第五章 戴冠式⑤
◆
眞白の目に白く透き通った肌をした細腕が映る。ああ、これ私の腕だ。とまだ信じられない気持ちで
それからゆっくりと起き上がると、身体がだるくてあちこちがじんじんした。体の痛みを自覚する度、眞白は昨晩自分の身に起こった色んな事を思い出して、顔を赤らめる。
幸せだった。頭の中がぐちゃぐちゃになって
「……」
優しい彼は眞白を受け入れてくれた。まっすぐに眞白を見てくれた。こんな醜い身体でも愛してくれた。そこはかとない多幸感と罪悪感に押しつぶされてしまいそうで、眞白はぎゅっと身を固くする。
ふと、全身を見ると身は清められ、きちんとパジャマが着せられていた。裸のまま眠ったと思うのだけど、と益々恥ずかしくなって眞白は胸の奥が熱くなる。
「……こ、――」
大好きな人の名前を呼ぼうと思ったのに、また声は出なくなっていた。昨日は頑張って言えたのに、また眞白の声門は固くなって
ベッドのそばに置いてある時計を確認するともうお昼を過ぎていた。部屋は薄暗く、閉じられたカーテンの隙間から外を覗くと、ホテルの下の大通りが見えた。
(洸輔君は――)
部屋には眞白一人で、部屋を見渡すと机の上にメモ書きが置かれていた。
『戴冠式に行ってきます』
そうだ、今日は五帝の戴冠式の日だ。そのために東京まで来たんだもの、と眞白は見送りできなかった事に少し気落ちした。
食事は冷蔵庫に入っていると書いてあったので、冷蔵庫を覗いてみるとコンビニの弁当が入っていた。
服を着替えてからベッドに腰かけ弁当を食べ始めた。手持無沙汰なので壁に備え付けられたテレビをつけてみると、
『緊急スクープ! 鏡雛ほむら熱愛発覚か⁉』
突然画面に映った巨大なテロップに眞白は思わず固まった。
昼のワイドショー番組で、芸能人やコメンテーターたちが集う中、VTRが流れ始める。
『あの人気女優鏡雛ほむらさんが堂々の熱愛宣言。お相手は義肢装具士の一般男性とのことで――』
女性のナレーションと共に、昨日の悪夢の光景が映し出される。競技場の選手控室の中で、焔と洸輔(顔は隠されていたが)が寄り添っている映像だ。
『――私の最愛の人です』
カメラに向かって堂々と宣言する焔の目はその名のように熱く燃えていた。スタジオの芸能人たちは衝撃を受けた顔をしている。
『これは驚きましたね』『今までスキャンダルとは無縁だったほむらさんですが』『しかもお相手は別の女性と事実婚しているとか』『ええっ! って事は略奪愛ですか』
スタジオが盛り上がりを見せる中で、テレビの前の眞白はしおしおと力を失くしていった。
過ぎた事とは言え、やはり焔に対してのコンプレックスは消えない。最初に病院で出会った時から眞白にとって彼女は天敵でしかなかった。
我慢できなくなって眞白はリモコンを掴みチャンネルを変えた。焔の話題を取り上げてなさそうな国営チャンネルに合わせると、そこでは堅苦しい顔をしたアナウンサーが座っている。これなら、と思って安心して食事を再開したのも束の間、焔のニュース以上の衝撃が眞白を襲った。
『昨夜未明、都内の路上にて男性が何者かにナイフで刺されるという事件が発生しました』
眞白は思わず手を止めた。そして、
『ナイフで刺されたのは、
映し出された名前と写真に眞白は凍り付く。その男は眞白にとって因縁深く忘れがたい男だった。
(黄檗帝――)
かつて眞白を買い、あの『女郎花』で働かせていた五帝の一人。あの時向けられた強圧的な視線が脳裏によぎり、眞白は我知らず体が震えた。
『犯人は現在も逃走を続けているとみられ、警察は通り魔もしくは櫨染氏に何らかの恨みを持った者の犯行とみて調査を続けており――』
眞白は強烈に胸騒ぎがした。あの黄檗帝が何者かに襲われたという事実。
――何か、何か引っかかる。
一体誰があの男を襲ったのか。何の恨みがあったのか。眞白は何か知っているような気がした。知っているはずなのに、思いだせない。
手が止まったまま停滞している眞白を置いて、テレビの中のアナウンサーはもう他の話題に移っていた。機械のようにニュース原稿を淡々と読み上げていく。その人間味の無い動作が止まった。
『……臨時ニュース、ですか? はい』
スタジオの動揺が見ているこちらにも伝わってきて、まだ考えこんでいた眞白も画面に注視した。別のスタッフがアナウンサーに原稿を渡すと、アナウンサーの顔が明らかに
『……えー、たった今、入ってきたニュースです。午後一時現在、東京北東部にある、霊山で火の手が上がっているとの事です』
(――え?)
眞白の視界が一瞬白く飛んだ。
『速報です。……たった今、霊山の方で火事が発生したと――、えー、現場の状況はまだ明らかになっておりませんが、大きな音と黒い煙が観測されたとの事で――』
霊山。霊山は確か、
『現在消防が向かっているそうで、近隣の住人の皆さんはすぐに安全な場所に避難してください。……繰り返しお伝えします――』
――今日、五帝の戴冠式が行われている御橋神宮のあるところだ。
眞白は弁当を取り落とした。慌てて他のチャンネルに返る。するとどこも臨時ニュースに切り替わっており、先ほどワイドショーを流していたチャンネルも報道局からのアナウンスに切り替わっていて、
『先ほど霊山の方で火の手が上がっているのが確認されました』
『御橋神宮付近が炎上しているとの事で――』
どこも同じニュースを取り上げている。その中の一つにカメラの映像付きのものがあった。
『午後一時現在の御橋神宮上空の様子です! ご覧ください! 濛々と煙が上がっています』
その映像に眞白は戦慄した。山の中腹から立ち上がる黒々とした煙が空を覆い、太陽を
「う、そ……」
眞白は真っ青になって口を覆った。燃えている、――御橋神宮が燃えている。
――式は正午から始まって一時間くらいで終わるかな。
前にどこかで洸輔が言っていた事を思い出した。それが本当なら、儀式はたった今終わったばかりで、だとすると洸輔たちはまだあの中にいる。
『神宮内にはまだ人が取り残されている模様です! 現在救助隊が出動態勢に入っているものの、立ち上る黒煙にヘリの接近は絶望的で――』
その時の眞白は自分でも理解が追い付かない程
あの夜と同じ洸輔の危機。あの時は電話の前で動けなかった眞白が、
「……っ!」
躊躇いなく駆けだしていた。ホテルを飛び出すと、黒煙がこの場所からも目視できる。周囲の通行人たちもあれはなんだと空を指さしていた。テレビの画面で見えた時よりもはるかに衝撃的で生々しく、黒い暗雲が空に立ち込めていた。
あの黒煙の
消防車のサイレンが響いてきた。徐々に近づいてくる焦燥の音色に眞白は汗をどっと吹き出す。
(洸輔君……! 洸輔君!)
眞白は迷わなかった。大好きな人がいるあの麓まで、眞白は全力で駆けだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます