叫べ、風歌 東京カウンタープロテスト

Taka

第一話 まっすぐ怒れ(1)


     1


「キングメーカー」

「そんなんじゃないよ……」

 後ろから耳打ちしてきた子に、沢本さわもと風歌ふうかは小さく苦笑した。

 一つまばたきし、再び前を向く。

 二学期終了間際の全校集会。

 全生徒が整列する体育館。

 底冷えする空気の中、男子の学生ズボンと並行に、白い靴下の脚も何十本と寒々しく連なっている。

 震える脚たちの先にある壇上。

 そこへ、颯爽と一人の生徒が現れる。当生徒は、このような時と場では、なかなかありえない物体を手にしていた。

 ただでさえ人目を引く容姿だった。スレンダーな肢体に、ストレートの黒髪。髪色こそ風歌を含めてどの生徒とも同じだが、つややかさを誇るように大胆に腰まで伸ばしている。顔は小さいにもかかわらず、はっきりした目鼻立ちだ。

 加えて、トランジスタメガフォン――トラメガの携帯だった。機械仕掛けのメガフォンで、ハンドスピーカーやハンドマイクとも呼ばれる。彼女がおもむろに構えたそれは全体に白色で、口もと付近とグリップ部分とが燃える赤のツートンカラーだ。

「このたび、生徒会長に就任することとなった遠埜とおのきりです」

 澄んだ声を電子回路が増幅し、館内の隅々まで運ぶ。声色は繊細なフルートにも似て、単なる平凡な朝の挨拶をどこか音楽めいたものに変えている。

「ご支持いただいた皆様、まことにありがとうございます。ご支持いただけなかった方々におかれましても、いつかその信頼を勝ち取れるよう、日々職務に励むことをお約束いたします」

 実に恭しい内容だった。

 風歌は鼻で笑った。

「それから謝辞とともに、訓示も一つ述べさせていただくことをお許しください」

 そらきた。

 風歌は視線をトラメガに注いだ。

 ありがたい紅白のそれを、持ち主が今いちど握り直す。

 声が高らかに放たれた。

「まっすぐ怒れ!」

 トラメガの先端がきらりと光り、風歌は一瞬、目つきを鋭くする。


 春の陽が窓から射し込み、鏡に反射していた。鏡は伸びてきた手によって角度を微妙に調整され、光の帯と入れ替わりに美容師の顔を新たに映し出す。見たところ二十歳を過ぎたばかりのようだが、あどけないとも初々しいとも思っているのは、まるで風歌の肩にあごを乗せているかのような、その顔の主のほうだろう。彼女は風歌の背後に中腰で立っている。

 鏡の中から、彼女の顔が念を押してきた。

「ホントに黒くしても?」

 店内には、ヒーリングミュージックが控えめに流れている。

 おとなしく椅子に座りながら、風歌は黙って首肯した。BGMか、はたまた陽気のせいか、自分でも驚くほどリラックスしている。何なら眠気すら覚えるほどだ。

「校則だもんね。しょうがないよね。だけどホント、きれいなカッパーブラウン……」

 それが風歌の髪だった。

「安心してね。このカラーに負けないくらい、きれいにカワイく染めてあげるから」

 同性どうしの気安さからか、それともプロとしての気遣いからか――まぶたがいよいよ重くなる中、美容師がやけに饒舌のように、風歌には感じられた。

 風歌が、一般入試で東京都立修応館しゅうおうかん高等学校を選んだのは、まず成績との兼ね合いだ。

 男女共学の全日制普通科高校で、生徒数は三学年あわせて七百人弱。江戸時代の藩校の流れを汲むとのことだが、それに関しては興味がない。入学案内書を読むまで知らなかったほどだ。

 同学区には、この修高のほか、やはり同じ公立でありながら校舎も真新しい進学校として知られるところが一校あった。

 が、おそらくそちらは、先方が風歌のような成績の者に対しては受け入れを拒絶してくるだろう。そのような運命なら仕方がなかった。不幸なすれ違いだった。それに、修高も決して程度が低いわけではない。ただ昨今の少子化に伴って、近年は定員割れ寸前の状態が続いているだけのことだ。その凋落した実態に反し、幸いにも世間の評判は今のところ比較的まだ良いままらしい。

