第一話 まっすぐ怒れ(2)


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 クローンの桜が一斉に開花し、一斉に散り始め、舞う花弁もわずかになった冴えない空のもと、教職員と地元議員と生徒たちによる入学式が、体育館でしめやかに執り行われた。小中学校のときと違って、保護者たちの姿はなかった。学校側から特に参加要請がなかったからだ。自主的に同伴した幾十人かの保護者たちは、式のあいだ別室に集められ、説明を受けたり、PTA役員を決めたりしていたらしい。

「スマホ禁止みたく、親は入学式に必須じゃないからかしらねえ?」

 とは、風歌の母、千草ちぐさの意外にサバサバとした弁だ。なお母自身はパートの仕事を優先したため不参加だったが、例によって、井戸端で情報を仕入れてきていた。

「もしかして、大変な学校に入ったんと違う? 今さら言ってもしょうがないけど、よその学校じゃ、地毛証明っていうのを提出したら、黒髪ストレートじゃなくても通えるんだって。なのに、ここはそれさえ認めないなんてねえ。後悔してない?」

「……別に。普通」

 一幕があった。

「続きまして、新入生代表の答辞。新入生代表、遠埜霧」

 アナウンスを受け、その女子生徒が舞台袖から壇上に向かう。

 場内が軽くざわついた。

「あれが成績一番の子?」

「すげえ美人」

 それを狙い澄ましていたかのように、学年主任がすかさず一喝した。あとで知ったが、担当科目は現代文だった。

「お前ら! 先生が今言いたいことが何か分かるか!」

 たちまち場は水を打ったように静まりかえり、どの生徒たちも、やはり厳しい校風だと思い知ったような、後悔混じりの顔をする。

 もちろん風歌も相応に全身を強ばらせたが、加えて彼女には、自分の本当の髪の色が、周囲にバレやしないかとの緊張もあった。

 もっとも、同じ出身中学の生徒たちには既知のこと――ではある。けれども、それでも、なるべくなら広言しないでいてもらいたい。

 引き換えに、これからの三年間、おとなしく、目立たないようにして過ごしますから――。

 そっと髪に手を当てる。刹那、前方の、なおも怒れる学年主任と目が合った気がした。

「一本残さず、きっちり染めてきただろうな?」

 威圧的な二つの目が、そう告げているように感じられた。以降、式の終わりまで、風歌は終始うつむいていた。


 新しいクラスで、新しい担任が挨拶あいさつする。クラスを受け持つのはこれで何度目かという中肉中背の男性教師だ。ひどく怖そうにも、そこまでは怖くなさそうにも見える。次いで、生徒たちも自己紹介する。沢本風歌です、趣味は音楽鑑賞です、動物に例えるとよくアライグマとかレッサーパンダとかハクビシンとか――と、彼女はそつなく無難にこなす。やはり見知った顔もいくつかあったが、出身中学からやや遠い高校のためかさほど多くないこともあり、幸いにして特に事もなく済んだ。

 ホームルームが終われば、入学初日はそれで解散だ。空き教室に設けられた即席の販売所で、ひとまず鞄に詰められるだけの教科書を購入し、校舎を出る。

「ストップ! ヘイ・ユー!」

「は、はい?」

 風歌は突然の声に驚き、返事をしながら後ろを振り返った。見上げた先、いま出てきた校舎の窓の向こうから、まだ名前も知らない教師が、なぜかこちらを鋭く見下ろしていた。果たして授業を受け持つ教科担任かどうか、仮に受け持つとして何の教科かも知らないが、おそらくは理科でも社会でもないと思う。

「ゲッロフ! ゲッロフ! アー・ユー・ニュー・スチューデン? ……校内は自転車走行禁止だ。登校時にも言われたはずだろ。ドゥー・ユー・アンダスタン?」

「すいませーん、うっかりしてましたあ」

 風歌のすぐそばで、一人の男子生徒がにやけながら自転車から降りていた。周りでクスクスと笑いも漏れたが、教師の視線はいよいよ鋭く、それに気づいた当の男子や笑った生徒たちは、たちまち身をすくめて真顔に戻った。

 風歌自身は、高校生活の初日をどうにか無事に終えつつあった。

「お願いします!」

 はきはきした声とともに、一枚のチラシが視界の端から飛び込んできた。校門を出てすぐのことだ。

 あ、とも、え、ともつかない半端な声をのどに鳴らし、風歌は顔を上げた。チラシを配っていたのは、どこかの名彫刻家による彫像だった。もしくは近代日本絵画の傑作、それともコンピュータグラフィックスの美形キャラクターだったかもしれない。同じ制服を着ていなければ、そのような勘違いが解けるまで、さらに時間を要したことだろう。三角タイの色も同じで、どうやら彼女も新入生らしい。

「どうぞ」

 美しい何かが再び声を発した。改めて見つめてみれば、透き通った素肌の上に、意志の強さをそのまま形にしたような眉、切れ長の目、筋の通った鼻、なまめかしくも引き締まった口もとを、まさにそこしかないと思われる正確さで、造物主が配置したもうた美顔だった。

 この時、風歌の視線は自然とやや上向きになっていた。昨年、中学三年生時の身体測定で平均身長そのものだった風歌よりも、いくらか背丈のある相手だったからだ。加えて細身の体躯と小顔のため、実際よりも随分と高身長の印象を受ける。

 とにかく、容姿についてだけの感想なら、崇高で神秘的で、まるで現実味に欠く少女だった。俗な現世とは隔絶した、おとぎの国の住人だった。

 風歌を味気ない現実に引き戻したのは、彼女のチラシに書かれた数々の無粋な文言だ。「校則」「反対」「改正を」などの活字が行儀悪く苛立たしげに並んでいた。

「悪い校則を改めよう」

「え、と……」

「スカートの丈さえ自分で決められないなんて、間違っていると思わないか? 靴も男女とも革靴指定で、合わない人には痛みが伴うはずだ。髪だって、このグローバルな時代に黒一色などと……」

「あの……」

 つい自分の髪に手を当てた風歌は、しかしそれきり言いよどんでしまった。その背後で、こら、と聞き覚えのある声がした。入学式で一喝した学年主任が血走った顔で駆け寄りながら、やはり式で聞いた名を口にしていた。

「遠埜霧! 学校で抗議活動するなと言ったろ」

「ですので移動しました。ここは学校の外側です」

 新入生代表が、堂々とした態度で反論する。

 足もとに敷き詰められた歩道のタイルを確認するまでもなく、風歌と霧の立つ位置は、確かに校門の外側、学校の敷地外だった。が、風歌は、自分を挟んで二人の人間が口論している状況に辛抱たまらず、霧に「ごめんなさい」と頭を下げた。

 そのままそっぽを向き、さっさと歩き始める。

「とおの、きり……」

 この日、二度も耳にした名をつぶやきながら、風歌は足早に駅へと向かった。

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