第三章 群芳の憂い⑤

 ◆

 桔梗は店の服を物色しながら、ふと店の入り口に立つ小さな影を見咎みとがめた。


「店に入らないのかい?」


 声をかけられたその少女、眞白はハッと顔を上げた。話に聞くと彼女はもう二十歳をとうに越しているはずだが、その身体つきは十代の幼い少女にしか見えない。


「鐵と菫の事が気になるかい?」


 桔梗の問いかけに眞白は首を横に振ったけれど、あんたは嘘をつくのが下手だねと笑ってやった。


「心配しなくても、鐵はあんたの事しか興味ないよ。菫は……あの男というよりあんたら二人に興味がありそうだったけれど」


 菫は今年二十二歳になるが育った環境が環境のせいか随分と初心うぶで箱入りだ。彼女に二人の事を話すとまるで子供のように目を輝かせて聞いていた。恋愛というものに興味を持つ姿は年頃の乙女そのものだが、彼女もまた普通の人生を送るべき人間ではない。――次の五帝となるものだ。

 まあ菫の事はいいだろう。きっと今頃あの若造が何とかしてくれる、それより桔梗が気になったのは目の前にいる彼女の事だ。


「それよりほら、あんたに合うものを見つけたんだよ」


 桔梗は眞白の手を取り強引に店内に連れ込んだ。すでに万単位の買い物をした桔梗に、店員は満面の笑みでこれを迎える。


「ほらこれなんかどうだい?」


 桔梗が手に取ったのは、白いつば広のスラウチハットだ。


「髪の毛隠すのはいいけど、もう少し可愛いのを被りな、せっかくの美人が台無しだよ」


 眞白が被っていたのはくたびれた男物のキャップだった。恐らくあの男のお下がりだろう。


(まったく、夫なら妻に帽子の一つもプレゼントしたらどうなんだい)


 鐵の甲斐性の無さに憤慨ふんがいしつつ、桔梗は眞白に帽子を手渡した。眞白は恐る恐るキャップを取った。

 現れたのは虹色に光り輝く硬質の髪。鱗を変形させて作られた偽造の髪。

 噂には聞いていたが間近で見るのは桔梗も初めてだった。色は勿論、硬さが明らかに髪のものではない。だが桔梗はそれを美しいと思った。確かにこの独特の光沢と質感は触れるものをとりこにする。この珍品に吸い寄せられ、彼女を搾取さくしゅした人間は数知れない。

 白い帽子を被った眞白は彼女の肌の白さと相まって深窓の令嬢の様だ。


「いいね、よしこれにしよう。――あんた、これも一緒にくれるかい?」


 桔梗は眞白から帽子を取り上げるとそれを近くの店員に渡した。眞白は慌ててこちらの袖を引っ張ってきた。


「なんだい? 気に入らなかったかい?」


 眞白は勢い良く首を振る。言葉はわからないが、多分買ってもらうわけにはいかないと、そう言っているのだろう。


遠慮えんりょすること無いよ、買い物に付き合ってくれた礼さ」


 桔梗はウインクをすると、そのまま会計をするため店員を呼び店の奥に向かった。遠慮がちな少女は、再び店の前にうずくまって固まっている。

 桔梗は会計を待ちながらそんな少女の姿をじっと見つめていた。


 彼女の境遇は他の五帝を通して聞いている。咲人の多くは不遇な人生を強いられる事が多いが、彼女はその典型ともいえる存在だった。

 烏羽帝が彼女を引き取り、それからは見違えるように人間らしくなった。とはいえ、咲人は咲人だ。どんなに人間に近くなろうとも彼女は我々とは違う。


(まったく、自分の不甲斐なさに呆れるね)


 桔梗は周囲に誰もいない事を確認しため息をつく。憂い顔をふっしょくし、もう一度眞白の方に目を向けると、


「――?」


 眞白が何かに気づいて腰を上げた。華やかな婦人服売り場が並ぶフロアの隅に駆け寄る。

 不信に思った桔梗は眉を寄せた。


「お待たせいたしました、お買い上げありがとうございます。お客様」


 ちょうど商品を包み終わった店員が戻ってきた。桔梗は店員から無言で紙袋を分捕ぶんどると早歩きで眞白の元に向かう。

 フロアの隅にいたのは小学校低学年の男の子だった。迷子だろうか、その子供は一人で膝を抱え蹲っている。存在に気づいた眞白がいち早く駆け寄ったものの、どうすればいいのか右往左往していたのだ。


「あんた、迷子かい?」


 二人の側に跪いた桔梗は少年に呼びかけた。

 少年は身体を小さくして震えている。寒いのだろうか、空調は問題ないように感じるが、


「……おかあさん」


 少年がちらりと顔を上げた。眞白が彼の肩を優しくさする。


「おかあさん、どこ……?」


 少年がか細い声で母を呼ぶ。涙ぐんでいた瞳が、さらに潤んで真っ赤になった。


(ただの迷子か……)


 桔梗は少年に大事がない事に安堵し迷子センターを探そうかと立ち上がった。その時、


 パキッ


 何かが割れる音がした。少年の肩をさする眞白の手が止まる。


 ――今何か。


 変化の出所はすぐに分かった。――足元だ。少年が蹲っている辺りの床が、不自然に濡れている。

 ――違う、凍っている。


 パキパキ


 音の正体は氷が張る音だ。フロア内の空調は正常なはずなのに、少年の周囲の温度が異様に下がり、少年を中心に薄い氷の膜が床に張り始めた。


「下がりな」


 桔梗は側にいた眞白を後ろに下がらせると少年の肩を掴んだ。――冷たい、氷のごとく冷えた身体は人間のそれではない。


 ――咲人か。


 恐らく氷を生み出す類の咲人か。床の氷膜は急速に広がり少年の皮膚にしもが降りる。桔梗は自身の身体に霜が付くのも構わずに少年を抱きしめた。


「落ち着いて、深呼吸をするんだよ、坊や」


 桔梗は心を落ち着けて、静かに少年に語り掛ける。

 だてに長く紫苑帝の名を名乗っているわけではない。こういう事には慣れている。


「大丈夫だ、お母さんはすぐに見つかるよ。だから落ち着くんだ」


 少年の震えが止まった。辺りにかぐわしい花の香りがそよぐ。その穏やかな香りが少年と桔梗、そして眞白を包み込む。

 力を使う時、桔梗がいつもイメージする映像がある。辺り一面に咲く花々に、降り注ぐ陽光。春の日差しにそよぐ風。

 それが桔梗が具現化する――紫苑帝の力のイメージだ。


『我は五帝、紫苑帝。汝は弱き咲人の子。我は咲人の守り人、汝の憂いを悉く祓う者なり』


 香りと共に深く重い自身の声が轟く。


『さあ、力を鎮めなさい』


 その瞬間、周囲の冷気が霧散した。パキン、と氷が割れる音がする。

 少年は桔梗の腕の中で安らかな寝息を立てて眠っていた。周辺の様子も変わりがなく、フロアでは買い物客が先刻と同じように何も気づかずに桔梗たちの側を通り過ぎる。


「……いつでもこういう事が、できればいいんだけどね」


 桔梗の呟きは花の香りと共に静かに霧散して消えた。

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