る舞いを、愛するご家族に誇りを持って話せますか」

 教師の一人が、血相を変えてすっ飛んできた。

「こら、女子が路上でそんな目立つこと! 変質者に絡まれるぞ」

「ここなら安心です。先生がたがいつも見張ってくれていますので」

「お前……仮入部期間、終わったろ。いつまでも馬鹿な事しとらんで部活入れ」

「お言葉を返すようですが、部活をしなければならない決まりはありません。現に、生徒規則のどこにも記されていません」

 霧はすかさず、ジャケットの内ポケットから生徒手帳を取り出した。私服なのに用意のよいことだったが、教師のほうは、それをわざわざ手に取ろうとはしなかった。確認するまでもなく、霧の言葉に偽りがないことを知っていたのだろう。

「決まりがなくても、だ」

「決まりがないなら、決まっていません」

 後方で花たちが、おおーっと沸いた。


 正直なところ、霧たちの抗議活動は風歌にとって好ましいものではなかった。むしろ疎ましかった。

 大半の生徒たちにとっても、霧は特に煙たい存在らしい。

「さすがに引くわあ」

「残念系美人」

「ヒステリー」

「聞いた話、休みの日にゃ、ヤクザにもケンカ売って回ってるらしいぜ」

「右翼団体じゃなかったっけ?」

「いっしょだろ」

「どっちにしろ、やっべえ……」

「やらせてくれりゃ何でも」

「わかりみ」

「お前ら、そんな飢えてんのか」

「無理すんな。お前もだろ」

「ぎゃはは」

 トラメガで訴える霧に、数人の男子グループが、本人に聞こえるのも構わず笑い飛ばしていく。

 とはいえ、教師ならいざ知らず、同じ生徒どうしなのにどうして霧に嫌悪感を抱く者がいるのか、風歌にはまるで理解しがたい。もちろん風歌個人にかぎっては、自分でも信ずるに足るもっともな理由があったわけだが。

 なにせ、物心ついたときから特異な髪の色で苦労してきたのだ。そんな自分には、黒く染髪することで事なきを得ている今がまずまず許容できる状態だった。帽子で髪を隠す必要はすでになく、それだけでも相応の解放感を覚える。その程度ですら、初めてたどり着けた安息の地だったのだ。

 なのに。

 今さら、いたずらに波風など立ててほしくない。下手を打って壊してほしくない。これ以上良くなる期待より、悪くなる恐怖のほうが断然まさった。

「ねえ、沢本さんってさあ――」

 誰かから、そのような特有の声色で話しかけられるたび、つい身構える自分がいる。

「髪、染めてるって本当?」

「辛くない?」

「人と色が違うってヤバくね? あ、いい意味で。わたしは全然いいと思うよ」

「ごめんね、内緒にしとくから」

「綺麗に染めてるねえ。ほぼほぼ、本物の黒と見分けが付かないよ」

「元は何色?」

 そうやって、今の環境下ですら心をざわつかされることはある。知らない手が無遠慮に素肌をベタベタと撫でまわしていく感覚。

 それでも、残酷なまでに無邪気すぎた小中のころの級友たちと比べれば随分と穏やかだし、散発的だ。連鎖しない。燃え広がらない。クラス全員から一斉に好奇の視線を突き付けられたりしない。

 だから。

 遠埜霧にも放っておいてほしい。

 そのうち飽きてくれればよいが。

 そう期待して、旧校舎四階、マイコン部の部室から安物のイヤホンを装着して校門付近を見下ろす。

 霧の同志たちは日ごとに顔ぶれも人数も違ったが、霧本人は一日として欠くことなく、いつも変わらずそこにいた。

 ウィンドウズ2000のメディアプレイヤーから、歴代先輩たちのひそかに残していってくれた楽曲が延々と流れる。音がこもっているし時折ノイズも混じるし、必ず途中で終わってしまう曲もあるが、暇つぶしに困るほどではない。眠たげな目で知らず知らず霧の姿を追う風歌の日常もまた、今はまだ変わらなかった。


 季節が一つ進み、熱気と湿気と学園生活の慣れで、制服をまとう身のけだるさがいよいよ増してきたころ。

 外の豪雨を眺めやりながら、風歌はその日の放課後もマイコン部の部室で、二台あるパソコンのうち一台を占有し、ひとり漫然と音楽を聴いていた。ここはかつて普通の教室として使われていたらしく、一学級分の机と椅子の跡が、木の床に無数の傷として残っている。今、それらの多くは処分され、現存するのは八人分だ。しかし、そのわずかな数の席でさえ、人の肌でくまなく温められることはない。

