第三章 群芳の憂い⑥
その後、少年を迷子センターに連れていくと少年の母親らしき女性が青い顔をして待っていた。眠りこけている少年の姿を確認したその女性は、
「ありがとうございます……っ! ありがとうございます!」
女性は桔梗たちに何度も頭を下げて、そして少年を抱えて立ち去って行った。桔梗は放心している眞白を連れて近くのベンチに腰掛ける。
「あれは子供の能力を知っているね。咲人の子供に過保護になるタイプだよ、あの母親は」
咲人には孤児や天涯孤独者が多い。それは大抵の場合親族や周囲の人間に、自分の力を受け入れてもらえないからだ。全国には咲人の子供を保護する施設が数多く存在する。捨てられた子供たちはそこで独り立ちできるまで養育され、自身の力と向き合う術と心を養う。
そしてそれすらも困難な咲人もいる。そういう子が最後にどこに辿り着くのか、それは眞白自身が一番よく知っている事だろう。しかし逆に咲人に必要以上に過保護になる親も少なからずいる。まあ拒絶して捨てたり虐待したりするよりかは穏便なのかもしれないが、その
「
桔梗が尋ねると眞白はびくりと肩を震わせた。
「……あんたの事は黄蘗からも聞いてるよ」
黄蘗の名を出された途端、あからさまに眞白の身体が強張った。
「あんたが生まれてからの事、あいつに所有されるまでの経緯とか、
「……」
「同じ五帝だけどね、あいつのやり方に文句は言えないんだよ。互いに不干渉が暗黙のルールだし、あれはあれで行き場のない咲人に居場所を与えてやってるんだから」
親元にも施設にもいられない咲人。彼らが生み出す作物が金になると判断された咲人。彼らが行き着く先が、黄蘗の牢獄だ。
非人道的とわかっていながら、それを止める権利は桔梗にはない。彼は使命の通り咲人を『保護』しているのだから。
「五帝が出来る事なんて
眞白は桔梗の言葉をどう受け止めているだろうか。彼女の顔が見られない。
彼女は桔梗が救えなかった者の一人だ。美しいものであるはずの彼女を、暗い闇に閉じ込められている彼女を、桔梗は黙認した。
「あたしはね、少し疲れたんだ。だから降りる事にしたんだよ。この仕事は神経をすり減らす。けどそれは結局あの子に……菫に重責を押し付ける事に変わりはない。それに、あんたの旦那もね」
眞白の目がふと大きく見開かれた。
「あいつは本当に昔から咲人に甘いんだ。すぐ情に乗せられて、貧乏くじを引いてしまうんだから。……本当に養父にそっくりだよ」
「?」
「聞いたことなかったかい? 先代の烏羽帝、鐵玄一郎もそれはそれは不器用な人間だった。寺の住職をしていたあいつはよく咲人から相談を受けていた。……大抵が人生や死に関するものばかり、そして救えなかった者をあいつは自らの手で弔った。一人孤独に咲人たちの死に向き合い続け、彼らを救おうとして、そして――潰れた」
今でも思い出す。酷く
「最期は老衰でぽっくりだったけど、あれは見ていられなかった。憔悴して人の顔をしていなかった。あれが五帝の使命に押しつぶされた成れの果てだと思うと、自分は絶対にああはなりたくないと思ったね」
今の鐵は少し彼に似てきている。彼も理解し始めたのだ。五帝という存在がこの世界にとってどれほど
遠からず彼は重責に押しつぶされるだろう。何の因果か、歴代の烏羽帝は咲人の最期を看取る役割ばかりになっている。
――本当に損な奴だ。
その時、黙っていた眞白が桔梗の服の
「なるほど、そうやって意思疎通を取るのか」
言葉が話せないのは精神的な障害らしいが、随分と慣れた様子の眞白に感心した。さらさらとペンを動かすと眞白はメモを桔梗に示す。
『洸輔君を元気づけるにはどうしたらいいですか?』
「元気づける?」
『最近元気がありません。私には何も出来ません』
眞白は悲しそうな顔をして俯いた。なるほど、鐵の方にも色々とあったらしい。
「何も出来ていない事はないんだよ」
