第十三話 普通の人なら、差別くらい反対するでしょ(1)
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「言い訳ターイム」
「そんなんじゃないよ」
後ろから意地悪く耳打ちしてきた子を、
一つまばたきし、改めて前を向く。
白い夏服たちが並ぶ体育館。
服たちの視線も同じく前方に注がれている。
焦点にあるものも、また白い。
ただし、純白でなく混じり気のある白だ。
ブリーチ剤でメラニン色素を落としたロングストレート。
残った髪色が、金銀の光沢となってきらめいている。
不純にして美しい、本校内では唯一無二の白。
それを後方になびかせ、髪の主は涼やかに壇上に立つ。
無数の視線が、今度ははっきりと顔で結ばれた。
が、本人は動じず、引き続き毅然と澄ましている。
彼女がその場に立ったのは、長い夏季休暇を除いても、およそ久方ぶりのことだった。
一学期終盤、霧は懲罰によって公衆の面前から忽然と姿を消した。
不名誉な停学明けと、全校生徒の範たるべき生徒会長。相反する二つの要素を一身に帯びたその第一声に、生徒たちも教師たちも、また霧を崇拝する者も霧を嫌う者も、それぞれの別なく、誰もが注目せざるを得ない。
こうした式典に付き物のけだるさは、今この瞬間にかぎっては、周囲のどこからも感じ取れない。むしろ一定の緊張感が全身の細胞を刺激し、風歌自身もつい背筋を伸ばしてしまう。
「今さら、どの
式開始前、いったん集まった教室や移動時の廊下で、そうした冷ややかな言葉が、風歌の耳にいくつも飛び込んできた。
「フツー、辞退するでしょ」
「復学なんて、反省文の一つも書きゃできるらしいしな。汚名は残ったままだよ」
「生徒会長の任期も二学期を残すだけだし、もうずっと副会長らに代理させといたら?」
「もしか挨拶そっちのけでよ、自分は悪くないって、ひたすら自己弁護に走ったりしてな」
「ウケるー」
「超ありえるー」
「そうなったら、クソだせえ奴って一生笑いものにしてやる」
「ネットにも書いとけ書いとけ」
「お、デジタルタトゥーってやつ! いいねえ、そんときゃ、みんなで大拡散だ」
温度差もほとんどなく、いずれも霧に対して一様に侮蔑的だ。擁護の声は、そこにない。
「あ……」
と何やら口を挟みかけた子も、周囲からのひとにらみで気を挫かれ、その子は自身の軽率さを悔いるように、すっかり萎縮してしまうのだ。結果、あたかも全校生徒七百人がそろって霧への敵意一色で染め上がったような校内だった。
教室からクラスを引率してきた担任をはじめ、体育館内の壁際に並ぶ教員たちだけが、どうやらそう単純には割り切れなそうな表情を浮かべていた。
実はこの時期、PTAから本校に、とある問い合わせが何件かあったことを、少し後になって風歌は霧の口から種明かしされた。
「ほかには卒業生たちからも。学校に心配の言葉をかけてくださった方が一人二人といらっしゃったらしい。同窓会の幹事の方と名簿のことでやり取りしたことがあって、その際にちょっとそんな話をね」
「廃校の危機――」
「……というほど切羽詰まってはいないが、まあ、気にはなるだろう。例の都議会のニュース。うちの学校は大丈夫かって。入学希望者の数が減り続けてきたのは周知の事実だし」
「心配されたら、されたほうも不安になるよね。やっぱり何とかしたほうがいいのかなあって。あ、もしかして……あんた、陰で糸を引いたとか? 自分が学校の改革者として復活できるように」
「まさか。知り合いの議員さんも新聞記者さんもそれなりにいるけど、そこまではしない」
できない、とは霧は言わなかった。
「必要ないからね。なぜならこれが新自由主義のいつもの帰結だから。彼らはいつも他人に対し自己責任論を振りかざすが、ボクに言わせれば彼らこそ自業自得だ。もっとも、新自由主義者でない者まで巻き込まれるのは迷惑でしかないが」
相変わらず霧の言葉は難しい。風歌には半ばも理解できないが、それでも一つ確かなのは、これがいつもの霧ということだろう。
「とはいえ、タイミングが良かったのは事実だ。ちょうどボクの停学中にこんなニュースが舞い込んできてくれるなんて」
霧の言葉はそこで終わったが、故意か無意識か、彼女が触れなかった要素もあることを、風歌はひそかに承知していた。
停学期間の途中から、霧の態度が牙を抜かれた獣のようにおとなしくなったからだ。父の逮捕を受けて一時的にせよ意気消沈していたためだが、それが教師たちの目には、図らずも素直に反省してくれたように映ったのだ。
壇上の霧がついに口を開いた。
「皆さん、おはようございます。夏季休暇も終わり、今日から二学期が始まります」
平凡な滑り出しだった。強いて挙げるなら簡潔にすぎたくらいか。
同時に、耳を澄ませていた生徒たちが肩透かしを食らったように顔色を微妙に変化させる。
「え……?」
「なあんだ」
そのような声なき声が、場内のあちこちで一斉に漏れ出たかのようだ。
こうしたスピーチとなることを、事前に本人から知らされていた風歌くらいが、じっと眉一つ動かさずにいた。
「自己弁護? 公私混同はしないさ。厳かであるべき始業式を何と心得る」
風歌は思い出し、それでようやく、わずかながら口もとをほころばせた。よく言うよ、と苦笑したのだ。