 楽々と入学できて、見下されもしない。

 過去の栄光、万歳。

 権威、最高。

 伝統の、なんと素晴らしいことだろう。

 修高の場所は徒歩で通えただろう進学校よりも遠く、電車で二駅分の距離だった。自宅から乗車駅、降車駅から当校までの各距離を計算に含めると、自転車で直行したほうが、おそらく早い。が、母が井戸端ネットワークで仕入れてきた情報によると、密かに自転車で通おうものなら、当校に露見され次第、有無を言わさず謹慎か停学処分になってしまうらしい。自転車通学の許可を得ることも難しく、公共交通機関で通えるのなら、例外なくそちらが優先されるとのことだった。

 交通費を浮かしてお小遣いにしよう作戦は、誰にも悟られないまま発動前に頓挫した。

 代わりに、両親と歳の離れた弟、そして風歌が囲む食卓で、一家団欒の種になった。

「ま、事故が心配だしな。かわいい我が子の身にもしものことがあったら……」

「痴漢に気を付けるのよ。あんた、特に美人ってわけじゃないけど、制服を着た女の子ってだけで狙われるんだから」

「風歌は美人だよ。……なあ、風歌」

「姉ちゃん、ブスぅ」

鉄哉てつや、カッコ悪ぅ」

「よしなさい、風歌」

「なんで、わたしだけー?」

「小学生と同じレベルで張り合うからでしょ」

「えー、だって鉄哉が」

「だってもあさってもないの」

「そうだぞ。人間、いがみ合うもんじゃない」

 なお、厳格で古めかしい修高の校風は、通学関連にとどまらなかった。いかつい校名や、数字でもアルファベットでもなく「いろは」での組み分け、「昭和のセンス」だの「平成の遺物」だのと揶揄される深い色のセーラー服等々は、気合いを総動員して思い込めば優雅な上流階級風ともとれるので、まだかまわない。それよりも、精神主義ではしのげない以下の事柄だ。

 女子はスカートの長さを膝下丈と定められ、ストッキングは過度に性的であるとして着用禁止。同じ理由でタイツも禁止。靴下は白に限定され、許される柄はワンポイントまで。なお、少しでもたるんでいると指導される。同様にセーラー服の三角タイも結び方が厳密に定められており、男子も詰め襟のホックを外すことは許されない。合わせてカラーまで外そうものなら、生活指導室に直行とのこと。

 学園生活に必須でない私物は原則持ち込み禁止で、香水や爪磨きはもちろん、携帯電話すら、あらかじめ使用目的を書いた書類を提出して許可を得なければ校内に持ち込めない。密輸が発覚すれば反省文だ。

 体操着を入れる手提げバッグは学校指定のものに限られ、さらに女子は赤色、男子は紺色しか選べない。マフラーはふざけて首を絞める生徒が過去にいたからとの理由で、雪の日でも例外なく着用できなかった。

 頭髪についての規定もあり、香りの強すぎる――と学校側が判断した商品のシャンプーおよびリンスは使用禁止。男子は耳が隠れる程度の長髪不可。なお、以前は頭の下半分を刈り上げるツーブロックも不可だったらしい。

 いったい、本校は男子生徒に耳周りをすっきりさせたいのかさせたくないのか……?

 どうやら、答えは「させたい」だ。

 実は何年か前、不合理な校則を全廃すべしという教育委員会からの強い要請を受け、大半の都立校がおおむね素直に従い、それが快挙として報道もされる中、本校においては、かろうじて男子生徒のツーブロックくらいが、遅ればせながらしぶしぶ解禁されたとのことだった。

 女子については、もともと長髪ならば許されていた。しかし髪留めは一度に一つまでで、パーマや脱色などは容認されるはずもなく、生徒は自然のままの黒のストレートに限る、とされていた。

