第二章 墨殺し②

 ◆

 東京からローカル線を乗り継いで約六時間、観光名所もない辺鄙へんぴな田舎村佳賀里かがりのさらに外れにある『くろがね義肢クリニック』。滅多に客の来ない人里離れた診療所の一室で鐵は受話器から聞こえる友人の声に耳を傾けた。


「それで、藤波は今お前のところでリハビリしてるのか?」

『ああ、滅茶苦茶頑張ってるよ。お前に作ってもらった義足、ぴったりみたいでさ。精神面も安定してる。今度障がい者向けの大会にも出場するって』


 調子のいい男の声が受話器越しから響いてくる。鐵は先日の騒動を思い出して苦い顔をした。


あおい、そもそも事件の真相を知っていたくせに、こっちに差し向けるなんて趣味が悪い」

『仕方ないだろ。立ち直ってもらうためには彼女の事も吹っ切ってもらわなきゃダメだったんだ。その点お前は上手くやってくれると思ったからさ』

「適当な事言いやがって。おかげでこっちは死にかけたんだぞ」

『蜂に刺されたくらいで死なないだろ』


 けらけらと笑う旧友に、お前も一度全身蜂に群がられる経験をしてみろ、と言ってやりたくなった。


『とにかく、今回の件は礼を言うよ。ありがとな』

「……まあこっちも仕事だからな」

『ところでお前はどうなんだ? 元気してるか?』

「お前のせいで死にかけた位であとはいたって元気だよ」

『引っ張るなぁ。まあいいけど。あ、そうだ。眞白ましろちゃん元気にしてる?』

「眞白? 今のところは問題ないよ」

『兆候が出たらすぐこっちに連れてくるんだぞ』

「兆候ってなんだよ?」

『そりゃあ、お前、決まってるだろ』


 受話器の向こうに葵の下世話な笑顔が見えた。


『楽しみなんだよなあ、五帝と咲人の子供ってどんな能力が備わると思う?』

「……」

『歴代の五帝の中にも咲人を伴侶はんりょにした奴はいるらしいんだけど。でもその子供ってなるとサンプルのデータとしてはほとんど残ってなくて――ああ待て! 切るな切るな!』


 鐵は舌打ちをして受話器を戻す手を止めた。


「お前は本当にデリカシーのない奴だな」

『研究にデリカシーなんて考えてたら何も進まないよ』

「思い切り研究って言ってんじゃねーか」


 旧友とは言え訳のわからない実験に付き合わされるのは、鐵も眞白も願い下げだ。葵は冗談だよと笑うと、


『それはそれとして、お前もたまには東京に帰って来いよ。――ほむら様も、お前に会いたがってるぞ』


 鐵の表情が固まった。焔という名前を耳にした瞬間、鐵の脳裏に嫌な思い出が想起される。


「嫌だよ。俺はここでの仕事がある」

『大して客の来ないド田舎で多忙も何もないだろ』

「失礼な、これでも最近は客も増えて――」


 その時、遠慮えんりょがちなノックの音が鐵をさえぎった。部屋に入ってきたのは、少し戸惑い気味の眞白だ。


「どうした。眞白」

「……」


 眞白は鐵に駆け寄ると小さな手でそでをくいっと引っ張った。そのわずかな仕草だけで、鐵は眞白の声にならない意図をくみ取る。


「……葵、客が来たらしいからもう切るぞ」

『えっ、客? なんだ珍しいな、これは明日槍でも降る――って勝手に切るな!』


 葵のわめき声を一方的に遮断すると、鐵は眞白と共に応接室の方に向かった。



 ◆

 応接室のソファに座っていたのは三十歳前後の女性だった。上品なクリーム色のワンピースにブランド物のバッグをたずさえ、左手の薬指には輝きを放つ指輪がはめられている。その身なりからどこぞの金持ちの夫人と見受けられたが、随分とやつれていて表情は暗い。