 他の部員が総勢何名か、風歌はいまだ知らなかった。ほとんど皆、籍を置くだけの幽霊だったからだ。たまに姿を現しても、古いOSかつオフラインかつ電源コードの都合から壁際に固定されたパソコンの二席には、まずもって目もくれない。残り六つの席を好き勝手に移動させて、校則をかいくぐるオシャレについて情報交換をしたり、隠し持ってきた文庫本サイズの漫画をかばんから出して読んだりする。

 部室に盗み甲斐のある物がないので戸締まりすることもなく、幽霊たちはいよいよ気まぐれに出没したり、しなかったりした。

 この日は、小降りだったわずかな隙を突いて皆帰ってしまったのか、誰も姿を見せなかった。風歌も一応は傘を持ってきていたものの、帰るタイミングを見誤り、なかなか帰るに帰れなくなっていたのだ。

 イヤホンの外側で、雨の轟音が遠くに鳴る。

 パソコンの中に納められた楽曲は、ブラウン管モニターに映し出された表示によると、ZARDやglobeという、風歌の親世代が聴いていたような今は昔のものばかりだった。アーティスト名の正しい読み方も知識にない。「ザード」「グローブ」で合っているだろうか? 他の部員は誰も興味を示さなかったが、課題を片付けてしまえば他にすることもない。それに毎日のように聴いていると、そもそもが一世を風靡したヒットソングらしいということもあり、どれもきちんと耳に馴染んでくる。風歌には読みもたやすいKep1erケプラーAGITOアギトといった自宅で聴くお気に入りのアーティストには及ばないが、それなりに好きになった曲もあり、学校にいる間は、この放課後がもっとも心安らぐ時間だった。

 さすがに今日はいないか――。

 もう一つの習慣で、つい窓の下に視線が行く。

「黒髪の強要をやめろ」

 その声が直接聞こえたわけではない。が――いたのだった。見つけてしまった。監視の教師すら見当たらない雨空の下で、鮮やかな水色のレインコートに身を包んだ少女が一人、プラカを持って辻立ちしていた。

 間違いない。遠埜霧だ。

 風歌はあきれ、その弾みで、ホイールのないマウスをついクリックしてしまう。ランダムで選ばれた曲が再生される。今の気分とちぐはぐな、疾走感のあるユーロビートだった。


 雨粒が傘の表面を激しく打ち鳴らしていた。

「……まだいる」

 と、声に出しては言わなかった。あと一歩で敷地外へ出る校門のまさに境界線上で風歌は立ち止まり、鮮やかなレインコートの少女を、数メートル先にとらえていた。

 霧は、風歌が校舎を出たときから、おそらくこちらに気づいていたはずだ。ほかに人がいないのだから、まずもってそうに違いない。しかし気づきながらもすぐには素振りに出さず、同じ調子で抗議のプラカを掲げていた。

 きっと、街角のティッシュ配りのように、ターゲットが十分近づくのを見計らっていたのだろう。ところが、風歌があと少しの距離で歩みをやめたからか、霧のほうからさっさと歩み寄ってきた。

「ボクたちの学校には自由が少ない」

 ボクっ子だった。

 次いで、入学初日にも聞いた言葉を繰り返す。

「悪い校則を改めよう」

「……興味ない」

 せっかく対峙したのだから文句の一つくらい言えれば良かったのだが、風歌はまた素っ気ない態度をとってしまった。そうなると、もはや相手の顔をまともに見ることができず、傘を少し傾けて互いの視線を遮る。

「君の興味はどうでもいい」

 その言葉に、風歌は耳を疑った。こちらから拒絶した以上、何かしら冷たい反応は予想していたが、霧の今のそれは、取り付く島もないほど突き放したものに思えたのだ。

 傘を握る手に力がこもる。

「そう! なら、ほっといてよ」

 風歌は吐き捨てると、そのまま駅のほうへ、泥を跳ね飛ばしながら駆けていった。

 何なんだ、あいつ。

 その後、下りの混雑した電車内。

 やけにぐったりして座席にもたれかかっていると、真ん前に、腰の曲がった高齢の人が乗り合わせてきた。

 こんなとき、いつも声をかけるのが気恥ずかしい。席を譲る代わりに内心で弁明する。

 次の駅で降りますから――。

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