第三章 群芳の憂い①
◆
悪夢を見た。
鐵は暗くて長い回廊に立っていた。空気はじめじめと
回廊の両脇は一面鉄格子が続いている。錆びて鎖の巻かれた扉はもう何十年も開いていない。そんな薄暗い牢の中から、誰かがこちらを睨んでいる。
「……っ」
一人二人じゃない。この牢獄の中に閉じ込められた何十という
「タスケテクレ」
暗闇の奥から声がした。やがて声は輪唱し、狭い回廊に響き渡る。
「タスケテクレ」「シニタクナイ」「ココカラダシテ」「ゼッタイニユルサナイ」「ノロッテヤル」「ジゴクニオチロ」
「やめろ……! やめろ!」
走りながら鐵は叫んだ。どれだけ逃げても声は追ってくる。耳に
「俺は……っ、俺は!」
息を吸った瞬間、世界が変わった。
『ころしてくれ』
その言葉がぶすりと鐵の心臓を
「殺してくれ」
すぐ側に水音を立てて黒い墨汁の塊が立っていた。人間であるはずのないその物体から、苦しそうな翁の
「殺してくれ」
目の前の壁に書き殴られた彼の願い。鐵はもうそれから目を反らす事が出来ない。
「殺してやれよ、カラス」
その
「ほらほら、殺してやれよ。こいつもそれを望んでるんだよ」
「……嫌だ」
「どうして? 咲人を救うのが五帝の仕事だろ?」
「嫌だ!」
鐵は耳を
こんなのは俺が望んでいた仕事じゃない。五帝になればもっと、苦しんでいる咲人を救ってやれると思っていた。かつて自分を救ってくれた玄一郎みたいに、
「――お前は誰も救えんのや、洸輔」
最後にその玄一郎の姿が現れた瞬間、鐵の足元が崩れ落ちて真っ逆さまに落ちていき、
「――!」
鐵は勢いよく目を開けた。そして同時に呼吸を思い出し、酸素を求める肺を大きく動かした。
鐵は自分の寝室に横たわっていた。すでに朝の陽ざしは
「夢……」
ああ、嫌な夢だった。現実と空想が折り重なってどこまでが真実かわからなくなるような、そんな悪夢だった。
原因は分かっている。先日観音寺家の出張から戻ってきて以来、鐵は毎日のように悪夢を見る。
(玄一郎……)
夢の中に出てきた養父の姿。彼が悪夢の象徴となりつつある事に、鐵はショックを受ける。
気づけば全身汗だくだった。寝間着が肌に張り付いて気持ちが悪い。顔をしかめて身動ぎしようとすると、
「……っ?」
身体が動かない。何かに胴体を拘束されて息苦しい。なんだろう、金縛りか? それともこれはまだ悪夢の続きか?
――そこに美しい女がいた。
肌は透き通るように白く、髪や瞳は虹のような複雑な光の屈折を生み出し陽の光を反射している。柔らかな光を全身に身に纏うその女は、ぼんやりしていた鐵の身体に馬乗りになってこちらをジッと覗き込んでいた。
「……」
鐵は至近距離にある彼女と見つめあう。心なしかその瞳は不安気で泣きそうに揺れていた。
「ましろ……?」
鐵が彼女の名前を呟くと、眞白は勢いよく鐵の首に抱きついてきた。そのままぐりぐりと額を
「どうしたんだよ、眞白」
「……――」
「え、俺? うなされてたけど大丈夫かって?」
どうやら悪夢にうなされ起き上がって来ない鐵を心配してくれていたらしい。涙を
「……ごめん、もう大丈夫だから」
鐵も眞白の
だが眞白はまだ眉間に皴を寄せ渋面を浮かべていた。さて、何を話せばいいものか。
「ちょっと、変な夢見ただけだよ」
「――、」
「本当だ、そんなに心配しなくていいから」
そうは言っても多分今の鐵は相当に顔色が悪いのだろう。何を言っても彼女を納得させることは出来なかった。
「……ああ、そうだ。シャワー浴びてきていいかな」
寝汗が酷くて全身が気持ち悪い。眞白を引きはがすと鐵は立ち上がった。
「朝食は食べた?」
鐵が
「風呂あがったら作るから待ってな」
鐵は眞白の頭を撫でると、着替えを持って浴室へ向かった。
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