第一章 雀蜂の僥倖③

 それは一体いつの記憶だっただろうか。


「ねえ、見てみて。蓮司が映ってるよ」


 鈴のなる声で蓮司は目覚めた。視界は薄暗くて電気もついていない、カーテンの閉め切られた部屋で、煌々こうこうと点滅するテレビの明かりが目を刺激する。


 ブブブブ


 年季の入った中古のブラウン管テレビは映りが悪く、時折ノイズ音を散らして画像を乱す。


「これ、こないだ大学に取材に来た奴だよね?」


 そのテレビの前で嬉しそうにはしゃぐ美香みかの姿に蓮司は寝ぼけたまま頷いた。ブラウン管の箱の向こうではユニフォームを着て硬い表情でインタビューを受ける自分が映っている。何週間前に、次世代を担うスポーツ界の卵を発掘するとかいうコンセプトの番組の取材を受けた事を思い出した。


「あー、これ今日放送だったのか」

「もう、ちゃんと把握してなきゃダメでしょ。ビデオ撮りそこなったじゃない」


 美香は唇を尖らせながらもテレビから目を放さない。彼女の目にはスタート位置に立つ蓮司の姿が映っている。


「おい、あんま見んなよ」

「えー、なんで」

「恥ずかしいだろ」


 蓮司はチャンネルを変えようとしたが美香がすかさずリモコンを奪い取った。やったな、と蓮司はムキになって美香に飛び掛かる。狭いベッドの上で二人はリモコンを奪い合って、


「もー、蓮司のバカ。テレビ見れないでしょ」

「お前が強情なんだよ」


 二人して馬鹿みたいに笑ってじゃれ合った。二人とも息が上がる頃には蓮司を紹介するコーナーはもう終わっていて、今は真面目な顔をしたキャスターが保険金詐欺のニュースを読んでいる。


「ねぇ、蓮司」

「ん、何だよ?」


 蓮司の下で笑う美香がこちらに手を伸ばした。


「蓮司は走り続けてね。私、蓮司が走ってるところ見るの大好き」

「走ってる時だけかよ」

勿論もちろんいつも好きだよ。――でも、蓮司は走ってる時が一番かっこいい」


 美香は蓮司の耳元に唇を寄せて、


「ね、約束してくれる?」

「――ああ」


 蓮司が笑うと美香も笑う。その笑顔がたまらなく愛おしくて、


「嬉しい、蓮司。私の大切な――」


 ブブブブ


 翅音はねおとが美香の声をかき消した。ブツッとテレビの電源が切れたみたいに、蓮司の視界は真っ暗になった。


 ◆

 息をするのを忘れていた。

 心臓はバクバクと鼓動を速め暴れまわり、肺が必死に酸素を求めて上下する。

 その息苦しさに蓮司はようやく目が覚める。


 ここは、どこだ。


 ぼやけた視界の中で見える景色に覚えがない。一体何をしていたのか、頭が痛くてそれすらも思い出せない。――と、


「……」


 視界の隅に虹色の光が見えた。光はわずかに蠢いて、蓮司のぼやけた視界の中に現れる。


 少女がいた。

 ダイヤモンドみたいに複雑な屈折の中で光り輝く瞳と髪。この世のものとは思えない得も言われぬ美しさ。肌は陶器のように白く、華奢きゃしゃな体つきに良く似合う真っ白な長袖のワンピースを纏っていた。


(――美香)


 少女に別の女の顔が重なったがそれも一瞬の事。少女はくりっとした大きな目で蓮司の事を覗き込んでいる。可愛い、というよりも少し無機質で不気味だった。一度見たら絶対に忘れないだろうから、蓮司の知り合いではきっとない。


(でも、この子どっかで見た事があるような――)