何やら特別な熱を帯びていた場内の空気は一気に冷え込み、従来の退屈な雰囲気が取って代わる。それと反し、教師たちの列からは、うんうん、よしよし、と壇上に向かって頷く顔がいくつも見られた。
第一声からの展開も、駆け足ながら凡庸だった。
「一年生と二年生は、これまで以上に勉強と部活動に励みましょう」
さらに続く言葉も、概して同様だった。それまでテンプレートそのものといえた内容に、多少の個性がようやく初めて表れた程度だ。
「三年生は、今が最も重要な時期です。特に就職組の皆さん、これからはどれだけ大きな企業であろうとも、モラルに欠ければ立ち行かなくなる時代です。ですので、しっかりと見極める目を持ち、一時の株価や待遇よりも、環境保全や人権尊重などの社会的規範に従う企業を選ぶように心懸けましょう」
おや――と、ここで鋭く何かを嗅ぎ取ったか、若干いぶかしげな顔をする者もちらほらといた。しかし多くは満足げにしろ不満げにしろ、当初からの表情を継続している。
この調子で、あとは二学期に控える学校の行事や部の大会等に触れていけば、事もなく、また通例よりも短い内容で生徒代表挨拶は終了するはずだった。
実際、霧は行事に触れ、大会に触れ、大会のない部活動も――と手早く流れるように続けていく。
異変はそこからだった。
それまで駆け足気味だった分、特定の部に対し、突如として、事細かく奥の奥まで踏み込んだのだ。
「今年新設された部――マイコンと自由研究部は、今学期が一つの正念場となるでしょう。大きな成果が求められます。そこで、全校生徒の代表者たる生徒会長として、常日頃、皆さんの部活動を通じて大いに本校を盛り上げたいと願ってやまないわたしからの提案ですが、聞けば何でも次の日曜日、ある差別扇動団体が新宿でヘイトデモを行おうと企んでいるそうですね。すぐ近くには、在日コリアンの方たちをはじめ外国系住民が多く住まわれ、またそうした店々も立ち並ぶ街、新大久保があります。デモ隊はその新大久保に向かう可能性もあり、もしもそのとおりになれば、ただでさえ違法であり人権侵害であるヘイトデモを、より許しがたいものにしてしまいます。ですので、ひとつ自研部のほうで、これを妨害してみてはいかがでしょう。なに、逮捕など恐れる必要はありません。有罪判決を下される可能性は確かにありますが、現行法なら、まだそれほど重い罰にはなりません。むしろ、ヘイトスピーチを野放しにする世の中のほうが、法律も際限なく市民に牙を剥くものへと改悪されていってしまう恐れがあります。そもそも、反差別は正義なのだから堂々としていればよいのです。こちらが何も曲げる必要などありませんし、曲げれば曲げただけ悪に屈したことになってしまいます。間違った処分を下すほうが間違っており、その者たちこそ悔い改めるべきです。たとえ現在の法律が許さなかったとしても、あなたたちに真の罪など決してありえないことは、後世の人々が保証してくれるでしょう。中には刑罰よりも学校からの処分のほうを恐れる方もいらっしゃるかもしれませんが、それだって先ほど述べたことと同じです。自分に非がない以上は胸を張っていればよいのです。いずれ世間は、その処分を指して、かぎ括弧付きの不名誉――すなわち名誉ある『不名誉』と、評価してくれるようになるでしょう。そうした個人や組織は必ず増えていきます。以上、挨拶を終えます」
「い、言い訳だァ!」
整列した生徒たちの間から声が上がった。たまらず誰かが叫んだらしい。曲がりなりにも一定の厳粛さが保たれていた場に、過度に扇情的な声が響き渡る。
誰だ誰だと皆が視線をさまよわせる中、次の声が、また別の列から上がった。
「どこがよ! 生徒代表として部活動を応援しただけでしょ!」
このやり取りを皮切りに、煮立った湯の泡のように、あちこちで無数の声が一斉に噴き上がった。
「一つのクラブに時間使いすぎだろ!」
「しかも、てめえが作ったクラブじゃねーか!」
「法律違反を勧めてんじゃねーよ!」
「法律が間違ってんでしょ! 聞いてなかったの?」
「頭に入らんかったー! 話長くてー!」
「停学が悪くないって言う奴の言葉なんか聞けるか!」
「停学が悪くないなんて言ってないし!」
「ねーねー、会長なんてったの? なんてったの?」
「いい行いを罰するほうが悪いって言ったんだよなあ!」
「無責任だろ! 就職に響いたらどうする!」
「いいほうに響くかもね! いいことしたなら! これからはそういう時代! そうしてかなきゃ!」
家庭科の教師が、舞台下のマイクをつかんで一喝した。
「お前ら静かにせんかい! 集団生活できんなら出て行け!」
さらに振り返り、霧を見上げる。
「お前ももう下がれ――」
しかし騒ぎのきっかけを作った張本人はすでに壇上をあとにしており、生徒会役員が並ぶ列の自分が納まるべき位置で、ひとり涼しげに澄ましていた。
他の教師たちは何ということだとばかり、今にも頭を抱え込みそうな、いずれも似通った顔を並べている。
例外が自研部の顧問で、ほぼ無表情で分かりづらいものの、どうやら笑いをかみ殺しているようだ。
いや、もう一人くらいはいただろうか。
たまたま隣に立つ音楽科の教師もその笑いに敏感に同調し、密やかな二重奏の一端を担っていた。
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