「お待たせいたしました。院長の鐵です。本日はどういったご用件ですか?」


 鐵が挨拶をすると、彼女はハッと目を見開いて鐵を凝視した。大きく開かれた目は幼気いたいけな少女の様で、化粧で彩られたくっきりとした顔立ちとの差に違和感を覚える。


「……私は観音寺かんのんじ麻耶まやと申します。申し訳ありません、急に押しかけてしまって。今日は主人の事で、折り入ってご相談が」

「ご主人の?」

「……」


 麻耶は言いづらそうに視線を逸らし黙っている。だが、その瞳にはうっすらと涙が溜まっていて、


「主人に、義体を作っていただきたいのです」

「義体……と、言いますと」

「私の主人、観音寺正明まさあきはもう三年近く寝たきりになっておりまして。いよいよ余命幾許いくばくも無く、このまま何もできずに死んでいってしまうのかと思うと、不憫ふびんで……。ですから貴方に夫の身体を作ってほしいのです」


 必死に訴える麻耶に鐵は渋面を浮かべた。


「寝たきりのご主人に義体――つまり、手足だけでなく胴体や内臓に代わる部位までまかなえという事でしょうか?」

「ええ、動かない部位はすべて――難しいですか?」


 何の疑いもなく聞いてくる麻耶にぞっとした。


(自分の旦那の身体を全部挿げ替えてまで延命させるって正気か?)


 好意的にとれば、それほどまでに夫を愛しているという事なのだろうが、それにしたってそんな猟奇的な事を平然と依頼するなんて。


「……俺の事をどこでお聞きに?」

「親戚筋から聞きました。佳賀里の山奥に、咲人専門の腕のいい技師職人がいる、と」

「という事は、ご主人は」

「ええ、――咲人です」


 麻耶は静かに頷いた。

 咲人と人間との結婚は珍しくない。弊害へいがいは多いが咲人は言ってしまえば『特定の何かを体から生み出す人間』であって、普通の人間と生活自体は大きく変わらない。

 とはいえ、


「結論から申し上げますが、ご依頼を受けるのは難しいです」


 鐵の冷淡な言葉に、麻耶は顔をより一層青ざめさせた。


「何故ですか?」

「管轄外だからです。俺が手掛けられるのは義手・義足。胴体部分ですら正直作った事がない。それをその他の臓器までまかなえと言われても到底不可能です。第一――」


 鐵は鋭い視線を麻耶に向けた。


「そうまでして延命したご主人は、果たして今までと同じご主人と言えますか? 手足どころか、その他全てが機械仕掛けの人形のようになって、ご主人をそんな姿にさせるおつもりで?」


 それはもはや咲人であるかどうかの問題ではないだろう。鐵自身の倫理観にも反する。だが、夫を盲愛もうあいする麻耶にはそれがわからないらしい。


「構いません、私はどんな姿になってもあの人を愛し続けます」

「いやだから愛情でどうにかなる問題では――」

「お願いします! もう貴方だけが頼りなのです!」


 突然麻耶は立ち上がるとこちらに駆け寄り手を握りしめた。鐵の前にひざまずき祈るようなポーズをとる。


「咲人だからという理由で医者にも見捨てられ……、もう、貴方しか頼る者がいないのです……! お金ならいくらでも払います。お願いします、どうか、主人を助けてください!」


 熱烈に訴えてくる圧に押されて鐵は言葉を失った。うるうると揺れる大きな瞳はやはり少女のようだ。容姿は妖艶ようえん華美かびなのに、その心はどこまでも純粋で、鐵も邪険に出来なくなる。


(これは厄介なのに捕まったな)


 自分が相当なお人よしであることに自覚がある鐵は、おそらく彼女を放っておけはしないだろうという事はよくわかっていた。


「……お宅はどこです?」


 根負けした鐵は深いため息をつくと麻耶を立ち上がらせた。


「一度ご主人の診察をさせてもらいます。依頼を受けるかどうかはそれから判断させていただきます」


 どうせ診たところで結論なんて変わりやしないのに、我ながら損なことをしているなと思ったが、


「ありがとうございます! ありがとうございます……!」


 むせび泣く女性を前にすると、どうにも突き放す気になれなかった。

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