 何も言わずその少女と見つめ合っていること数秒、左方から足音が近づいてきた。すると少女はハッとして立ち上がり、蓮司の元を離れていく。


「……っ、おい」


 蓮司が寝ていたのはどこかの和室だった。開け放たれた襖の向こうには質素な庭が見える。少女は素早い身のこなしであっという間に外へ逃げてしまう。

 同時に反対側のふすまが開いた。そこに割烹着かっぽうぎを着た老婆が立っていた。


「あら、起きてたのかい?」


 蓮司は掛けられていたブランケットをいで起き上がった。まだ少し頭痛がする。


「あの、ここは……」

「ここは佳賀里の民宿だよ。民宿って言っても普通の一軒家だけどねぇ」


 女性は蓮司の枕元にお茶を置いた。


「あの、なんで俺ここに?」

「あんた、鐵さんところで貧血になって倒れたんだろ? 鐵さんが血相変えてあんたをここに運んできたんだよ」

「鐵、さん……」


 と、数十秒たっぷり考えて、


「――!」


 倒れる前の事を思い出した。


「そうだ、警察! 警察を呼んでください!」

「な、なんだい、いきなり?」

「あの男、犯罪者です! あの診療所の男、建物に大量の死体を保管していて――」


 蓮司は気を失う直前に見た女性の遺体を思い出した。遺体の側に準備されていた銀の箱、あれは恐らく棺桶だ。あの鉄の扉の向こうに詰め込まれた、大量の銀の棺桶。あの一つ一つに死体が詰められているのだと思うと――。

 だが、女性はポカンと呆けて、次の瞬間豪快に笑いだした。


「な、何が可笑しいんですか⁉」

「何だい、あんた知らないで鐵さん所行ったのかい? ……ああ、でも最近知らないで来院する人が多いって鐵さんも言ってたね」


 女性は涙をぬぐうと蓮司に対してにこりと笑った。腰の曲がった身体で枕元に腰を下ろすと蓮司にお茶を淹れてくれた。


「あん人はね、咲人専門の廟守びょうもりなんよ」

「廟、守……?」

「この村には咲人を埋葬する廟があるんだ。身寄りのない咲人の遺体を引き取って埋葬してるんよ」


 そういえば、と蓮司は行きのタクシー運転手が咲人の廟があるとか話をしていたのを思い出す。


「えっ、……でもあの人義肢装具士だって」

「そうそう、もとはそっちが本業らしいね。二年ほど前に先代の廟守の後を引き継いでこの村に来たんやけど、廟守の仕事もしてるから咲人に対して偏見が無くて、だから『咲人にも義肢作ってくれる人』って世間で評判になったんよ」


 あっけらかんと話す女性を前に、蓮司は脱力した。今の説明なら、あそこに沢山の遺体が安置されていても納得だ。


「咲人を見たんかい?」

「ええ」


 蓮司は診療所で見た光景を話して聞かせた。信じてもらえるかわからない摩訶不思議まかふしぎの現象であったが、それを聞いた老婆はほうっと柔らかい笑みを浮かべた。


「ああ、それはきっと咲人の能力だね。咲人は本人が死んだ後でも作物を生成し続けるから、きちんと処理をほどこさないと物によっては大変なことになるんだそうだよ」


 そして、老婆は懐かしそうに眼を細める。


「私も小さい頃に一度咲人を見たことがある。サーカスの巡業を見に行った時にね、美しい女の人だった。体中から見たこともない大きくて綺麗な花を咲かせて踊るんだ。彼女がステップを踏むたび花の香りが会場に広がってね、まるで花畑に住む妖精さんみたいだった」

「大きな、花……」

「その時、咲人というもんはこんなにすごい人なのかと感動した。……家に帰って母にその事を言ったら、母は嫌そうな顔をしてこう言ったんだ。『そんな化け物の事はすぐ忘れなさい』ってね」


