第三章 群芳の憂い⑦

 ◆

 それからベンチで休憩している眞白と桔梗を見つけ、四人でデパートを後にした。レストランで菫と話している間に二人の間に何かあったのか、眞白は桔梗に少しなついていた。


「あんた、あんな田舎で死体ばっかり相手にしてないでたまにはこの子に服の一着でも買っておやりよ」


 帽子を買ってもらったらしい眞白を横目に、鐵は桔梗に真面目な説教を喰らった。全く小うるさい婆だが正直言われてる事は正論だった。が、言われっぱなしもしゃくなので、


「あんたこそ、今日のは貸しだからな」

「何言ってんだい。後輩の世話ぐらい進んでみておやりよ、器の小さい男だね」


 まあ、この先達せんだつに敵うはずもなかった。

 鐵は桔梗と菫を最寄りの駅まで送っていくと、


「じゃあ、戴冠式は来月だからね」

「わかってますよ」

「それまで死ぬんじゃないよ」


 物騒な事を言い残して桔梗は老獪ろうかいな見た目に似合わない軽快な足取りで去って行く。

 後に残された菫は、


「お二人とも、今日は本当にありがとうございました」

「ええ、戴冠式頑張ってくださいね」

「はい。ではまたお会いしましょう」


 師と違い丁寧にお辞儀をすると、桔梗の背中を追って駆けて行った。


「……帰るか」


 鐵は我が家に帰るべく車を発進させる。助手席ではちょっと不貞腐ふてくされた顔の眞白が窓の外を眺めている。


「その帽子、婆さんに買ってもらったのか?」


 視線だけを横に向けて尋ねると、眞白は小さく頷いた。


「よく似合ってるよ」

「……っ」

「なんだよ。悪かったって、一緒に回れなくて」


 彼女の不機嫌の理由は手に取るようにわかる。いつもはあの手この手で必死になだめる所だけれど、今日はちょっとだけ放置する事に決めた。


「――眞白」

「……?」

「家に着いたらちょっと話がある」


 その代わりに、彼女にとっておきの話を聞かせてあげよう。




 ガレージに車を突っ込んで家に戻ると、先に降りていた眞白はソファで気持ちよさそうにくつろいでいた。鐵が側に座ると、彼女は猫の様に丸まってこちらにすり寄ってくる。


「疲れたか?」


 眞白にしては珍しい遠出だ。それに面識のない人間と過ごす事もあまり慣れていない。最終的に楽しそうにはしていたが、やっぱり気疲れしていたのかもしれない。

 そんな眞白の背を撫でて、鐵は懐からあるものを取り出した。


「……渡しそびれたものがあったんだ」


 眞白が鐵の手の中のものを覗き込む。

 その瞬間、眞白が息を呑んだ。

 鐵が持っていたのは、透明な琥珀の結晶だ。先日、観音寺家を去る時に観音寺琥珀が鐵に託したものだ。

 眞白はその輝きで、この琥珀の主が誰かわかったのだろう。大きな目を壊れんばかりに見開いて、鐵に説明を求めていた。


「観音寺家に琥珀って咲人がいた。そいつがこれをお前に渡してくれって」


 そして彼女の伝言を一言一句違えずに眞白に告げた。

 眞白は強張るその手で琥珀に触れた。冷たい、だがどこか血の通った生き物のような脈動を感じるその結晶に眞白は釘付けになり、そして、涙をこぼした。


「彼女は今も黄蘗の元にいる。あいつの命を聞きながら、お前の事をずっと案じていた」

「……っ!」

「あの店でお前に会った時、彼女もあの場にいたんだな。俺は、全然気づかなかった」


 あの時、周囲にいた咲人たちの目が恐ろしかった。怒りと恐怖で鐵は彼らの事を直視できなかった。唯一、鐵の目に止まったのが眞白で、鐵はその場で眞白を買い連れ帰った。


「……ごめんな」


 一言言葉に出すともうどうしようも無くなって、眞白を抱きしめた。


「あの時の俺は身勝手だった。黄蘗の奴に侮辱ぶじょくされて頭にきて、それでせめてもの仕返しのために、お前を奪った。……お前や、お前の友達の気持ちなんて考えずに」


 あれは鐵のエゴだ。――いいや、エゴですらない。もっと醜悪で意地汚い、身勝手な欲望だ。黄蘗のやっている事と何も変わらない。


「俺は初めから失敗ばかりだ。玄一郎の言う通りだった。俺は五帝になるべきじゃなかったのかもしれない。他の奴なら、もっと上手くやれたのかもしれない」


 その誰かなら、眞白をもっと正しい方法であの闇から救い出す事だって出来たのかもしれない。


「でも……、それでも」


 視界が涙でにじむ。ああ、自分はどうしてこう弱いんだろう。臆病で、弱虫で、不器用な、ちっとも上手くできない人間だ。菫に仰々ぎょうぎょうしく説教できる立場になんかない。


 ――それでも、彼女に伝えたい事がある。


「お前と出会えて良かったって心から思ってるんだ」


 鐵が五帝として誇れる事は多くない。それでも、彼女と出会って彼女と共に生きる事が出来るようになったのは間違いなく五帝になったおかげだ。


 それだけは絶対に譲らない。

 たとえ神にこの称号を奪われても、彼女だけは手放したくない。


 眞白の腕が鐵の背に回る。小さな身体でいつも鐵の事を精一杯受け止めてくれる。

 許されるという安堵と罪悪感に満たされる。


「眞白、頼みがある」


 だから彼女に恩返しがしたい。今まで色んなものを奪われてきた彼女に、鐵は彼女の望むものを与えたい。


「今度の紫苑帝の戴冠式、眞白も一緒に来てくれないか?」

「……!」

「戴冠式は東京で開かれる。式自体は五帝以外参列できないけれど」


 鐵は決めた。もう逃げない、彼女のためになすべき事をする。


「東京に行けば、琥珀に会える。黄蘗に俺が掛け合ってみる」


 鐵はそっと眞白の頬に手を添えた。


「俺と一緒に、来てくれるか?」


 答えの代わりに眞白は大粒の涙をこぼした。彼女が生み出す鱗のように美しく七彩に輝く涙だった。

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