第三章 群芳の憂い④

「ふふ、桔梗御婆おばあ様ったら、今日は随分とはしゃいでおられるんだから」


 菫は食後の紅茶を飲みながら毛ほども気にした風もなく笑う。この肝の据わり様、どことなく既視感を抱いて背筋が凍った。

 観念した鐵は椅子に座りなおすと、菫に向き直った。


「……ええと、何か聞きたいことはありますか?」


 こちらから説明するのは骨が折れそうだから質問形式にする事にした。すると、菫は突然スイッチが入って、急に目を輝かせてこちらに身を乗り出す。


「はいっ! ではまず、鐵さんと眞白さんのめをお聞きしたいです!」

「……は?」


 思わず固まって怪訝な声を上げてしまった。鐵のいぶかし気な視線などどこ吹く風で、菫はまくしたてる。


「お二人は夫婦なんですよね⁉ どこで出会われたんですか⁉ 眞白さん咲人とお伺いしたんですが、何の咲人なんですか⁉」

「いや、あのちょっと、……戴冠式の事を知りたいのでは?」

「勿論それも知りたいですけど、今一番知りたいのはお二人の事です!」

「……なんで?」

「興味があるからです!」


 清々すがすがしい答えだった。そのあまりの強情ぶりに彼女の顔と小憎たらしい老婆の顔が重なる。

 桔梗とは対照的だと言ったが前言撤回、この娘は間違いなく紫苑帝の後継者だ。


(さてはあの婆さんこうなる事がわかってたな……)


 ここにいない人間に悪態をついても仕方ない。鐵は腹をくくって、彼女の質問に答えることにした。


「俺と眞白が会ったのは……」

「会ったのは……?」

「……知り合いの紹介という事くらいで、すみません、それ以上は言えません」


 同じ五帝に風俗店に連行されそこで売られていた彼女を金で買った。なんて堂々と言えば確実に奇異きいの目を向けられる。下手すれば犯罪者扱いだ。


「なるほど、二人だけの秘密という事ですね」


 だが、その答えは逆に菫の想像力を掻き立てられるものだったらしく、むしろ彼女は嬉しそうにしていた。そうじゃないんだが、という言葉を飲み込んで鐵は引きつった笑みを浮かべる。


「初めて会ったのはいつの頃ですか? どれくらいお付き合いを?」

「……初めて会ったのは俺が五帝に就任した直後だから、七年前――俺が二十歳になったばかりの時ですね。わけあって俺が眞白を引き取る事になって」

「い、いきなり同棲どうせい……」

「最初は恋愛感情とか、そういうのではなかったんですけど……、なんですかね、一緒にいて疲れなかったというか、こいつとなら生涯を共にできるなって、直感……というか」


 菫は激しく首を振り鐵の話に同調した。もっと聞かせてくれという無言の圧力を感じる。


「二年前に、俺事故で大怪我して入院したんですけど、その時に色々あって東京を離れて今いる佳賀里の知り合いが管理してた咲人の廟守を引き継ごうかと思って。それで一緒に付いてきてくれるかって」

「それで、プロポーズを?」

「プロポーズというか……、まあ籍は入れてないのであれなんですけど」


 そもそも眞白は生い立ちが特殊で戸籍もあってないようなものだったから、結局籍を入れずに佳賀里の村に越したのだ。


「眞白さんって幼いように見えるけどおいくつなんですか?」

「詳しい年齢は分からなくて、ああ、でも最初に会った時に二十歳越えてたって聞きました」

「あれ、二人が会ったのは鐵さんが二十歳の時で。……という事は眞白さんの方が年上?」

「ああ、そうか。そうなりますね」


 鐵が頷くと、菫は何故か目を潤ませて祈りのポーズをとり始めたので鐵は目が点になった。


(なんだ、俺なんか変なこと言ったか?)


 何が菫の琴線に触れたのかよくわからないが、菫はいたく感動したらしくぶつぶつと独り言をつぶやきながら顔をにやけさせていた。


「も、申し訳ありません。私、恋バナになるとついはしゃいでしまって……」


 我に返った菫は気恥ずかしそうに頬を染める。そうしていると本当にどこにでもいる平凡な女性に見えた。


「私、物心ついたころから五帝になるために育てられて、その……恋愛というものをした事がないものですから」

「物心ついたころから?」

「ええ、北条家に生まれた宿命です。ご存じありませんか?」


 鐵は首を横に振った。そう言えば、他の五帝がどのように任命されるか、その仕組みを鐵はあまり耳にした事がない。


「紫苑帝は代々北条家が世襲する風習になっています。北条家に生まれた子は、本家分家問わず五帝となる訓練を受けるのです。咲人に関する知識、その使役方法。そして自身の能力を高める神祇じんぎのあれこれを。実際に力を行使できるのは五帝に就任してからですが、幼年期からその前段階として色んな技術を叩きこまれます」

「神祇のあれこれって?」

「うちは元々神道内臣うちのおみの祖先で、古来は神祇官じんぎかんの長を務めていたそうです。だからおはらいとか祈禱きとうとか、そういうのも神通力を高めるために習うんです」

「えっ、そんなの俺習ったことありませんけど」

「多分うちだけですよ。本来五帝の力とは無関係なので」


 鐡も五帝を継ぐに至って、玄一郎からある程度の知識の継承と、神通力の行使の仕方について教授された覚えはある。だが、菫の言うような儀礼や祭祀さいしにまつわるものは一切教わっていない。自分とは無縁の世界の話に鐵は舌を巻いた。同じ五帝となる者でもこれほどの差がある事を鐵は今まで知らなかった。


「ですがそこには当然生まれ持った才能というものがあります。どんなに教育をほどこされても、能力の開花しない者がほとんどです。そうやって選定に選定を重ねて、選ばれた者が紫苑帝の後継者となる」

「それに選ばれたのが、貴女だと」

「ええ、桔梗御婆様が自ら私を後継者に指名なさったのです」


 そう口にする菫の顔は、あまり嬉しそうには見えなかった。


「勿論、選ばれた時は嬉しかったんですよ。……でも、もし普通の家に生まれていればと思う事もありました。周囲からの期待や羨望、そう言うものに押しつぶされそうになって家を飛び出しそうになった事もあって」

「……」

「最近時々思うんです。本当に私が後継者で良かったのか」


 彼女の瞳には迷いが生まれている。その僅かな揺れを鐵は見逃さなかった。


「北条家にとって五帝に選ばれるという事はこれ以上ない名誉なんです。そして私は幸運にも五帝になる道が定められた。でも、本当は心の奥底で五帝になりたくないって思ってるんじゃないか、って、自分自身でも分からなくなってしまうんです。そんな不純な人間が誰かを蹴落としてまで五帝になろうとしている。……それって、本当はダメな事じゃないかって」


 ――なるほど。


 鐵はようやく腑に落ちた。どうして桔梗が譲位の直前に菫を連れてきたのか。


(あの婆さんも本当に人使いが荒い)


 やはりここにいない人間に悪態をつきながら、鐵は仕切り直しに冷めた茶をすすり、――口を開いた。

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