 老婆は悲しそうに目を伏せる。


「大人になってから迫害の事を知ってね。咲人は何を生み出すかで人生が大きく左右されるんだ。美しいものや希少なものを生み出せば見世物として生きる道がある。だが、人間に害を及ぼすものを生み出せばもはや生きる事すら難しくなる。だから、彼らは素性を隠すんだね。隠してもどうしようもない時は逃げる。そうやって孤独に一生を終えていく咲人が、最期にこの村にやってくるんよ」


 老婆は眉尻を下げ笑っていた。


「最近じゃ咲人の差別撤廃に動く人も増えてきたけれど、皆が皆咲人の特異体質を受けいれられるかといえばそうじゃない。……咲人の差別はきっとこの先も無くならないだろうね」


 ずきりと、蓮司の心臓が疼いた。何故だろう、診療所で咲人の力を目の当たりにしたからなのか。老婆の言葉が、ナイフのように胸に突き刺さった。


「だから鐵さんは立派な人なんだよ。同情しかできない私たちと違って、咲人たちをちゃんととむらってあげるんだから。……『五帝』が存在すれば、きっとあの人みたいな人なんだろうね」

「五帝?」

「おや、知らないかい? 創世神話に出てくる『三皇五帝』の五帝。……そうか、最近の若い人たちはこういうの学校で習わないんだね」


 戦前の頃は『修身』という授業で神話を教えられていたらしい。その中に咲人を守る五帝の話があると老婆は語った。


「咲人を異物として生み出した御橋皇尊みはしのすめらぎのみことという神様はね、しいたげられる咲人をあわれに想って地上から人間を五人選び咲人を守る役目を遣わしたんだ。古くから人々が咲人を忌み嫌う中、その五帝はひっそりと咲人を守っていると言い伝えられている」

「ホントにいるんですか? その五帝って奴」

「あくまでも神話だよ。でも実際に咲人の人権を守り保護しようとしている人間たちは沢山いる。鐵さんみたいに咲人に偏見なく接する人たちもね。そういう人たちをあるいは『五帝』と呼んでたたえるべきなのかもしれない」


 ところで、と老婆はポンと手を叩いた。


「あんた貧血で倒れたって言ってたけど、具合の方はいいのかい?」

「あ、はい。今は平気です」


 そういえば診療所で襲われた眩暈や吐き気、耳鳴りは全く感じなくなっていた。いたって健康です、と告げると、老婆は安堵して笑った。


「じゃあ今日はここに泊まって、明日また鐵さんところに行くといいよ」

「でも、……俺診療所で迷惑かけちゃったし、診てくれるでしょうか」

「大丈夫だよ。あんたは患者なんだし、それにあの人優しいから、何だかんだ言ったって見捨てたりしないさ」


 そうなんだろうか、と蓮司は半信半疑だった。まだ会ったばかりの人間だが、不愛想な態度とか、人を詰問きつもんするかのような喋り方とか、お世辞にもいい印象は抱けない。


「確かに初めて会うと戸惑うかもしれないねぇ。あの人がここに来た最初の頃も村人に随分気味悪がられてたけど、うちらみたいな年寄りの手伝いも何でもしてくれるし、奥さんにも優しいしね」

「え、あの人奥さんいるんですか?」

「おや、見かけんかったかい? 凄く可愛い奥さん、いつも鐵さんにべったりなんだけどねぇ」

「べったり……」

「そりゃあもう仲が良くて、見てるこっちも微笑ましくなっちゃうんだよ」


 それは全く想像のつかない光景だった。あの鐵という男の謎がますます深まる。


(でもあの診療所、他に人がいた感じには見えなかったんだけどなぁ……)


「さて、日も暮れてきたし、夕食の準備をしてこようかね」

「あの、そういえば宿泊の手続きとかは」

「必要ないよ。うちは鐵さんと提携してて義肢の代金とうちの宿泊代は込々で支払ってもらってるから。どのみちこの村に泊まれるところここしかないしね」


 何とも周到なサービスだ。

 詳しい事はまた明日鐵に聞けと告げられ、その日は夕食を貰って眠りについた。

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