 ここで、風歌の頭髪が問題となった。風歌の体毛は、生まれつき赤に近い茶色だったからだ。風歌の家族は皆ありふれた黒髪なので、風歌だけが家庭内でも異質だった。

 小学校と中学校へは、その髪の色でも通うことができた。

 かといって、問題がなかったわけではない。いじめだ。

「うちの兄ちゃん、言ってたぞ。茶パツって不良なんだぞ」

「不良、不良」

「ねえ……なんでフウちゃん、髪、赤いの? みんな黒いよ? ヘンっなのー」

「ヘーン!」

「外国人みたい」

「ニホンゴ、ワッカリマスカ?」

 クラス替えがあるたびに、必ず新たにそう絡んでくるクラスメイトたちがいた。歴代の各担任は責任感を発揮してそんな子供たちを一度は叱ってくれたものだが、「他人の髪の色をからかってはいけません」と言われた子は、「自分の髪のほうがカワイイって誉めてるだけだもん」とか、「からかってるんじゃなくて、ちょっと変って思っただけだよ。もないんですかあ」などと抗弁し、そうでなくとも、しばらくすれば再び先生たちの目を盗んで、以前と同じか、それ以上のひどい挑発を風歌に仕掛けてきたものだった。さらには当の先生までもが、あくまで冗談のつもりだろうが、絡んでくることさえあった。

「先生くらいの歳になるとなあ……茶パツだったとしても、髪ってだけでありがたいんだぞ」

 言い終えるや、地肌が露出している頭頂部を手のひらでペチンと叩き、教室中がどっと沸く。

「センセー、カワイイー」

「ハゲ、ドンマイ」

 風歌はひとり、そのたびに辟易した。

 そんなのが、おもしろいと思っているのか。

 そちらは初めて披露したジョークかもしれないが、こちらはすでに別の大人たちから何度も同じような言葉を聞かされ続けてきたんだ――。

 ある時、真後ろの席の男子が、風歌のおさげをつかんで揺らしながら、ピーマン、ピーマンと繰り返し唱えた。

 さすがにこれは初体験だ。

 振り返りがてら、相手の手を払いつつ聞き返す。

「……ピーマン?」

 男子はニンマリとした。

「俺、ニンジンって言ってないかんな。前にお前の毛、ニンジンって言うなって先生に言われて……リンゴもダメ、トマトもダメって言われて、だから俺、ちゃんと守るんだ」

「……」

 後日、風歌は自宅のキッチンの冷暗所で、母が使い忘れている一袋のピーマンを発見した。中の二、三個が、熟して赤くなっていた。

 風呂場で、洗面所で、化粧台の前で――家中の鏡が自分の髪を映すたび、風歌は呪って立ち尽くした。

 そんな色まで律儀に映し出してくれなくてもよいのに、と。一つくらい違ってくれても、と。もはや赤も茶も乾いた血のようで、汚く、醜く、美や愛らしさとはかけ離れた色のように、子供の二つの瞳には映っていた。


 中学へ上がると同時に、風歌はおさげを切り、ヘアスタイルをショートボブに変えた。少しでも髪の量を減らすことで、赤銅色を目立たなくしたかったのだ。これに大きめの帽子をかぶせて隠せば、なお効果的だった。欲をいえば麦わら帽子のようなつば広のものが理想だったが、利便性の観点からスポーティーなキャップを愛用した。染髪については、まだ選択肢になかった。特定の誰かに吹き込まれたわけではないが、髪を染めるのは、思春期の子供には極めて大人びた行為か、世間への反抗の意思表示に思えたのだ。

 実際のところ、髪の色を変えている生徒たちに「不良」と呼ばれる子が多いのかどうかは知らない。しかし風歌に浴びせられる心ない言葉の数々を、風歌自身、いつしか知らず知らずのうちに信じ込んでいた。

 ただ何にせよ、風歌に反抗の意思などあるはずもなかった。波風の立たない生活を送りたいと、どの子にも負けないほど強く願っていた。それを叶えるためなら、協調性も従順さも惜しまないつもりだった。

 したがって、高校入試時の面接で自分の髪の色が校則違反であること、入学するには黒色に染めなければならないことを改めて告げられたとき、慰めの言葉をかけてきた両親や数少ない友人たちとは裏腹に、風歌はむしろ安堵を覚えた。面接官にも最後まで伝えずにいた――それが最大の志望動機だった。

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