第五章 戴冠式⑥

 山の麓はすでに野次馬や報道陣で溢れかえっている。暗雲立ち込める空は太陽を遮り、昼間なのに薄暗い。

 眞白は雑踏をかき分け必死で山へ向かおうとするも、この人の多さでは山道の入り口に辿り着くことすら出来ない。


「近づかないでください! 下がって!」


 すでに通報を受けて到着した警察が封鎖を始めていた。あのままでは中に入れない。

 眞白は焦燥でおかしくなりそうだった。早く山の上に行かなければ、洸輔の元へ行かなければいけないのに。


「――お願い! 通してください!」


 その時、眞白と同じように必死になって封鎖を通り抜けようとする者の声がした。眞白はその声が聞き覚えのある事にハッとする。


(――嘘)


 野次馬の隙間から、警察官に縋り付く一人の女性の姿を発見した。


 息が止まるかと思った。

 懐かしい顔、懐かしい声。見間違うはずもない、――眞白の親友の姿だ。


「通して! 私の弟が山の上にいるの!」

「ダメです! 下がってください! 今救助隊がこちらに向かってますから!」

「お願い! お願いよ!」


 縋り付く琥珀の身体を警察官が突き飛ばした。琥珀は尻もちをついて路上に項垂うなだれる。眞白は思わず彼女のもとに駆け出した。


(琥珀! 琥珀!)


 彼女の身体を支えると彼女の目が眞白を映した。その蜂蜜のようにとろりとした蠱惑こわくの宝石が驚いたように見開かれた。


「ま、しろ……? 眞白なの?」


 琥珀の震え声に眞白は頷いた。


 ――ああ、琥珀だ。間違いない。


 彼女は何も変わっていなかった。七年前に別れたあの時のまま、眞白の事をまっすぐに見てくれる、美しい瞳を持つ人だった。


「眞白!」


 琥珀が眞白に縋り付いてきた。細い体は震え、大粒の涙をこぼす。心なしか彼女の顔色が悪い、息を切らしゼイゼイと深い呼吸をしていた。


「弟が――芥が神宮に向かったの……」


 琥珀が絞り切るような声で呟いた。芥、昨日会ったあの青年だ。


「あの子……、黄檗様を刺したの……、それから他の五帝も殺すって……、仲間を連れて神宮に向かって……。多分この火事、あの子たちのせいなの」


 それを聞いて眞白はわなわなと震えた。このままでは洸輔たちが危険だ。


「あの子! きっと死ぬつもりだわ。刺し違えても五帝を殺すって……! どうしよう、眞白……!」


 だが琥珀はそれよりも反逆を起こした芥の事が気がかりらしかった。芥とは昨日会ったばかりでよく知らない。でも彼が琥珀の事を大切に想っている事は感じ取れた。そして今目の前で泣き崩れている琥珀もまた、あの青年に対して強い想いを抱いている。


(そっか……、琥珀は一人じゃなかったんだね)


 七年前、『女郎花』から連れ出され一人自由を手にした眞白はずっと琥珀が気がかりだった。あの暗闇の中で彼女を一人置き去りにして、自分一人が幸せになった事を後悔したこともあった。

 でも、眞白がいなくても彼女は一人じゃなかった。眞白と同じように、琥珀もまた愛情をそそげる存在が側にいてくれたのだ。


『今の琥珀姉さんに貴女は必要ない』


 昨日芥に言われたことは本当だ。もう琥珀に眞白は必要ないのかもしれない。それぞれに大切な人と共に、幸せになる事が出来るようになった。


 ――もう二人で、あの牢獄の中にいる必要はなくなった。


 眞白は琥珀の肩を抱く手に力を込めると、まっすぐに琥珀を見つめた。


「――だ、いじょうぶ。あく、たは、わた、しが、つ、れてく、る」

「……⁉ 眞白……、声、出るようになったの⁉」

「もう、こ、は、く――ひとりに、させないから」


 眞白は琥珀を抱きしめた。眞白が悲しくなった時、琥珀がこうやって抱きしめてくれた事を思い出す。


「ご、めん、ね。こはく――、ごめん」

「……何で眞白が謝るの?」

「ずっと、そばに、いられ、なかった。ごめん」

「……馬鹿」


 琥珀も泣きながら眞白を抱きしめ返す。


「私ちゃんと言ったでしょ、鐵さんに。『あなたが幸せならそれでいい』って、伝えたよ」

「う、ん――きいた」


 琥珀の言葉も、琥珀がくれた美しい宝石も、眞白の事を想ってくれた証として眞白の元にある。その返事をやっとする事が出来た。


「ありがとう、こはく」


 眞白は立ち上がると、山道の入り口に立った。警察がその道を封鎖している、周囲には相変わらず野次馬や報道陣が集まっていて、眞白たちの方を見ていた。


「何ですか、貴女、下がってください」


 警察の静止に耳を貸さず、眞白は意識を集中させた。

 怖い。身体が震える。周囲の視線が痛い。また後ろ指を指されて、誹謗ひぼう中傷を浴びせられるのかもしれない。


 ――でも、逃げるのは嫌。


 そう心で唱えた瞬間、眞白の全身から大量の鱗が生えた。あっという間に皮膚を侵食し、それだけにとどまらず四肢自体も大きく膨れ上がり変形し始めた。


「なっ、なんだ⁉」


 周囲から悲鳴が上がる。畏怖いふ驚愕きょうがく。そういう感情が渦巻うずまいていくのを確かに感じた。

 鱗に覆われた皮膚、硬質なたてがみ、張り出した鼻口。身体は肥大し縦に長く伸び、脚の代わりに鋭利な尾びれのついた尻尾が生えた。

 眞白が忘れたくても忘れられなかった、本当の自分の姿だ。

 警官が条件反射で腰の拳銃を眞白に構えたのが見えた。恐怖のあまり錯乱した警官の一人が眞白に発砲する。銃弾が肌を叩いた、だが、頑丈な鱗の肌には傷一つつかない。


「化け物だ!」


 誰かが叫んだ。悲鳴を上げ逃げ惑う者もいる。報道陣は怯えながらも必死でカメラを回し眞白を撮っていた。


 逃げればいい、撮ればいい。

 こんな化け物がこの世にいたなんて、みんな知らなかったでしょう?

 こんなおぞましい姿をした生き物なんて物語の中だけしかいないって、思っていたでしょう?

 ののしればいい。あわれめばいい。そんなものでもう、眞白は傷つかないから。


 眞白は高く跳躍した。人離れした驚異的な跳躍力は警察の封鎖も軽々と飛び越える。高揚する身体を存分にふるって眞白は山道を駆け上がった。

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