桔梗は紙袋の中から先ほど眞白に選んだ白い帽子を取り出し、眞白に被せた。
「今日あの男の子を真っ先に見つけたのはあんただった。あんたがいなきゃあの子は力を暴走させて、周囲を混乱に陥れただろうね。そうなれば、あの子は皆から冷たい目で見られるところだったんだよ」
少年を助けたのは眞白だ。彼女だったからこそ、気づけたものがあった。
「側にいてやればいい。玄一郎とあいつが違うところがあるとすれば、あいつにはあんたがいる事だろうからね」
鐵が師と同じ
◆
『五帝は誰も救えへん』
鐵の発した言葉に菫がハッと顔を上げた。
「俺の先代、鐵玄一郎の
「先代の……烏羽帝? どうしてそんな事……」
「自分と同じ思いをさせたくなかったからでしょう。あの人はいつだって咲人を救おうとして――そして失敗した」
ふと、玄一郎の姿を思い起こしてみる。彼はいつもあの寺の縁側で寂しそうに座っていた。蜩の鳴く夕暮れの空を眺め悔しそうに歯を食いしばっていた。
「俺は幼い頃に両親を亡くしました。行き場のなかった俺を遠い親戚筋の玄一郎が拾って、ずっと五帝として勤める彼を見ていた。五帝になりたいと思ったわけではなかった、ただ、……あの人の助けになりたいと思って、五帝の修業を受けた」
当時の玄一郎は乗り気ではなかった。でも鐵の熱意に負け、何より鐵に適性があった。
「俺は玄一郎の後を継ぐ気でいました。でも、その意志を表明する度に、彼は俺に言い続けた。『五帝になんかならんでいい』『お前は普通の人間として生きたらいい』って」
「……でも、貴方は五帝になった」
「正直成り行きですけどね。玄一郎が急死して、『烏羽帝』を継げるのが事実上俺しかいなかった。だから、……俺は玄一郎の言いつけを破って今ここにいる。後悔はあります。本当に俺が後継者で良かったのかって、思う事は何度もあった」
そして、先日の依頼を思い出し口の中に苦いものが広がる。
「つい先日も俺は失敗をしました。咲人を救えず、死を与えました。彼を愛する者を一人にして、彼に関わる人間を不幸にした。菫さん。菫さんには申し訳ありませんが、五帝なんてそんな大それた仕事じゃありませんよ。五帝は神から咲人の管理を
玄一郎の言っていた事は正しかった。
『五帝は誰も救えない』
その言葉は、嘘偽りない真理だ。それでも、
「……それでも、この力のおかげで手に入れられたものもあります」
それはただ、鐵の側にいて微笑んでくれる。寄り添って一緒に笑って泣いてくれる。
美しく宝石のような輝きをその身に宿す、暗闇にいた化け物の彼女に会えたのは。
彼女に一人の女性としての人生を与えようと思ったのは。
「まあ、それも俺のエゴなんですけど」
彼女の顔を思い出してふっと笑みがこぼれそうになったが、
「……って、つまり――俺が言いたいのは」
結局菫に何を言おうとしたのか忘れてしまった。
「――つまり、俺みたいな奴もいるわけで、五帝だからってあまり重荷に考えずに――ああっ! くそ、何が言いたかったんだ俺は」
混乱してきた鐵は歯がゆくて頭を掻きむしる。そんな様子を見ていた菫は、
「ふふっ」
小さな声で笑った。
「大丈夫ですよ、鐵さん。わかりました」
「えっ、そうですか」
「はい! 鐵さんが
鐵はその返答に十秒くらい硬直していた気がする。
結論がそれでいいのか、と疑問に思わなくもないが、
(――まあ、いいか)
さっきまで表情の暗かった菫が今は初めのうきうきとした表情に戻っている。彼女の不安が紛れたのなら、鐵としてはそれで十分だ。
「出ましょうか、流石に長居しすぎましたね」
「ええ、桔梗御婆様も待ちくたびれているかも」
鐵と菫は二人で店を出て、眞白たちを探した。
――ああ、早く会いたい。
待ちぼうけを喰らっているかもしれない妻の顔を想像して、鐵の心も幾分か軽くなっている事に気づいた。
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